てんおん(転生したら女になってたの意)



 ドリオス奴隷の朝は早い。


 それは使用人であれ、農場奴隷や鉱山奴隷であれ、「ドリオス」───奴隷を意味する身分を持つ殆どの者に当てはまることだ。例外と言えば、夜間が主な業務時間となる歓楽街───特に性産業に従事する性奴隷ぐらいだろう。


 今日もひとりの使用人が鶏の鳴く前から目を覚まし、主人のために朝食を作る。それを終えれば今度は掃除を、それが終われば今度は洗濯を。


 使用人に休む暇はない。自分のことは後回し。最低限の身嗜みを整えた後は、まだ寝室で眠っている主人を起こさないように、足音や物音を立てないように細心の注意を払って職務を遂行する。

 少し肌寒い時期なのにも関わらず、額には汗の粒を浮かべ、少し荒い息を吐きながら労働に勤しんでいる。


 そんな使用人にも楽しいと感じる時間が存在する。

 洗濯、料理、掃除───他にも主人が最近育て始めたオーラ中庭に植えられた植物の水やりなど、家事には多くの水を消費する。そのために毎朝近くの公共井戸から水を汲み、各家庭に置かれた水瓶に貯める必要があるのだが、当然他の家も同じ時間帯に水を汲むため、公共井戸の前はよく混雑する。


 使用人が楽しみにしているのは、その他の待ち人との会話だ。日もまだ昇っていない時間に使用人のように活動している“人間は”いない。活動しているのは使用人と同じ、“所有物”たるドリオスである。


 彼ら彼女らは、今日も今日とて公共井戸の前に集まり、互いに会話を交わす。この時間帯であれば巡回の兵士も少なく、日中と違って、公共の場で口を開くと咎められ、反乱を疑われることもないのだ。



「最近冷えてきましたね」


「そうだな。そろそろ分厚い掛布を出したほうがいいかもしれない」


「ですね。夜中に寒くて目が覚めた───なんてことが主人の身に起こったら何をされるか……」



 彼ら彼女らが行うのは主に生活に関する情報交換だ。自らの主人の不興を買わないために、互いに意見を出し合って新たな気付きを得る。それを反映し、主人の生活を支えるのだ。今日は冬に向けた対策についてのアイデアだ。


 主人が寒いと感じる前に予め準備しておこう。と使用人は家にある掛布の場所を思い出しながら心の中のタスクリストに加える。



「ところで向かいのとこのはどうした?」



 使用人のひとりがポツリと呟く。話題は最近──正確には一週間前から公共井戸に現れなくなった使用人について。



「向かいのって……」


「確かケットシーの少女か。元気で可愛い子だったな」


「ああ、あの子か……」



 ケットシー。

 世界中に分布し、最も個体数の多いヒューマン───人間と比べて、少数種族に位置する猫型獣人のことである。使用人の国───ミケネ帝国では希少を通り越して、御伽噺とまで言える種族であり、使用人にとっても生まれて初めて見た存在だ。



「あの子のことか」



 ヒソヒソと使用人たちが話す中で後ろから声を掛けられる。使用人たちは声の主である男を見るが、皆が彼が誰であるかを知らない。



「あんた誰だ? 主人たちと同じじゃないのは……あんたの髪と目を見れば分かる・・・・・・・・・・が」


「俺は向かいのとこで買われた新しい使用人だ。今日初めて井戸を汲みに来てみれば、何やら“前任者”について話していたようだったのでな。思わず声をかけさせてもらった」



 前任者───その言葉に使用人たちは嫌な予感を抱く。使用人のようなドリオスは基本的に終身雇用だ。ひとつの家に仕え、個人、或いは主人の家族のために「終身」の文字通り死ぬまで働き続ける───ひとつの例外を除いて。



「なぁ……もしかしてあの子は」


「生きている」



 ───もしかして、あの子は主人に殺されたのではないか? 


 そう問おうとしたひとりの使用人の言葉を遮った彼の言葉に周囲は安堵のため息を吐く。皆ケットシーの使用人───彼女の陽気さに癒されていたのだ。ケットシーが元々そういう種族だからなのかは知らないが、それでも使用人らにとって、彼女に毎朝会えるのは喜ばしいことだったのだ。


 だから次の瞬間、使用人らは態々「生きて」と強調されたことに疑問を持たなかったことを後悔することになる。



「連れて行かれた」


「連れて行かれた? 一体誰に……ってまさか」


「そのまさかだ」



 男は額を抑える。自分が見た光景を思い返し、自分の行いを後悔するように。



「“帝国衛隊”に……連れて行かれた」



 男は語る。ことが起きたのは一週間前、使用人らが彼女を見なくなった時からである。


 自分と彼女は当時、夕食のための買い出しに出かけていた。本来は自分が任された仕事のため、自分ひとりで行くべきだったが、主人に買われたばかりで土地勘の無かった彼が困っていたところ、彼女が案内役を買って出たのだ。

 問題はふたりが市場に着いた時、獣人という特徴から非常に目立つ彼女を、偶々市場を警備していた帝国衛隊が目に留めたことだ。



 帝国衛隊。

 皇帝直属の帝国が誇る精鋭部隊であり、一般に知られている業務の中には、要人の警護や重要施設───特に皇帝のお膝元である帝都を守護する任が与えられている。彼らは使用人らの主人───テーマタ臣民にとっては“畏敬”の対象であり、使用人らドリオスにとっては“畏怖”の対象である。


 なぜか? それは帝国衛隊の“仕事”のひとつが理由だ。



「あの子は“取り調べ”とやらのために連れて行かれたんだ。誤解を解こうとしたんだが、『逆らえば帝国と皇帝陛下への反逆と見做す』と言われて……俺は動けなかった。あの子が無理矢理地面に押さえつけられて拘束されるのを……俺はただ見ていることしか出来なかったんだ」



 男はあの時のことを思い出しながら語り続ける。自分があの時何も出来なかったことに対する無力さと臆病さ、惨めさに打ちひしがれる彼の顔は、悲痛な面持ちを湛えていた。


 そんな彼を責めようなどという者は使用人たちの中には誰もいない。自分たちの主人らは彼が動けなかったことを嘲笑うだろうが、少なくとも此処にいる者らはそうなる程に人間を───生物的・・・にも、倫理的にも───辞めたわけではなかった。いくら“ヒト”ではなく、“所有物”や“家畜”として扱われようと心まで無くしたわけではないのだ。



「始まりは問題なかったんだ。市場の入り口に立っている兵士に呼び止められて───思えば、その時には彼らの中でどうするかが決まっていたんだろう───兎に角、その時は普通に対応したんだ。変に逆らったりせずにな」



 帝国衛隊を語る上で最も外せない彼らの“仕事”は「対外防諜」である。

 対外───すなわち諸外国から国家機密、技術、個人情報などの帝国の秘密を外国の諜報機関や勢力による間者───スパイから守るための活動を指す。


 帝国衛隊が何故ドリオスから畏怖されるのかといえば、彼らが怪しいと思ったドリオスを拘束する時に使う便利な名目として、スパイ容疑が使われるからだ。テーマタ臣民ならまだしも、ドリオス奴隷はスパイ容疑を掛けられたら最後、帰ってくる者は───ひとりもいない。



「問題は彼女が奴隷になる前の話を質問された時だ。彼女は自分が元はフランディア王国の傭兵で、ミケネ帝国で戦争捕虜になった時に奴隷として売られたと言ったんだ」



 ドリオスの経歴は主に3種類に分けられる。


 反乱者、戦争捕虜、債務者。


 生まれた時から奴隷というのは珍しい。テーマタ臣民ポリティス自由市民と違って、彼ら彼女ら奴隷には子を成す時間も相手もいないからだ。



「そしてそれを聞いた時、奴らは彼女をフランディア王国のスパイだって決め付けたんだ」



 後は男の言った通り、ケットシーの少女は連れて行かれ、それ以来会えてない。市場での件を男は彼の主人に報告したが、主人は「そうか」と言ったきり何の対応もしていない。

 元々彼女は愛玩用に買われたのだろう。主人の家族は残念そうにしていたが、主人が彼女が帝国衛隊に連れて行かれたことを話すと、納得したように頷いていた。


 所詮「所有物」。ドリオス奴隷の扱いはそんなものでしかないのだ。



「そんな……」


「でも王国の子だったのか」


「だったらもしかして本当に……」


「しっ! 滅多なこと言うなよ」


「でもなぁ……」



 そしてドリオスの中でもこの扱い。


「フランディア王国の元傭兵、そしてスパイの容疑」

 このふたつの情報は、使用人らがケットシーの少女へ疑いの目を向け、先程までの彼女への同情を改めさせるものだった。


 彼ら彼女らの変わり具合を見て、男は唇を噛み締めながら俯く。仲間だと思ったドリオス奴隷すら彼女の扱いに納得した様子を見せ始めたことに、悔しさからか、思わず拳を固く握り締める。


 そしてそんな彼の様子を、ひとりの使用人が見ていた。






 § § §






 ミケネ帝国の首都、帝都グリス。

 都市の中心部───アクロポリスには巨大な白亜の宮殿が、今日も太陽の光に照らされながら、その確かな権威と堅牢さを帝都で生活する全ての者たちに見せつけている。


 街中では、通りに沿ってで開かれた市場が人々で混雑しながら賑わい、今日もこの国の経済を回していく。


 そんな大通りから外れ、日干しレンガや木材を使い瓦屋根で覆われ、中庭を囲うように部屋が配置されている古代ギリシャを彷彿とさせる一般家屋が立ち並ぶ住宅街。


 その内のひとつでは、家の主がひとりの使用人に相談を受けていた。



「────ということがありました」



 家の主───ボクは使用人からの話を聞いていた。


 お前誰だよって? 


 ボクの名前は「シャノン・カツァラポフ・ダリア」。


 俗に言う転生者というやつで、前世で死んだと思ったら、気付いた時にはこの世界に生まれ変わっていた。

 一歳ぐらいの時かな、ある日突然高熱を出して数日間寝込んでいたらしい。その間にボクは前世の記憶を思い出し、そして「ボク」という自我をこの肉体に宿した。


 でもぶっちゃけ転生よりも気になることがあって、当時はあまり混乱しなかった。


 気になること───それはボクが前世で死ぬ直前に見た光景。ボクの首を食い千切った明らかに理性を欠いた様子の不審者。目は虚ろで、ボクを押さえつけて齧りつくだけの馬鹿みたいな力を持っていた。


 あの不審者のことが気になり過ぎて、正直死んだことへのショックは全くなかった。……嘘。ちょっとはあったんだけど、お子様ボデーのボクに好奇心とショックを両方同時に相手取ることはできない。


 結果として、ショックを受けることは後回しにされ、数少ない思考リソースが全部前世の不審者への考察に充てられたわけだ。

 まあ結局、いくら考えてもボクは死んでるんだから、これ以上の情報は得られないと言うことで考察を諦めたんだけどね。


 案外、ゾンビとかなんじゃなかろうか。


 最終的に、こんなバカみたいな結論に達しておしまいだ。

 まあ普通に考えてゾンビなんているわけ無いし、よしんばいたとしてもなんでボクがあそこで遭遇したのかは謎のままだ。



 ……さて、今世の話をしよう。


 シャノン・カツァラポフ・ダリア。

 これは「カツァラポフ氏族に属するダリア家という一族のシャノンという名前の者」という意味を持つ。


 対外的なボクの身分はダリア家の一人“娘”。……そう、娘である。


 なんとボク、前世では男だったのに転生したらスライm……女の子になっちゃいました〜!! わーいどんどんぱふぱふ。


 容姿は白銀の髪に赤い眼。シミひとつない白いすべすべ肌に健康的な肢体。


 つまりめちゃんこ可愛い美少女である。カワイイ!! 


 東方からの輸入品であるガラス製の鏡で確認したので間違いない。因みに鏡は家族にお強請りしまくって買ってもらった。運送費も込みなせいで目茶苦茶高かったらしい。


 さすがは中世風の異世界、前世みたいに綺麗に写る鏡を手に入れることすら苦労するとは。鏡見せてって言ったら銅鏡が出てきた時にはどうしようかと思ったわ。あんなんまともに自分の姿が見えるわけないじゃん。


 こうやってこの世界で生きてみると、昔に肖像画が一杯あった理由が分かる気がする。みんな自分の容姿が気になってたんだね。

 それを知るために画家に高いお金を払って依頼するのも当然だ。というか、ボクもガラス製の鏡の存在を知るまでは何処かで自分のことを描いてもらおうかと思ってたし。



「お嬢様」



 思考が逸れたボクは、その声で現実に引き戻される。



「…………ん?」



 輸入品───これまた東方で普及している衣装である前世の漢服と和服が融合したような恰好をしている使用人の男。この服もまた、ボクの両親が貿易商から買ったものだ。


 両親はボクが東方の文化───神州文化が趣味だと思い込んだらしい。恐らくガラス製の鏡を探す時に向こうの国について調べ回ったのを見たのだろう。


 正直、この格好で外を歩かれると目立つせいで横にいるボクも恥ずかしいので早急に辞めて欲しい。


 彼はボクの両親が、ボクが生まれた時に購入した奴隷だ。名前は知らん。生まれた時からボクの身の回りの世話をずっとしてるけど、名前は聞いたことがない。……もうボクが生まれてから十年くらい経つんだけども。


 ボクの方からは名前を聞かない。なぜならそれがこの国の───ミケネ帝国の“常識”だからだ。



 ───奴隷とは、ただの“物”である。



 だから個体名で識別する必要はない……らしい。少なくとも名目上は。



「お嬢様、お頼みしたいことが御座います」


「…………なに」



 お、おぅ……。


 今ボクは猛烈に動揺している。多分、転生してから9番目くらいに驚いてる。

 ずっと文句のひとつも言わずに───少なくともボクの前では───寡黙にボクの世話を続けていた男が、今日初めて、ボクに頼みごとをしてきたからだ。


 こういう時、どうすればいいのかボクは知らない。

ドリオス奴隷風情が主人に頼みなど以ての外だ」と叱責するべきなんだろうか。


 ボクが思うに奴隷の扱いは家とか職場ごとに結構違う。家族の一員として扱ったり、信頼できる部下として扱ったり、家具の一種として扱ったり、替えの利く消耗品として扱ったり……。


 ボクの家は家族ではないけど、少なくとも“人”としては扱ってる。……分別付かない時期の子供ボクの前で奴隷を雑に扱うと、子供の教育に良くないというのが一番の理由だが。


 そういうわけで、ボクは彼の頼みを黙って聞いてやることにする。ボクの前世の常識では、解決するかはともかくとして、人の頼みを途中で遮るようなことはしないからだ。



「帝国衛隊にスパイ容疑を掛けられ連行されたケットシーの少女を助けて頂けませんか」


「むり」


「……ご主人様に相談していただけたら「むり」ですか……」



 頼みは聞く。でも聞くだけだ。

 所詮は奴隷。今はボクの驚きに免じて、“ボクの出来る範囲”で叶えてやろうと思っただけだ。


 だから無理。こいつの持ってきた案件はボクの手を超える。出直してこい。



「…………」



 受けてもらえないと分かったのか、彼はボクの視界外にスッとフェードアウトする。



「…………」



 フェードアウトしただけで、まだ彼はこの部屋にいる。朝ご飯を食べてる最中のボクの背後だ。無言の空間で食事を再開する。彼の話を聞いている間は食事の手を止めてたからだ。

 彼が作った飯を食べる。多少冷えていた。



 ……やっぱり頼みがあると言った時点で叱責しておくべきだったのかも知れない。



 ちょっと後悔しながら、ボクはモソモソと残り数口の食事を口に運んだ。












 ---

 



 今回も

 逐次投入。

 堪え性がないから書けたらすぐ投下しちまうんだ。


 ●用語(身分制度)

 ・テーマタ→臣民「守るべき国民」

 ・ポリティス→自由市民「なんかいる国民?」

 ・ドリオス→奴隷「所有物、資産」


 各国各文化ごとに独自の階級の呼称があるのいいよねって思って作ったら、書く時に死ぬほど面倒臭くなって自爆したの図。


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滅びそうな呪術帝国で、ボクは今日も生き延びたい とりさん @rii04

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