第四話

 役所の建物は、思っていたよりも静かだった。

 人の出入りはあるが、港の喧騒とは切り離されている。話し声は低く、足音も控えめだ。ここでは感情よりも、手続きの方が優先される。


 妾は受付で用件を告げ、指示された廊下を進んだ。

 壁際に、申し訳程度の展示スペースがある。ガラスケースの中に、古い地図と数枚の紙。町史の一部を切り取ったような簡素なまとめだ。


 そこに描かれているのは、竜だった。

 勇ましくもなく、神々しくもない。説明文は淡々としている。「かつて、こう語られていた」「そのような記録が残っている」。断定を避け、距離を保った言葉ばかりだ。


「それ、気になりますか?」


 背後から声がした。

 振り返ると、役所の職員らしい人物が立っている。年は若すぎず、古すぎもしない。仕事として、ここにいる顔だ。


「この辺りの伝承です」

「今では、資料として残しているだけですが」


 妾は頷き、問いを投げる。


「なぜ、残している?」


 職員は少し考えたあと、苦笑した。


「正直なところ、消す理由がなかったから、です」

「信仰でもありませんし、行政に影響するものでもありません。ただ……」


 言葉を探すように、一拍置く。


「私自身、伝承を聞いたとき、少し心が踊りまして」

「いるのなら、見てみたい、と」


 照れたように肩をすくめる。


「出会えるかは分かりませんが。お土産として……」


 そう言って、机の引き出しを開け、小さな束を取り出した。

 ドラゴンの絵柄が印刷された便箋だった。堅い役所の備品の中では、ひどく浮いて見える。


「こんなものですが」

「よければ、使ってください」


 妾は一瞬、その便箋を見つめた。


 ふっ、と息が漏れる。


「面白いな」

「妾、これを使うのか」


 一拍置き、口元をわずかに緩める。


「いいだろう。ひとつくれ」


 職員は驚いたように目を瞬かせ、それから丁寧に便箋を差し出した。


 妾はそれを受け取り、軽く頭を下げる。

 それ以上、言葉は交わさない。


 役所を出ると、外の空気は少しだけ軽く感じられた。

 竜は、ここでは信じられてはいない。

 だが、完全に忘れられてもいない。


 形を変え、記録に残り、そして——

 誰かの心を、わずかに動かしている。



 妾は便箋を懐にしまい、歩き出した。




 ─────────────────────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る