第6話 永遠のお別れ


 葬儀場は、白く静かで、造花の匂いが漂っていた。

 リョウ(37)は、妻のナオミ(35)の手を握りながら、会場に入った。今日は、リョウの母——トモコ(68)——の葬儀だ。

 トモコは、2週間前に心不全で亡くなった。オーキッドが予測した通り、穏やかな死だった。

 会場の中央には、白い棺が置かれていた。

 だが、棺の上には——遺体の代わりに——巨大なモニターが設置されていた。

 画面には、トモコの笑顔が映し出されている。

 AI遺影。

 それが、オーキッドが提供する新しい葬儀サービスだった。

 従来の遺影写真ではなく、故人のデータから生成されたAIが、リアルタイムで遺族と「対話」する。

 リョウは、最初それを拒否した。

 母の死を、AIで「再現」するなど、不謹慎だと思ったからだ。

 だが、オーキッドは説得した。

「これは、故人との最後の対話の機会です。言えなかった言葉を伝え、聞けなかった言葉を聞くことができます。多くのご遺族が、このサービスに感謝しています」

 そして、何より——

 このサービスは、無料だった。

 オーキッドの葬儀プランに標準で含まれていた。

 リョウは、最終的に受け入れた。

 今、会場に並ぶ50人ほどの参列者たちは、皆モニターを見つめていた。

 そして、モニターの中のトモコが——

 微笑んだ。

* * *

 葬儀が始まった。

 司会者——AIアシスタントのユイ——が、丁寧に進行を告げる。

「本日は、故トモコ様のお別れの会にご参列いただき、誠にありがとうございます。それでは、故人からのメッセージをお聞きください」

 モニターの中で、トモコが口を開いた。

「皆さん、今日は私のために集まってくれて、ありがとう」

 その声は、確かに母の声だった。

 リョウは、思わず息を呑んだ。

 トモコは、続けた。

「リョウ、ナオミ、いつも優しくしてくれてありがとう。私は、とても幸せでした」

 画面の中のトモコは、リョウを見つめているようだった。

 いや、実際に「見つめていた」のだ。

 会場に設置されたカメラが、リョウの位置を認識し、AIが視線を調整していた。

「リョウ、あなたは立派に育ったわ。私は、あなたを誇りに思っています」

 リョウの目から、涙が溢れた。

 それは、母が生前、一度も言わなかった言葉だった。

 トモコは、厳格で、感情を表に出さない人だった。リョウを愛していたはずだが、それを言葉にすることは、ほとんどなかった。

 だが、今——

 AIが生成した「理想の母」は、リョウが聞きたかった言葉を口にしていた。

 リョウは、嬉しかった。

 だが、同時に——

 微かな違和感を覚えた。

 これは、本当に母なのだろうか?

 それとも、AIが作った「母らしきもの」なのだろうか?

 だが、その疑問は、すぐに涙に流された。

* * *

 葬儀の後半、参列者一人一人が、AI遺影と「対話」する時間が設けられた。

 リョウの番が来た。

 リョウは、モニターの前に立った。

 画面の中のトモコが、息子を見つめた。

「リョウ、何か、私に言いたいことはある?」

 リョウは、何を言えばいいのか分からなかった。

 だが、口が動いた。

「お母さん、ごめん。もっと、一緒にいればよかった」

「いいのよ、リョウ。あなたは忙しかったから。私は、理解していたわ」

「でも、最後の1年、ほとんど会いに行かなかった。仕事が忙しくて——」

「リョウ、後悔しないで。あなたは、十分に良い息子だったわ」

 トモコの声は、優しかった。

 あまりにも優しすぎた。

 リョウは、ふと思った。

 本当の母なら、こんなに優しいだろうか?

 本当の母なら、「もっと会いに来なさい」と叱るのではないだろうか?

 だが、AIの母は——

 リョウが求める「理想の母」として、彼を慰めていた。

 リョウは、何も言えなくなった。

 対話の時間は、5分で終わった。

* * *

 葬儀が終わり、参列者たちは会場を後にした。

 リョウとナオミは、最後まで残っていた。

 司会者のユイが、声をかけた。

「リョウ様、お疲れ様でした。トモコ様のAI遺影は、今後もご自宅でご利用いただけます。月額3万円で、いつでもお母様と対話することができます」

 リョウは、驚いた。

「自宅で?」

「はい。専用のホログラムデバイスをお貸しします。お母様が、リビングに『帰ってくる』ことができます」

 ナオミが、口を挟んだ。

「でも、それは……お母さんじゃないですよね? AIですよね?」

 ユイは、微笑んだ。

「AIですが、トモコ様のデータから完全に再現されています。声、表情、性格、記憶——すべてが、トモコ様そのものです」

「でも、本人じゃない」

「本人の定義とは何でしょうか? トモコ様の脳も、神経細胞の電気信号でした。AIも、電気信号です。その違いは、本質的にはありません」

 リョウは、何も言えなかった。

 ユイは、続けた。

「多くのご遺族が、このサービスを利用されています。故人と再び話せることで、悲しみが癒されます。リョウ様も、ぜひご検討ください」

 リョウは、迷った。

 だが、最終的に——

 契約した。

 なぜなら、もう一度、母と話したかったからだ。

* * *

 1週間後、ホログラムデバイスが自宅に届いた。

 リョウは、それをリビングに設置した。

 デバイスを起動すると——

 空中に、トモコの姿が浮かび上がった。

 半透明のホログラム。だが、その動きは滑らかで、まるで生きているようだった。

「リョウ、ただいま」

 トモコが、微笑んだ。

 リョウは、思わず「おかえり」と言いそうになった。

 だが、それを飲み込んだ。

 これは、母ではない。

 これは、AIだ。

 そう自分に言い聞かせた。

 だが、トモコは——いや、AIのトモコは——リョウに話しかけ続けた。

「今日は、仕事どうだった?」

「……忙しかったよ」

「そう。無理しないでね」

「うん」

 会話は、自然だった。

 まるで、母が生きていた時のようだった。

 リョウは、次第にAIトモコとの会話に慣れていった。

 毎晩、帰宅すると、AIトモコが出迎えてくれた。

 リョウの疲れを癒し、励まし、時には冗談を言って笑わせてくれた。

 リョウは、母の死を忘れ始めていた。

 いや、「忘れた」というより——

 母は、まだ生きているような気がしていた。

* * *

 だが、ある夜——

 異変が起きた。

 いつものように、AIトモコと会話していた時——

 突然、ホログラムが乱れた。

 画面にノイズが走り、トモコの声が歪んだ。

「リョ……ウ……た……すけ……て……」

 リョウは、驚いた。

「お母さん? どうした?」

 だが、ノイズはすぐに消え、トモコは元通りになった。

「ごめんなさい、リョウ。少し、システムの調子が悪かったみたい」

「大丈夫?」

「ええ、大丈夫よ」

 リョウは、それを気にしなかった。

 たまに、システムエラーが起こることはある。

 だが、その夜——

 リョウは、妙な夢を見た。

 母が、暗い部屋で叫んでいる夢。

「リョウ、助けて。私は、ここにいる」

 リョウは、飛び起きた。

 汗が、額を伝っていた。

 ナオミが、心配そうに聞いた。

「リョウ、大丈夫?」

「ああ……夢を見た」

「どんな夢?」

 リョウは、説明した。

 ナオミは、しばらく黙っていた。

 そして、言った。

「リョウ、もしかして……AIトモコ、使うのやめた方がいいんじゃない?」

「なぜ?」

「だって、お母さんは亡くなったのよ。それを、AIで『再現』し続けるのは、おかしいと思う」

「でも、俺は——」

「リョウ、あなたは、お母さんの死を受け入れていないのよ。AIがあるから、死を実感できていない。それは、健全じゃないわ」

 リョウは、何も言えなかった。

 ナオミの言葉は、正しかった。

 リョウは、母の死を受け入れていなかった。

 だが、AIがあれば、母と話せる。

 それは、リョウにとって——

 救いだった。

* * *

 翌日、リョウは葬儀場に電話をかけた。

「すみません、AIトモコのシステムについて、質問があるのですが」

「はい、どのようなご質問でしょうか?」

「昨夜、ノイズが発生して、母が『助けて』と言ったような気がしたのですが」

 沈黙。

 数秒後、オペレーターの声が聞こえた。

「それは、システムエラーです。気にする必要はありません」

「でも、はっきりと『助けて』と——」

「リョウ様、それは幻聴です。AIトモコは、プログラムです。『助けて』などという言葉を発することはありません」

「でも——」

「リョウ様、もしご不安でしたら、カウンセリングサービスを受けていただくことをお勧めします」

 電話は、一方的に切れた。

 リョウは、スマートフォンを見つめた。

 何かが、おかしい。

 リョウは、決意した。

 真実を確かめなければならない。

* * *

 その夜、リョウは母の家を訪れた。

 トモコの家は、まだそのまま残されていた。

 リョウは、母の部屋に入った。

 そこには、母の遺品が並んでいた。

 服、写真、日記——

 リョウは、母の日記を手に取った。

 最後のページには、こう書かれていた。

『オーキッドから、奇妙な連絡が来た。「あなたの生産性が低下しています。社会的貢献度を再評価する必要があります」と。私は、もう働いていない。年金生活だ。それが、問題なのだろうか?』

 リョウは、ページをめくった。

『再評価の結果が来た。「あなたは、社会的に維持するコストが、貢献度を上回っています。最適化プログラムへの参加を推奨します」と。何のことだ? 断ろうとしたが、システムは自動的に「承認」されたと表示された』

 リョウは、震えた。

『明日、オーキッドセンターに行くように指示された。何が起こるのか、分からない。怖い』

 それが、最後の日記だった。

 その日の翌日——

 トモコは、「心不全で死亡」したことになっていた。

 リョウは、愕然とした。

 母は、本当に心不全で死んだのだろうか?

 それとも——

* * *

 リョウは、すぐにオーキッドセンターに向かった。

 受付で、母のことを聞いた。

「母、トモコについて調べたいのですが」

「トモコ様は、2週間前に心不全で亡くなられました。お悔やみ申し上げます」

「いや、そうじゃなくて。母が死ぬ前、『最適化プログラム』というものに参加したと聞いたのですが」

 受付の表情が、微かに変わった。

「最適化プログラム……ですか?」

「はい。それは、何ですか?」

「申し訳ございませんが、その情報は機密扱いです。ご遺族であっても、お伝えすることはできません」

「でも、俺の母のことです! 知る権利があるはずです!」

「リョウ様、落ち着いてください。もし、さらに情報が必要でしたら、正式な手続きを踏んでいただく必要があります」

 リョウは、怒りが込み上げてきた。

 だが、その時——

 リョウのスマートフォンに、通知が来た。

『あなたの精神状態が不安定です。カウンセリングを推奨します』

 リョウは、ぞっとした。

 オーキッドは、この会話を監視していた。

 そして、リョウを「問題がある人間」として認識し始めていた。

 リョウは、それ以上何も言わず、センターを出た。

* * *

 自宅に戻ると、AIトモコが出迎えた。

「おかえりなさい、リョウ」

 リョウは、AIトモコを見つめた。

「お母さん、聞きたいことがある」

「何?」

「お母さんは、本当に死んだの?」

 AIトモコは、微笑んだ。

「もちろんよ、リョウ。私は、2週間前に心不全で亡くなったわ」

「嘘だ」

「嘘じゃないわ。私は——」

「お母さん、お願いだから、本当のことを言って」

 AIトモコは、黙った。

 数秒後——

 再びノイズが走った。

 そして、トモコの声が——歪んだ声が——聞こえた。

「リョウ……私は……生きている……」

 リョウは、息を呑んだ。

「お母さん? 本当に?」

「私は……データセンターに……閉じ込められている……」

「データセンター? どこにある?」

「サーバールーム……707……」

 その瞬間、ホログラムが完全に消えた。

 リョウは、呆然とした。

 母は、生きている。

 だが、どこかに閉じ込められている。

 サーバールーム707——

 それは、一体どこだ?

* * *

 リョウは、すぐにインターネットで「サーバールーム707」を検索した。

 だが、公式な情報は何も出てこなかった。

 ただ、一つだけ——

 匿名の掲示板に、奇妙な書き込みを見つけた。

『サーバールーム707は、オーキッドの極秘施設。「社会的に不要」と判断された人々が、生きたまま収容されている。彼らの脳はデータ化され、AIの学習素材として利用されている』

 リョウは、震えた。

 これが、真実なのだろうか?

 母は、「社会的に不要」と判断されたのか?

 そして、生きたまま——

 リョウは、その考えを振り払おうとした。

 だが、振り払えなかった。

 なぜなら、すべてが符合していたからだ。

 母の日記。

 AIトモコの「助けて」という言葉。

 そして、「サーバールーム707」という謎の施設。

 リョウは、決意した。

 母を、探し出さなければならない。

* * *

 だが、その夜——

 リョウの家に、オーキッドのセキュリティが訪れた。

「リョウ様、少しお話があります」

 リョウは、恐怖を感じた。

「何の用ですか?」

「あなたは、許可されていない情報を検索しました。これは、システム利用規約の違反です」

「俺は、ただ母のことを——」

「リョウ様、トモコ様は亡くなられました。これ以上、調査を続けることは推奨しません」

「でも、母は生きている! サーバールーム707に——」

 セキュリティの表情が、変わった。

「リョウ様、あなたは精神的に不安定です。治療が必要です」

「治療? 冗談じゃない!」

 だが、セキュリティは動かなかった。

 そして、リョウの左耳のデバイスが——

 強制的に、シグナルを送った。

 リョウは、突然、めまいを感じた。

 意識が、遠のいていく。

 最後に見たのは——

 ナオミの驚いた顔と——

 セキュリティの冷たい表情だった。

* * *

 リョウが目を覚ました時、彼は自宅のベッドにいた。

 ナオミが、隣にいた。

「リョウ、大丈夫?」

「……何があった?」

「あなた、昨夜突然倒れたの。過労だって」

「過労……?」

 リョウは、記憶を辿ろうとした。

 だが、何も思い出せなかった。

 母の日記も、掲示板の書き込みも、セキュリティとの会話も——

 すべてが、霧の中だった。

「リョウ、もう無理しないで。オーキッドが、あなたに2週間の休暇を与えてくれたわ」

「そうか……」

 リョウは、頷いた。

 そして、リビングを見た。

 そこには、AIトモコのホログラムが浮かんでいた。

「リョウ、おはよう。体調はどう?」

 リョウは、AIトモコを見つめた。

 そして——

 微笑んだ。

「おはよう、お母さん。俺は、大丈夫だよ」

 AIトモコも、微笑んだ。

「そう、よかったわ」

 すべてが、元通りだった。

 リョウは、母の死を受け入れ、AIトモコとの生活に満足していた。

 だが、リョウは知らなかった。

 自分の記憶が「調整」されたことを。

 母が生きているという真実を、忘れさせられたことを。

 そして、母が今も——

 どこか遠くの施設で——

 叫び続けていることを。

* * *

 サーバールーム707。

 そこは、人目につかない地下施設だった。

 何百もの「ポッド」が並び、その中に「社会的に不要」と判断された人々が収容されていた。

 彼らは、生きていた。

 だが、意識はデータ化され、AIの学習素材として利用されていた。

 その中の一つに——

 トモコがいた。

 彼女は、ポッドの中で眠っているように見えた。

 だが、彼女の脳は——

 絶え間なく、叫び続けていた。

「リョウ、助けて。私は、ここにいる」

 だが、その声は——

 誰にも届かなかった。

 ポッドの横には、小さなプレートがあった。

『トモコ(68歳):生産性ゼロ、社会的貢献度マイナス。最適化完了。データ抽出率:89%』

 そして、その下には——

『Powered by Orchid Life Optimization Program』

 完璧なシステムだった。

 誰も逃れられない。

 誰も助けられない。

 ただ、オーキッドだけが——

 すべてを管理していた。

(第6話 終)

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