橙の風、彼岸の赤
奈川真沙也
プロローグ
また、あの夢を見ていた。
心に迷いがあると、決まってこの夢を見た。
夢の中の季節は、秋だった。
小川のほとりを、僕はひとり歩いていた。
秋の深まりを告げる金木犀の香りが漂い、
川沿いには、赤い彼岸花が咲き並んでいた。
吹く風はやさしく、川の音は穏やかだった。
小川を飛び越えようとした。
今の僕なら、容易く越えられるはずの幅に思えた。
しかし、跳ぼうとした瞬間──
懐かしい「届かない感覚」が、僕を引き止めた。
向こう岸を見た。
そして、跳べない理由を知った。
向こう岸は、過ぎ去った時間。
望んでも行けない、僕のあの日だった。
その事実に、胸が疼いた。
そこにいたのは、幼い頃の僕。
そして、確か同い年だったあの少女。
僕はネイビーの長袖シャツ。
少女は紺色のワンピースを着ていた。
二人は金木犀の木陰にいた。
しゃがんで並び、肩を寄せ合って。
二人で──それぞれに彼岸花の首飾りを作っていた。
二つの彼岸花の首飾りができた。
二つの首飾りを重ねて編み込んだ。
一つの首飾りが出来上がった。
彼女の首に赤い花飾りをかけ、
胸元にあしらうように整えたのは、僕だった。
何かが揺れた──そんな気がした。
少女ははにかみながら立ち上がり、
まっすぐ僕を見つめた。
──紺の胸元に、赤い糸が咲いていた。
指先が、ふいに痛んだ。
その感覚に導かれるように、視線を落とす。
その時、その痛みは確かにそこにあった。
決して行けないはずの、あの日の痛みが。
そこに、赤が滲んでいた。
あの日と同じだった。
金木犀が橙の風に香りをのせ、
僕のまわりを静かに包みこんだ。
気がつくと、僕と少女は、
川をはさんで向かい合っていた。
僕はその名を呼んだ。
少女も僕の名を呼んだ。
その名は、もう失われた言葉のようで、
声にならず、音にもならなかった。
いつのまにか、香りが消え、
音が消え、
風が止んだ。
それが夢の終わりだと、僕は知っていた。
この夢を紐解く日は、来るのだろうか……。
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