町内ヒーロー 流水戦士 流れマン

虫松

第1話 「流れてきたヒーロー」

川縁町の夏は、いつも少し遅れてやってくる。

夕方になると風が川面をなで、どこかで蚊取り線香の匂いが混じりはじめる。そんな頃合いを見計らったように、町内会の流し素麺大会が始まるのが、ここ何十年もの習わしだった。


青いビニールシート、年季の入った竹、氷の音がするポリタンク。

子どもたちは騒ぎ、大人たちは日陰でうちわをあおぎ、誰もが「今年も同じだなあ」と思いながら、なぜかそれを少し嬉しく感じていた。


その竹の前に、ひとりだけ妙に静かな男がいた。

派手でもなく、目立ちもしない。

ただ、流れてくる素麺を、まるで昔からそうしてきたかのような手つきで、すっとすくい上げる。

焦らず、力まず、箸先は水の流れに逆らわない。

「あの人、ずっと取れてない?」

誰かがそう言ったが、実際は“取れていない”のではなく、“必要な分しか取っていない”だけだった。

素麺が来る前に構えず、来たあとに追わない。

流れてきたものだけを、流れてきた瞬間に受け取る。

それが、流水戦士、流れマンとの最初の出会いだった。


「ちょっと、あなた」

声をかけたのは町内会長だった。白いシャツの胸ポケットに名簿を差し込み、いつも何かを心配している顔をしている人だ。


「素麺の取り方が、なんというか……上手ですね」


「そうですか」


「いえ、上手というか……自然というか」

流れマンは軽く頭を下げただけで、特に誇る様子もなかった。

会長は少し間を置いてから、声をひそめる。


「実はですね、この町、たまに“ちょっと困ること”が起きるんです」


「はあ」


「警察に言うほどでもないけど、放っておくと夜まで気になるようなやつです」

遠くで子どもが水鉄砲を鳴らし、竹の上ではまた素麺が流れていく。


「なので……その……」

会長は咳払いをして続けた。


「あなた、そういうときの“なんか困ったとき用”の人になってくれませんか」

流れマンは箸を置き、川のほうを見た。

夕焼けが水に溶けて、ゆっくり下流へ流れていく。


「ヒーロー、みたいな?」


「いえ、そんな大げさなものじゃなくて」


「じゃあ、流れで」

会長はその言葉の意味を深く考えなかった。ただ、なぜか胸の奥が少し軽くなった。

こうして、川縁町にひとりのヒーローが生まれた。

名乗りもなく、制服もなく、報酬もない。

ただ、流れを読んで、流れてきたものを受け取る男。


その夜も町は変わらず静かで、

流れマンは家に帰って、少し伸びた素麺を鍋で温め直しながら、

「まあ、なるようになるか」と、ひとりつぶやいた。

川の流れは、今日も止まらない。

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