妾は竜ではない。ドラゴンという概念じゃ

濃紅

第一話

 妾は船に乗っていた。

 正確には、運ばれていた。


 鉄と蒸気で組まれた船体が、海を割って進む。その振動は一定で、人間の技術が生み出したものとしては、なかなか悪くない。空を行かずとも、こうして水面を越えるという発想は、何度見ても新鮮だ。


 甲板に出ると、潮の匂いと油の匂いが混ざっていた。煙突から立ちのぼる黒煙が、空に溶けていく。竜とは、本来あの空に属するものだ。だが、妾は竜ではない。ドラゴンという概念そのものである以上、移動手段にこだわる理由もない。


 煤色のロングコートの襟を正し、風を受ける。深緑のベレー帽は、少し斜めに被っている。人間の流行というものは不思議だが、悪くない。周囲に溶け込み、同時に浮く。その程度でちょうどよい。


 船旅は快適だった。揺れも少なく、騒がしすぎもしない。人間は、竜が眠るほどの静寂と、作業に耐えるほどの喧騒を、よく理解している。


 ——人間には、いつも驚かされる。


 やがて船は港に着いた。汽笛が鳴り、人の流れが生まれる。妾もまた、その流れに紛れて歩く。特別なことは何もない。ただの一人の旅人として。


 タラップを降りる直前、背後から声がかかった。


「お嬢さん」


 振り返ると、船員の一人が立っていた。年若いが、目はよく働いている。


「差し支えなければ、名前を聞いても?」


 妾は一瞬、考える。

 名前は便宜だ。意味はない。だが、呼ぶための音は必要になる。


「……ラスキュじゃ、快適な船旅、感謝するぞ」


 短く答えると、相手は少し驚いたように目を瞬かせ、それから頷いた。


「それは、何よりです。お気をつけて」


 妾はタラップを降りながら、軽く会釈を返す。


「ああ、では行くとしよう」


 それだけ言って、港の石畳に足をつけた。背後で船が離れていく音がする。人の声、荷の音、街の気配。すべてが、新しい。


 妾は歩き出す。

 竜の伝承を辿る旅の、最初の一歩だ。


 人間には驚かされるな。

 今回の旅は、楽しめそうだ。




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