第14話 夢の中のほうが現実みたいだ


「――っ!」

 

 息が詰まって、目が覚めた。


 視界に飛び込んできたのは、見慣れた自分の部屋の天井。

 夢じゃない。これはちゃんと現実だ。


 ……なのに、胸が熱くて、ドクドクと心臓がまだ変な速さで鳴っている。深呼吸をしようとしても、息が浅くてうまくできていない。


「夢……だよな」

 掠れた声を出してみたが、驚くほどしっくりこない。

 唇に、柔らかい違和感と「触れられた」という感触だけが生々しく残っているからだ。

 誰かと、キスしてたな……、俺。


 ただの気のせいだ、夢なんだから。

 そう自分を納得させようとして、隣に目をやった瞬間、思考が止まった。


 宵が、いる。

 俺の布団の中で、いつも通りの無防備な顔で寝ている。


 ……なんでだ。

 夢の中でのあの声と、今、目の前にある穏やかな寝息が、頭の中でピタリと重なった。


「はぁ、意味わかんないな……」

 

 独り言を呟くと、宵の耳がぴくっと動いた。

 すると、眠ったままの宵の指先が、探り当てるように俺の手をぎゅっと掴んでくる。

 決して逃がさないという意志を感じるほどの力強さで。


「……っ」

 反射的に、息を呑む。

 宵はそのまま、また眠ったようだが、繋がれたその手は、最後まで離れなかった。


「もう、なんなの……」


 この手を振りほどけない。いや、心のどこかで振りほどきたくないと感じている自分に、嫌悪感を抱いた。

 それに、胸の中が静まらない。怖いのに落ち着くのも、意味がわからない。俺は、そっと視線を逸らした。

 これ以上考えたら、どこまで連れて行かれるかわからない気がしたからだ。


 ……たぶん。

 俺は、まだ、『普通』でいたいだけなんだ。

 そう自分に言い聞かせて、そっと目を閉じた。

 

 **


 朝、目を覚ました瞬間から、いつもの『儀式』が始まった。

 宵は当然のように俺の上に乗っかって、顔中にキスを落としていく。

 

 俺は――本当にもう慣れてしまっていた。

「口にはしない」という約束を、宵が律儀に守っているから、というのもあるけれど。

 

 けれど、一応言っておく。

「またー? 朝から、やめてくれよ。毎日そんなにする意味ある??」

「なおや、よく寝てたから」

「それ関係ないって」

 

 以前の俺なら、もっと本気で嫌がっていたはずだ。

 けれど今の俺は、やめろと文句を言いながら、逃げてようともしていない。

 むしろ、これがないと「あれ?」と思ってしまう自分がいる。

 そのことには気づいてる。

 俺、やば。


 **


 大学でいつも通りに講義を受けている。……はずなんだけど、なんだか世界に薄い膜が張ってるような感覚が抜けない。

 ノートに文字を書こうとしても、ペン先が滑ってずれてしまう。力を入れてるつもりなのに指先にうまく力が入らないのだ。

 講師の声も聞こえてるはずなのに、ワンテンポ遅れて耳に届く。

 ふと窓の外に目をやると、いつもと空の色が違う。夕方ではないのに、くすんで見えた。

 

 ――あの夢の中の空と、似ているな。


 そんなはずはないのに、そう思ったら、落ち着かなくなった。

 目の前の現実がだんだん薄くなっていく。代わりに昨夜見た夢の中の匂いも音も、鮮明だった。


 ――何かが、おかしい。


 気づけば今日の講義はすべて終わっていた。

 帰ろうとして校舎を出ると、門の陰にあの銀色の頭が見えた。

 

(やっぱり、いる)


 以前なら、「迎えに来るな」と迷惑そうに言っていた。人目は気になるし、正直面倒だった。

 

 けれど、今は違う。

 宵の姿を確認した瞬間、自然とすっと心が落ち着くのがわかってしまった。


「……今日もきたの?」

「なおや、ひとり、よくない」


 反論しようとして、言葉が喉に詰まった。

 来てほしかった、なんて思っていない。

 それは、本当だ。

 

 けれど、来てくれて、よかったと思っている。

 

 その事実を、もう認めるところまで来ていた。


 **


 二人で手を繋いで歩く、帰り道。ふいに、宵が俺の袖を引いた。

「なおや、神殿いこ」

「……コンビニな」

 

 即座に訂正したが、宵は不満げに眉を寄せる。

 

「ちがう、あそこ神殿」

「だからコンビニなんだけど。まあいいや」


 宵は真剣な顔で、指折りながら答える。

 

「おそなえいっぱい、ある」

「弁当とか、菓子な」

「くじ、ある」

「一番くじな、その神殿でほしいものあんの?」


 宵は俺の袖をさらに強く引っ張った。

「くじ、やる。きつねの、ふわふわの」

「ん? ……あぁ、あのぬいぐるみの?」


 思い出した。ゲーセンでとった狐のぬいぐるみのことだ。

 コンビニに入ると、宵は目を輝かせた。

 例の狐のキャラクターグッズがずらりと並ぶ棚へ、吸い寄せられるように向かっていく。

「やるの?」

「やる」

「一回だけな! 約束だ!」

 

 券を持ってレジに並ぶと、上目遣いで見つめてくる。

 

「……なおや」

「……はいはい、分かったよ」

 結局、財布を出すのは俺だ。

 結果は、小さなラバーキーホルダー。狐のキャラクターが笑っている。


 宵はそれを手のひらに乗せて、しばらくじっと眺めてから言った。


「……ちいさい」

「当たりじゃないの? 文句言うな」

 

 それにしても、なんでこの狐のくじやってるって知ってたんだ。

 

「はいはい帰るよ、神殿は満足ですか」

「うん」


 ……だから、神殿じゃないっての!

 

 再び二人で歩き始める。 

 夕暮れで、家の近くまで来たときだった。


 急に風が強くなり、唸りを上げた。

 冷たい風が足元から巻き上がり、顔にもその冷たさが当たった。

 

 突然、宵が足を止めた。

 

「宵……?」

 

 呼びかけても、返事はない。

 宵は空を見上げたまま、動かなくなった。

 まるで、遥か遠い場所から届く微かな声を聴いているような、そんな静寂。


「……このかぜ、にてる」

「何が?」

 

「しろい、ぎん。りんの音、……なって」

「りん? なんの話?」


 問いかけると、宵がハッとしたように俺を見た。その瞳は、一瞬だけ金色の光を帯びていた気がした。

 

宵ノ原よいのはら……」

「なにそれ、どこの話? 地名か?」


 俺が笑い混じりに言うと、宵は困惑したように眉を寄せた。

「わかんない……。ただ、かぜが……」


 すごく気になったが、俺は深掘りせずに宵の手を引いて、黙って家へと歩いた。

 理由はわからない。

 でもここで聞いたら、ダメな予感がしたんだ。


 

 少し歩いたところで、ふと気づいた。

 風が止み、周囲の音が遠のいた。

 そして、影の暗い部分がじんわり濃くなっている。

 

(うわ、なんか嫌な感じ)

 

 繋いでる宵の手に力が入った。ぎゅっと握られて、反射的に横を見ると、宵の目は鋭く冷たくなっていた。

 

 ――夢の中の『綾空』のように。

 

 けれど、それは一瞬の出来事だった。次の瞬間には、いつもの頼りない宵に戻った。

 

(まただ……)


 俺は口には出さなかった。


 夢の中の何かが、確実に現実に滲み始めている。

 俺は、それがたまらなく嫌だった。

 

 **


 帰宅し、夕食を終えた後のことだ。

 食器を洗っている俺の背中でおばあちゃんが、何気ない様子で声をかけてきた。


「そういえば、尚弥。来週は狐灯きつねびまつりよ」

「きつねび……?」

 

「ほら、この辺りで毎年やってるでしょう。灯籠に火を灯して、みんな狐の面をつけて歩くのよ」

「あー、あれ小学生の頃行ったきりだな」


「宵くんにも見せてあげなきゃねぇ」

「なんで宵に……?」


「あの子好きだと思うわよ、ああいうの」

「ああいうのって何?」

 

 おばあちゃんは、ただ意味深に微笑むだけだった。

 

 拭いた皿を置く。何かわからないが、少し鳥肌が立った。


 ――狐の祭り。

 ――宵。


 偶然だと言い切るには、あまりにも役者が揃いすぎていた。

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