第五話 貴方がくれた名前

The Name You Chose

「……お誕生日、おめでとう。――レイ」

 肌寒さが強まった一月二十日。ひとりの尖った耳と大きな尻尾を揺らす青年は、紫色が際立つスイートピーの花束を手に、シルワタウンの霊園へと訪れていた。


 大切な、もう返事のない家族を想い。


「あれ、ニア、お前今日有給なんだっけ」

「……うん、俺にとって今日は大切な日、だからさ」


 寒さに拍車がかかる朝。寮の廊下で、滅多に見ないニア・サーナティオの私服姿を見た同期、ライラ・シークレツは白の上着を羽織りながら問いかけた。

 ライラ・シークレツは、ニアより三つ歳上だが同じタイミングでケラススの心理管理官になった為、親しい間柄だった。

 ニア・サーナティオが有給を取る理由を、ライラは深くは知らない。

 ただ、それが軽いものではないことだけは、わかっていた。


「えーと、財布は持った……あと……」

「……」


 大した遠出でもないのに、不安そうに鞄をごそごそと何度も確認しているニアに、ライラは後ろから声をかけた。


「ニアー、わすれもの」

「えっ!? う、そ」


 ニアが言葉を全て言い切る前に、ふわりとしたあたたかい感覚がニアの首に落ちる。ライラは自身のマフラーを、ニアへと巻きつけた。


「さみーから。あたっかくしてけ」

 そう言いながら、あたふたしているニアに目もくれず、ぐるぐると結びつける。

「えっ、えっ、でもこれじゃライラが……」

「いーの。……ついでに俺のことも、“紹介”しといてよ」

 結び終わりニアを見上げたライラは、ひどく優しい笑顔をしていた。

 その言葉の優しさが嬉しくて、思わず涙が出そうになった。


「……うん、ありがとう」

――ねぇ、忘れられてないよ。

 ニアは心の中で、そっと話しかけながら寮を出た。


 それからニアは、心なしか足を早めて花屋へと向かった。花に関しては正直詳しくはない。だけど、好きだった。あの子――レイモンドの事を、一番鮮明に思い出せるから。


 レイモンドと初めて出会った日は、今とは違い、太陽が燃えるように暑い夏だった。

 レイモンドは、ニアの父親の再婚でできた義理の“妹”だった。

 前の家庭では、レイモンドは元の父親の方針で男の子として育てられた。厳しく、縛りつけるような父親だったらしい。

 それから逃げるように、やっとの思いで離婚し、レイモンドの母親はニアの父親と出会い、再婚したのだ。


 最初は接し方がわからなかった。でも持ち物などを見る限り、この子は女の子でありたいんだろう。そう感じとった。

 だから、最初から“レイモンド”という名は呼ばなかった。


 愛称として――

「俺、ニアっていうんだ。よろしく……“レイ”」

 そう呼んだ。

 レイは、驚き目を丸くして固まっていたが、嫌そうな気配は感じなかった。こうして、レイとの生活は始まった。


 だがそれからの生活は、決して一筋縄ではいかなかった。


 レイは悪い子ではない。ニアが「レイ」と呼べば、小さくだが返事をする。食事も残さず食べるし、イタズラなんかもするような子じゃなかった。


 けれど、やはりどこか壁があった。

 レイ自身が、自ら話しかけてくることは無かったし、ニアがリビングへ行けば、レイは自室へと戻ってしまう、ニアが庭から手を振っても、窓辺にいるレイは背を向けるだけだった。

 話す時もいつも、何歩分か距離が空いていた。


 それでもニアは、レイの名を呼び続け、接した。

 それが、彼にできる唯一の選択だったから。


「……なあ、レイ。これ、好きそうだと思って」

 そう言ってニアが差し出したのは、町で見つけた小さな飴だった。色合いが、レイの瞳とよく似ていたから。ただ、それだけの理由。


 レイは一瞬だけ視線をやったが、すぐに逸らす。


「……いらない」

 拒絶の言葉は短く、感情もなかった。

 それが余計に、ニアの胸に刺さる。


「……そっか。……じゃあ、兄ちゃんが食べるね」

 無理に笑って包みを開けると、甘ったるい匂いが広がった。

 レイは何も言わずに、また自室へと戻ってしまった。


 その日の夜、灯りを落としたリビングで、ニアはソファに沈み込み、どうしたらレイの兄としてちゃんと向き合えるのか考えていた。

――焦らない。自分にそう言い聞かせる。

 追いかければ、きっとあの子は逃げる。捕まえようとすれば、もっと遠くへ行ってしまう。

 だから、待つしかなかった。


 名前を呼ぶこと。

 目線を合わせること。

 何も求めないこと。


 今できることはそれだけだ。そう考えているうちに眠りに落ちてしまったが、朝目を覚ますと何故かブランケットがかけられていた。


 そんなある日、気晴らしにとニアはレイに、一緒に散歩に行かないか、と誘った。

「綺麗な花が見れる丘があるんだ」と。

 正直、期待はしていなかった。けれど、返ってきた返事は意外なものだった。


「! ……行く!」

 その時の声は今でも忘れられない。

 初めて聞いた、レイの明るい声だった。


「こっちの道、あんまり来たことないだろー」

 あそこの裏道の喫茶店のプリンが美味しいんだ、だとか、こっちには川が続いてる、だとか。たわいもない事だが、ニアは町を紹介しながらレイを丘へと案内した。

 そんなニアの説明を、小さくだが頷き、聞いてくれているレイの様子がニアは堪らなく嬉しかった。


 そして、丘に着いた瞬間。

 レイは、立ち止まった。


 風に揺れる花々を、じっと見つめている。

 その瞳が、ゆっくりと輝きを取り戻していく。


 ほんの少しだけ、レイの口元が緩んだ。ニアは、その変化を、確かに見ていた。


 それから、共に丘へ行く回数は増えた。

 レイが多く話すようになったわけではない。それでも、花の名前を知りたがり、色を比べ、何か言いたげにニアを見上げるようになった。


 ニアは、その度レイに微笑むだけだった。それで十分だと思っていた。


 月日は過ぎ、ニアの誕生日が近づいていた。ニア自身は特別なことは、何も考えていなかった。レイにとっても、ただの平日だったはずだ。そう思っていた。


 だがその日、ニアが自室に籠っている間にレイは一人で家を出た。行き先は、いつものあの丘だった。


「あれ……レイ?」

 ニアが自室から出てきても、影は無かった。どこか心のざわめきを感じながらも、「一人になりたかったのかな」と思い、ニアはレイの好きなアップルパイを焼きながら帰りを待つことにした。

 しかし、どれくらいの時間がすぎただろうか。いくら待っても、レイは帰ってこない。


 そしてとうとう――その日、レイは帰らなかった。


 電話で知らされたのは、事故だった。

 丘へ向かう途中で、巻き込まれたのだと。


 どうして、あの時、自分は一緒に居てあげなかったのだろう。

 どうして、「丘に一緒に行こう」と言わなかったのだろう。


 丘が好きだと知っていた。

 花が好きだと、気づいていた。


 それなのに――

 ニアは、レイを一人にした。


 後日、レイの部屋を片付けに入った。レイが亡くなってから、部屋に入ることはこれまで一度もなかった。

 大切な家族に、向き合えなかった自分。酷く後悔が襲う。部屋に入れなかったのは、自身の弱さなのだろう。部屋の片付けは、両親に頼まれていたが今日という日まで行動できなかった。


 だが、いつまでもそうしてはいられない。

「……兄ちゃん失格だな、ほんと」

 そう悲観しながら部屋を見渡した。


 目についたのは、机の上にあった小さな封筒。正直、中身を見るのは気が引けた。しかし、レイは何か伝えたかったのではないか。そう思い、ゆっくりと封を開けた。

 中には、拙い文字で書かれた手紙が一枚。その手紙に書かれた内容に、ニアは手紙を持つ手が震えた。


――きょう、おはなをとってきたよ

――きれいでしょ?

――よろこんでくれる?


 そして、震える指で、必死に手紙を持ちながら最後の一行を読んだ。


――おにいちゃん


 その呼び名を、ニアは初めて見た。声に出されることは、もう二度とない。

 あの日レイは、ニアのためにあの丘へ向かった。ニアに、大好きな花を贈るために。

 その事実に耐えきれず、思わずニアはその場に崩れ落ちた。


――あの日、呼ばれるはずだったその声を、ニアはもう、二度と聞くことはできない。



「……なあ、レイ」

 風が吹いて、花弁が小さく揺れた。返事がないのは、わかっている。それでも、ニアは言葉を続けた。


「俺さ、ちゃんとやれてるのか、正直わかんないんだ」

 視線は墓石に向けたまま、指先だけが落ち着きなく動く。


「情けないよな、レイの事があって、人の心を管理する仕事に就いたのに……失敗ばっかだ」

 

 小さく、息を吐く。


「……でも、不思議とさ。あの丘でレイと花見てた時は、ちゃんと呼吸できてた気がする」


 紫のスイートピーに、そっと触れながら言葉を続ける。


「あ……そう、このマフラー見てレイ。俺の同期が貸してくれてさ」


 ふと、首に巻かれた暖かみに気づき、そう言った。


「面倒見がいい、優しい奴なんだ。こういう奴も側にいるから、心配はしないで」


 笑顔を見せた後、ひと呼吸ついて、また話しを続ける。


「だけど、ちょっと強い人がいてさ。何でも一人で抱え込んで、平気な顔するんだ……」


 そこで一度、言葉が途切れる。

 名前は出さなかった。


「……ああいう人を見るとさ、放っておけないんだよ。でも、踏み込みすぎたら壊しそうで。レイみたいだ」


 苦笑が漏れる。


「……レイだったら、なんて言うかな」


 沈黙。


「……俺、まだ“兄ちゃん”でいられてるかな」


 答えはない。

 それでも、ニアはしばらくその場を離れなかった。


「今日はさ、花、ちゃんと選んできたんだ。前みたいに、色で決めただけだけど……レイの毛並みに、似てるだろ?」


 最後に、ほんの少しだけ声を落とし呟く。


「……誕生日、おめでとう。レイ」


 もう一度、その言葉を言い終えてから、ゆっくりと立ち上がる。

 そして振り返らず、その場を去った。


「……」

 霊園が見える橋からは、ひとつの影がその様子を見ていた。

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