絶望は、指先ひとつで足りる


「く、来るな……ゴミが……僕を見下すなぁぁぁ!!」


 追い詰められたカイルの目から、理性の光が消えた。

 彼は懐から、ドス黒い瘴気を放つ「宝玉」を取り出す。

 それは、王家の地下宝物庫から盗み出した、国宝級の禁忌呪具だった。


「これだけは使いたくなかったが……死ね! 貴様も、この国も、みんな道連れだ!」


 カイルが宝玉を地面に叩きつける。

 パリンッ!

 砕け散った宝玉から、ヘドロのような闇が溢れ出し、空間を歪めた。


「出でよ、魔界の公爵! 破壊の化身『アーク・デーモン』よ! 目の前の男を食い殺せぇぇぇ!!」


 カイルの絶叫と共に、黒い霧の中から巨体が出現する。

 ねじれた角、蝙蝠のような翼、そして禍々しい魔力。

 アーク・デーモン。

 人間界の軍隊では束になっても勝てない、災害級(カタストロフ)の悪魔だ。


「ヒッ……!」

「あ、悪魔だ……終わりだ……」


 観客たちは腰を抜かし、絶望に沈黙した。

 カイルは狂ったように笑う。


「ははは! どうだ兄さん! この圧倒的な恐怖は! 僕に逆らったことを後悔しながら死――」


「おい」


 その声を遮ったのは、レインの低い声だった。

 レインは召喚された悪魔を見上げ、眉をひそめている。


「……なんだ。ベリアルじゃないか」


 その名を聞いた瞬間。

 破壊の限りを尽くそうとしていたアーク・デーモン――ベリアルの動きが、ピタリと止まった。

 そして、恐る恐るレインの方を振り向き……その顔を見た途端、青ざめた(顔色は元から青いが)。


『ゲッ!? レ、レイン様……!?』


 悪魔の口から出たのは、咆哮ではなく、上司にサボりを見つかった部下のような裏返った声だった。


「お前、先週俺にボコられて『もう二度と人間界へは行きません』って泣いて詫びただろ。何やってんだ?」

『ひ、ひぃぃぃっ! ち、違うんです! 変な男に無理やり呼ばれて……まさかレイン様のご実家とは露知らず!』

「……まあいい。ポチが唸ってるから、さっさと帰れ。3秒でな」


 足元のポチが「俺の餌だろそれ」とガルルと喉を鳴らす。

 ベリアルは直立不動で敬礼した。


『イエッサー!! 失礼いたしましたァッ!!』


 シュンッ。

 アーク・デーモンは出現時以上の速さで、自ら空間を閉じて魔界へ逃げ帰っていった。

 後に残されたのは、静寂と、放心状態のカイルだけ。


「……は?」


 カイルは口をパクパクさせている。

 自分の切り札が。

 最強の悪魔が。

 兄に敬語を使って逃げ出した現実が、処理しきれない。


「さて、カイル」


 レインが目の前に立つ。

 カイルはガタガタと震えながら見上げた。


「ば、化け物……貴様は、人間じゃない……!」

「いいや、人間だよ。ただ、ちょっと『環境』に恵まれてただけさ」


 レインは右手を上げる。

 人差し指と親指で輪を作る。

 あの、ドラゴンを粉砕した構えだ。


「ひっ、あ、あぁ……!」

「安心しろ。弟相手に本気は出さない」


 パチン。


 軽い音と共に、レインの指がカイルの額を弾いた。

 それだけで十分だった。

 カイルの体は独楽(コマ)のようにきりもみ回転しながら吹き飛び、闘技場の壁に深々とめり込んで止まった。


 白目を剥き、完全に気絶している。


「……ふぅ」


 レインが息を吐いた、その時だ。


「――そこまでだ!!」


 凛とした、だが老いを感じさせる威厳ある声が響いた。

 多数の重武装した近衛兵を引き連れ、王冠を戴いた老人が現れる。

 この国の王であり、レインを捨てた父親。

 国王、レオンハルト・アークライトだ。


「父上……いや、陛下か」

「レイン……」


 国王は、壁にめり込んだカイルと、気絶したガンドルフ、そして平然と立つレインを交互に見つめ、苦渋に満ちた表情を浮かべた。


「……まさか、魔界から生きて戻るとは。いや、それほどの力を手にして帰還するとはな」

「期待外れでしたか? 死体になっていなくて」

「……いや」


 国王は一歩、レインに歩み寄る。

 その瞳には、かつてのような軽蔑の色はなかった。

 あるのは、畏怖と、そして何か隠しているような複雑な感情。


「話がある。……玉座の間へ来い。お前を追放した『本当の理由』を話さねばならんようだ」


 レインは目を細める。

 本当の理由。

 単なる無能だから捨てたわけではない、ということか。


「いいでしょう。その話、聞かせてもらいます」


 レインはポチを連れて歩き出す。

 王位継承戦は、最悪で最高の結果(ハプニング)をもって幕を閉じた。

 

 だが、物語はここからが本番だ。

 俺が、この国の「真の王」となるための。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る