第7話 黄金の盾、エスコートされる

深夜のギルド司令室を出ると、扉のすぐ脇で、影のように小さくなっているエレンがいた。


 先ほどまで泣いていたかのように、彼女の瞼は赤く腫れ上がっている。


「エレン、どうかしたのか?」


 エルフレッドが足を止めると、彼女は弾かれたように顔を上げ、すっくと立ち上がった。


「わたし、タイキさんとの会話……聞いちゃいました」


「そうか。それがどうした?」


 エルフレッドの淡々とした問いに、エレンは唇を噛み、縋るような視線を彼に向けた。


「わたしも、先輩の診断……ついて行ってもいいですか?」


「診断に? 別に面白いものでもないぞ。ただ体が調べられるだけだ」


「わたし、先輩が心配なんです。安心したいんです。……先輩は、まだやれるって。また隣で戦えるんだってことを、知って、安心したいんです」


 潤んだ瞳に映る、切実な願い。エルフレッドは、自分の動かない右腕に視線を落とした。


「……そうか。だが、少し時間があるぞ。神殿へ行くのは、正午を回ってからだ」


 エルフレッドが呼び出しの紙を見せると、エレンは少しだけ、言い淀むようにモジモジと指先を弄んだ。


「どうかしたか?」


「あ、あの……」


「珍しく歯切れが悪いな。」


 エルフレッドが覗き込むように聞くと、彼女は意を決したように顔を上げ、大きな声を張り上げた。


「……私と、お出かけしませんか!」


 それはまるで、今世紀最大の告白かのような勢いだった。


「お出かけ? 俺は王国のことはほとんど知らないが……大丈夫か?」


「まっかせてください! 『私が!』先輩をエスコートします! 後悔はさせません!」


 エルフレッドは、あまりの迫力に少し圧倒された。王都での彼は、依頼、訓練、睡眠、それだけの繰り返しだ。街を歩くのは、魔獣が現れた時か、装備を整える時だけ。


「第一、俺でいいのか?エレンは美人さんだ。

色んな男から……」


エレンは話を途中で遮り言う


「わたしは先輩がいいんです!先輩しかいないんです!」


「そ、そうか? ならお願いしよう」


「早速行きましょう! 時間は有限ですよ!」


 エレンは、エルフレッドの左手をそっと、だが力強く引いた。


「ははは、そう焦るな」


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王国の市場は、朝から暴力的なまでの活気に満ちていた。


 高く突き抜けるような青空の下、色とりどりの果実が山積みにされ、あちこちの屋台からは香ばしいパンや、スパイスを効かせた肉の焼ける匂いが漂ってくる。


行き交う人々は笑い、歌い、今日という平凡な一日を謳歌している。


 そこには、エルフレッドが命を削って守り続けてきた『平和』が、目に見える形となって流れていた。


 人混みの中、エレンは自然な動作でエルフレッドとの距離を詰めた。


 普段の彼女は、尊敬する先輩である彼の一歩後ろを歩く。だが、今日は違う。彼女はエルフレッドの左腕にぴったりと寄り添い、時折、肩が触れ合うほどの近さで歩調を合わせた。


「先輩、こっちです! この通りの奥に、面白い雑貨店があるんですよ」


「ああ……。エレンは案内が上手いな。複雑な王国の路地を迷わず進めるなんて。……戦場でも、こうして常に隣にいて道を示してくれたら、どれほど助かるか」


「えっ!? あ、は、はい! もちろんです! どこまでだって、地獄の果てまでだってご案内します!」


「地獄に行く予定はないぞ」


 エルフレッドが無意識に漏らした『助かる』という言葉、それは絶大な信頼の言葉のように聞こえ、それがエレンの胸に真っ直ぐに突き刺さり、彼女の顔は一瞬で耳の先までカッと赤くなった。

 

 街を行く人々の波に押されそうになるたび、エレンはさりげなくエルフレッドの前に出た。


 今の彼は、動かない右腕の重みで微妙に体の重心が狂っている。


 少し肩をぶつけられただけでも、バランスを崩す可能性があるのだ。


 階段や急な段差に差し掛かると、エレンはごく自然な動作で彼の腰に手を添え、その重厚な体を支えた。


 かつて、魔獣の群れを一人で食い止めた巨躯が、今は自分の細い腕に頼っている。


その事実に、エレンは切ない愛おしさを覚えた。

私でも先輩の役に立てる。と


ボロボロになってもなお歩こうとするこの人を、一分一秒でも長く支えたいという、純粋で強烈な騎士道精神のようなものが彼女を突き動かしていた。


 ふと、一軒の古びた雑貨店の店先で、エルフレッドが足を止めた。

「これをひとつ頼む」


 並べられた安価な装飾品の中に、一つだけ、深く澄んだ藍色の石をあしらった髪飾りがあった。


「エレン。これ……君に似合うと思うぞ」


「えっ……私に、ですか?」


 エルフレッドは、傷だらけの左手で不器用そうに買ったその髪飾りを手に取ると、エレンの髪にそっとあてた。


「ああ。君の瞳の色に似ている。いつも俺の無茶に付き合わせ、ろくな礼もできていないからな。その……頑張っている君への、俺からの礼だ。」


 エレンは言葉を失った。


 彼にとっては、戦場で矢を譲り、ポーションを分け与えるのと同じ程度の、戦友への気遣いに過ぎないのかもしれない。


だが、無骨な彼が『似合う』と言って選んでくれた。その事実だけで、エレンにとっては王国の至宝よりも価値のある宝物になった。


「……ありがとうございます、先輩。私、死ぬまで……いいえ、死んでも大事にします」


「はは、大げさだな。それにエレンのことは俺が守るから大丈夫だ」


「いいえ!先輩のことは私が守ります!」


 少し時間が経ち、広場の噴水の縁に腰を下ろし、二人はエレンが買ってきた冷たい果実水を口にした。


 エルフレッドは、賑やかな街の喧騒を眺めながら、ふと憑き物が落ちたような顔で独り言を漏らした。


「……君といると、不思議と頭を使わなくていいな」


「えっ、それって私が頼りないってことですか!? それともバカだってことですか!?」


 エレンが頬を膨らませて抗議すると、エルフレッドは少しだけ、目尻を下げて微笑んだ。


「違う。戦場では、敵の挙動を読み、味方の数を数え、逃げ遅れた村人の安全を確保し……常に脳が焼き切れるほど思考し続けなければならない。

だが、今は君の背中についていけば、美味しいものに出会え、綺麗な景色が見られる。……誰かに自分を任せられるというのは、これほどまでに楽なものだったんだな」


その言葉は、エレンの心に鋭い痛みをもたらした。


この人は、何年もの間、たった一人で世界という重荷を背負ってきたのだ。誰にも弱音を吐かず、誰にも頼らず、壊れるまで。

エレンの気持ちが暗くなったその時


すぐにエルフレッドが言う

「それに、俺が後輩のことを馬鹿と思うわけがないだろう。お前は天才だ。」

といいエルフレッドはエレンの頭をなでる


(ほんとに……この人は、)

エレンは下を向きボソッという

「そういうところ。ほんとにずるいです」


 ――もし、神殿での診断が絶望的なものだったとしても。


「先輩。勇気が欲しいので手を繋いでください!」


「え?」

有無を言わせずエルフレッドの左手を強く握る

 

 先輩がもう戦えないというのなら、私が彼の剣になり、盾になり、右腕となり、思考になればいい。


 この人が、あの日見たような『無自覚な涙』を流さなくて済むように。


 このまま、こうして穏やかに街を歩ける未来を、私が力ずくでも作ってみせる。


「さあ、先輩! 時間です。神殿へ行きましょう」


 エレンは再び、彼の温かい左手をぎゅっと握りしめた。


 この先に待ち構えているのが、きっと明るい未来であることを心から願いながら


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