第5話 エレンの過去③

エレンが冒険者予備校に入ってから、少し経った頃のことだ。


 王都から少し離れた場所にある、何の変哲もないのどかな農村。


 そこは豊かな資源があるわけでも、戦略的な要衝でもない。

ただ平凡な人々が、平凡な明日を信じて土を耕しているだけの場所だ。


 だからこそ、そこが魔獣の群れに牙を剥かれたとき、王国の騎士団は動かなかった。


『被害規模は限定的。派遣コストが見合わない』

 紙の上に記された冷酷な一行。

それだけで、数百人の命は見捨てられた。


 そんな『採算の合わない』依頼が、冒険者ギルドの隅に放り投げられるのは日常茶飯事だ。


 エレンはその日、予備校の休みを利用してエルフレッドの元を訪ねていた。

だが、彼はいつものように淡々と準備を整え、報酬も期待できないその村へと向かう馬車を手配していた


「先輩、本当に行くんですか? 大した報酬も出なければ、相手だってどんな大物が出るか分かったもんじゃないんですよ」


 揺れる馬車の中で、エレンは不満を隠さずに問いかけた。

この人はなぜわざわざ泥にまみれに、危険を侵して死地に赴くのか。


「……俺が行かなきゃ、あそこの人たちが魔獣の餌になる」


 エルフレッドは、古傷だらけの顔を窓の外に向けたまま、当然のように言った。


「それに、報酬なんて後で誰かが酒の一杯でも奢ってくれりゃ、それで十分だ」


 その言葉に、エレンは胸を締め付けられるような、鋭い怒りを覚えた。


 (先輩……あなたは、ご自分の価値を、酒一杯と同じだとでも言うんですか)

 

 この人は、自分を英雄という名の呪いに閉じ込めている。


 自分の肉体がどれほど希少で、一体どれほどの人を幸せにできるかという自覚が、決定的に欠落しているのだ。


 突如、馬車が激しく揺れ、エルフレッドが弾かれたように外へ飛び出した。


「先輩!?」


 エレンが慌てて外を見て、息を呑んだ。


 そこには、かつてのどかだった村の残骸があった。


 黒煙が空を覆い、赤黒い炎が家々を舐め回し、逃げ惑う人々の悲鳴が、まるで地獄の底から響く合唱のように耳を突く。

 

 凄まじい数の魔獣――血に飢えた異形の群れが、村人を蹂躙していた。


「……くっそ!」


 エルフレッドの背中が、炎の中に消える。

 エレンも必死に後を追ったが、戦場に足を踏み入れた瞬間、その壮絶さに膝が震え、動けなくなった。

 

 そこには、ただ一人の男が、数百の暴力と対峙する光景があった。


 ガギィィィィィィン!!


 エルフレッドの大盾が、魔獣の爪を弾き、牙を砕く。

 彼は全力を尽くし、ただ逃げ遅れた村人の前に立ち、全ての攻撃をその身一つで受け止めていた。


 魔獣の爪が彼の肩を裂き、牙が脇腹を抉る。鮮血が舞い、彼の古傷だらけの体には、新たな深い傷が刻まれていく。


 それでも、エルフレッドの表情は変わらない。

 痛みを感じる神経が死んでいるのではないか。そう思えるほど、彼は無感動に、淡々と、自分という肉の壁を差し出し続けた。


 一頭倒すごとに、また三頭が群がる。


 エルフレッドは、魔獣を盾で圧砕し続け、その鎧は既に形をなさないほどに歪んでいた


 エレンは、ただそれを見ていた。


 助けに行かなければならない。


だが、死に物狂いで振るわれる盾の衝撃波と、撒き散らされる死の臭いに圧倒され、一歩も踏み出せない。


 戦いが終わる頃には、既に夜の帳が降りていた。


 最後の一頭が絶命し、村を包むのは、薪が爆ぜる音と、重苦しい静寂だけになった。


 エルフレッドは、もはや全身が赤黒い血で塗り潰されていた。

それが自分のものか、魔獣のものかも分からない。荒い息を吐きながら、生き残った村人たちを見回した。


だが、遅かった。


 村は半壊し、地面には動かなくなった人々が横たわっている。


 ふと、一人の少年がエルフレッドの元へふらふらと歩み寄った。


 少年は、血に汚れたエルフレッドの顔を見つめ、突然、裂けるような声を上げた。


「……遅いんだよ! お前がもっと早く来れば、父さんも母さんも死ななくて済んだんだ!」


 その叫びを合図に、静まり返っていた村人たちが向けようのない不満をエルフレッドに向けだした


「そうだ! 騎士団はどうした!? なんで男が一人で来てるんだ!」


「お前がもっと強ければ、私の娘は助かったのに!」


「英雄だって名乗ってるなら、全員救ってみせろよ!男だからって何でも許されるわけじゃないんだぞ!この詐欺やろう!」


「さっさと消えろ!」


理不尽な罵声がエルフレッドに投げつけられる。


 命を救われたはずの人々。彼らは、自分たちの喪失を埋めるために、目の前の『傷だらけの救世主』を叩くことで正気を保とうとしていた。


エルフレッドは、何も言わなかった。

 否定もせず、怒りもせず、ただ罵声の雨を浴びながら、血の海の中に立ち続けていた。

 その瞳は、やはりどこか遠くを眺めているように、空っぽだった。


誰かがその背中に、石を投げつける。カツン、と乾いた音がして、彼の背中から跳ね返る。


エルフレッドは聖盾と言われるほどの人物だ。

そんなもので傷が着くはずがないだが、少なくとも心には傷を負うはずなのである。


「……ふざけないで」

エレンが顔を真っ赤にしながら言う。


エレンは思った

(どれだけ傷だらけになって、あんたたちを守ったと思ってるんだ!あんたたちの命は、この人の血と、犠牲の上で成り立ってるんだ!)


と言おうとしたが


「エレン。やめろ」


殺意とも言えるような、圧倒的な威圧感がエルフレッドから発される


「わたしは……あなたを思って、」

エレンから大粒の涙が流れる


(……この人は。この人は、どれだけ自分を削れば気が済むんだ、)


エレンの胸の中に、暗い霧が広がっていく。

 世界のためにボロボロになり、救った人々にすら唾を吐かれる。


この世界は理不尽だ。王国が見捨て、大した報酬も出ないのに助けに向かった英雄が罵倒され、石を投げられる。


こんなのが許されていいはずがない。


だが、エルフレッドはこの世界の理不尽を一身に受け止め、逃げようとさえしない。


その後村人達が離れていった頃を見て

エルフレッド達は馬車へ戻った。


「……エレン、かっこ悪いところを見せたな」

装備を脱ぎながら言う


「……先輩」

エレンは顔を上げた。その顔は、涙と鼻水でひどく汚れ、視界を塞ぐほどの大粒の涙が次から次へと溢れ出している。


「どうじで……どうして、世界は、ごんなに理不尽なん、でずが……っ!」


 しゃくり上げるたびに声が裏返る。鼻をすすり、肺を震わせながら、彼女は必死に言葉を絞り出した。


「せん、ばいは……っ、彼らの、ことを、思って……っ。大した報酬も出ないのに、王国だって見捨てたのに……っ。なのに、どうじで……あんなこと、言われなきゃ……いけないんですかぁ……っ!」


最後の方は、もはや言葉というより悲鳴だった。

 自分の愛する英雄が、守ったはずの人間に唾を吐かれ、暴言を吐かれ、石を投げられる。その光景が、エレンの心を深く傷つけた。、


「それは……難しいな、」

ははは、と乾いた笑いで答える


「……先輩、抱きついても、いいですか……っ。もう、辛いです、……っ」


「……まぁ、いいぞ、来い」


エレンがエルフレッドの胸に顔を埋め、号泣する

「どうじで、ごんなごどが、ふるざれるの、」


エルフレッドは何も言わず頭を撫でる


「ぜんばいは……っ、ぜんばいはぁぁ!!」


エルフレッドは優しく話す

「あの村人たちは、自分の大切なひとを無くしたんだ。きっと憎悪を向ける場所がないんだろう。

無慈悲な暴力だったからな。それに、俺が言い返したところで終わらないだろう?自殺する村人が出てしまうかもしれない。私という復讐すべき存在がいたら少なくとも生きてくれるだろう」


と撫でながら話す


「……ぜんばいば、ぞれでいいんでずが、」


「当たり前だ、俺は英雄だからな」


その言葉に、エレンは再び激しく泣いた。

 英雄。その響きが、今は何よりも忌まわしい呪詛のように聞こえた。


ふと、エレンの頭に温かい雫が落ちた。


「……ぜんばい?」


エレンが顔をあげると





エルフレッドは·····泣いていた


「先輩!?な、泣いてますよ!やっぱり...」


エルフレッドが目を擦ると

「あれ、俺泣いてたのか。全く気づかなかった」


それを聞いた瞬間エレンは


(…あぁ、そうか。この人は、壊れているんだ)


 目の前で、自分が泣いていることすら自覚せずに、他人を救う論理を淡々と説く男。


 エレンはその涙を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃を覚えた。


 エルフレッドという英雄は、自分という人間をとうの昔に捨てている。


 肉体を削り、精神を磨り潰し、ついには

『悲しみ』という感情さえも、誰かを救うためにどこかへ置いてしまった。

 

 ――このまま放っておけば、この人は本当に消えてしまう。

 

 世界のために使い潰され、最後には感謝の一言も投げかけられず、錆びた盾のようにどこかの泥濘で朽ち果てる。それがエルフレッドの選ぼうとしているだ。


「……先輩。もう、いいです。もう、話さないでください」

 エレンはエルフレッドの胸に顔を埋めたまま、エルフレッドを抱きしめた。


「なあ、 エレン? ……そんなに強く抱きしめられると、傷に響くんだが」


「……私の心の方がもっと痛いです」


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