つきかげ

第1話 熊

 最近話題の、熊について書きます。


 2025年の今年の漢字に『熊』が選ばれたことは記憶に新しいですね。


 もうお正月ですが、最近になっても熊のニュースをよく見かけます。


 一部では『熊は絶滅してもいいんじゃないか』なんて過激な意見もみられますが、このことも含めて書きたくなったので、勢いに任せて書きます。

 荒い部分もあると思いますが、許してください。


 まず、昔の日本にいたオオカミの話からはじめます。


 え? 熊の話じゃないの?

 という感じですが、今回お話する内容は、オオカミの絶滅とも関係があります。


 それではいきます。


 かつて日本には、ニホンオオカミと、エゾオオカミの二種類のオオカミが生息していました。


 このオオカミという生き物は、シカやイノシシ、熊の動きなんかを色んな方向から牽制し、ひっかき回していたのです。


 オオカミは肉食動物ですから、シカやイノシシを狩ることもあるし、ビビらせて彼らの行動を制限させることもできます。


 畑を荒らす目的で人里に降りてきた動物を、オオカミが追い払ってくれることもあったので、オオカミは人々のあいだで神の使いといわれたこともありました。


 しかし、あるとき人々は思いました。


 オオカミ、こわくね? 家畜とか襲うし、駆除したほうがよくね?


 こうして起きた人間の都合での大規模な駆除、そこに病気の蔓延などの原因も重なり、明治時代にはオオカミは絶滅してしまったといいます。


 さすがに当時の人々も、絶滅するまで追い詰めてやろう、みたいに考えた人は少なかったのではないかなあと思いますが……。


 野犬なんかも、いまはもういないらしいですね。


 オオカミが絶滅してしまい、どうなったかというと。


 シカやイノシシの天敵が一種類、いなくなりました。

 熊も、これまでよりイキリちらせるようになりました。


 結果として、こいつらの数が増えました。


 それでも、熊は総合的にはまだいいほうだと思います。

 シカやイノシシは、増えすぎるとわかりやすく山に害を及ぼすことになる。


 どういうことかというと。


 イノシシは、木の根っこや植物の地下茎なんかを食べるので、山の土を掘り返します。結果的に、山の土はふかふかの畑みたいになっちゃいます。


 掘り返された土では、植物は上手く成長できません。


 畑だって、種をまく前には耕す必要があるけれど、種をまいてから耕すことはしない。

 イノシシのやっているのは、農作物が育っている状態で畑を掘り起こすようなものです。


 それでも荒らされた山の土で、植物たちが頑張って、うーん! よいしょ、よいしょ! って新芽を出したとしても、今度はシカがぱくぱく食べてしまいます。


 シカとイノシシのダブルの行動が、相乗効果で山を弱らせます。


 かつて日本に生息していたオオカミが絶滅したことにより、永らく保てていた山のバランスが崩れました。


 シカやイノシシは、のんびり好きなだけ餌を食べることができます。


 山が弱ったからなに? 別に俺には関係ないし、毎日コンクリートに囲まれて過ごしてるし、山とか遠い場所だし、みたいな意見があるかもしれません。


 ところが、もちろん人間にも影響があります。


 たとえばですが、山が弱ると、雨が降るたびに土砂が崩れやすくなったり、泥が混じって川の水が濁りやすくなったりします。


 バランスのとれた健康な山は、自然の浄水場としての機能も持ってるんですね。

 お金で考えると、年間数百億円とか数兆円とかの規模の仕事をタダでやってくれている、というイメージでしょうか。

 こういう考え方はあまりにも人間中心すぎて好きではないのですが……。


 さらに、汚れた水が川に混じって海に流れ込むとどうなるか。


 海が濁ります。

 海が濁るとどうなるか。

 植物性プランクトンが光合成できなくなります。

 植物性プランクトンが減ると、それを食べる魚が減ります。

 さらに、近海の水底がドロドロになって、貝みたいな海底を這う生き物も住みにくくなる。魚の卵の孵化にも影響が出るでしょう。

 

 この上、熊がいなくなるとどうなるか。


 熊は現在の日本で最大の雑食性の野生生物です。

 シカやイノシシ、こいつらはさらにイキりちらせるようになります。


 こうなると、次世代の山が育ちません。

 育つ前に、食い尽くされるからです。山がさらに弱ります。

 

 さきほど述べたような事情がさらに深刻になり、土砂崩れも頻発するかもしれません。魚の量も減るかもしれません。

 

 でも、すぐに影響が出るわけではないでしょう。

 こういう変化は、数十年~百年以上とかの長い時間をかけて、ゆっくりと現れてくるのではないかなあと思います。


 最近日本近海で魚があまりとれなくなっているのは、海流の変化や温暖化、魚のとりすぎなど、様々な要因がありますが、オオカミがいなくなり、山が荒れたから、というのも長い時間をかけて作用した要因のひとつとして考えてもいいのかもしれません。


 古来より日本の近海で美味しい魚がたくさんとれるのって、山が豊かで、短い川からきれいな水が一気に海に流れ込むからだったはずです。


 風が吹けば桶屋が儲かる、とはちょっと違うかもですが、こういうものって一直線に因果が繋がっているんじゃないかなあと思うのです。


 だから、山を健康な状態で維持することは、コスパもいいんですね。


 正確な頭数を把握することは難しいものの、現在日本には推定で4~6万頭くらいの熊が生息しているといわれています。

 2025年には年間で約1万頭の熊が駆除されました。


 4~6万くらいしかいないのに、1年で、約1万頭です。

 同じペースでずっと殺していたら、簡単に絶滅してしまうんじゃないですか。


 熊を殺すのはかわいそう、という意見をみかけます。

 それに対して、困っている人がいるんだから殺すしかない、みたいな意見もみかけます。


 どちらの意見もわかります。

 ぼく個人としては、さすがに殺しすぎなのでは? という感じです。


 日本人は、かつて日本に生息していたオオカミを絶滅させました。


 多くの人は、オオカミという脅威をひとつ取り除いたせいで、新しい問題がいくつも生まれたことに気づけていないのかもしれません。


 たまに、現代人の多くは「人間と家畜以外、地上にいなくていい。あ、犬と猫くらいは居てもいいよ。かわいいし」みたいな恐ろしい思考で生きているのではないか、と感じてしまうことがあります。


 でも、今のぼくたちの豊かな生活って、一時的にブーストがかかっているだけの幻想で、借金を前借りしているような状態だと思うんです。


 現代人は、地球が何億年もかけて蓄えた、太陽由来のエネルギーの結晶、石油、を、一気に燃やしてなんとなく地上を征服した気になっているだけ。


 そんなチートアイテムの石油だっていずれ尽きますし、尽きた瞬間に、日本だって江戸時代とかの生活に戻らざるをえない。


 いや、それができればまだ良い方で、その頃には野生生物は減っていて、山は荒れ、川も汚れて、海はゴミだらけ、そして人はもう、自然の中で生きる知恵を失ってしまった。

 江戸時代みたいな豊かな生活をとり戻すのは、難しいかもしれません。


 話題がそれてしまいそうなので、このことについてはまたの機会に。

 SFとか書いてるせいか、最近は油断するとすぐに思考が数十年、数百年単位で飛んでしまいます。


 それで、今度は熊を絶滅させようとしているのでしょうか。


 熊が絶滅したら、今度はシカやイノシシが脅威になる?


 なら、今度はシカやイノシシを絶滅させればいいじゃないか。

 俺たちの生活にはシカやイノシシなんて必要ないんだし。


 こんな意見が出てくる?


 いやいや、さすがにそれは……。


 こいつらがいなくなれば、今度は小動物とかがイキり散らすことになるのではないでしょうか。


 シカやイノシシは草食動物なので、小動物を駆除しませんが、少なくともこれまで彼らが食べていた餌は自動的に余ることになる。

 それに熊は野生生物の死骸を食べる役割も担っていますから、その熊がいなくなると、たとえば今度は、虫とか、それを食べるネズミとかも増えるかもしれません。


 オオカミと同じようにシカやイノシシを絶滅させることはできるかもしれませんが、ネズミを絶滅させることは人間にはほぼ不可能です。

 

 ネズミは夜行性なので、昼行性の多くの鳥とはニッチが異なり、鳥による駆除もあまり期待できないと思います。


 実際にこうなるかどうかわからないですが、熊がかわいそう、とか以前に、野生動物を殺しすぎるとその影響は鏡の反射みたいに人間にも跳ね返ってこないわけがないと思います。


 最近ではなんとなく自然を克服したような気持ちになってしまいますが、人間はどこまでいっても、地球という生態系のなかで生きる動物の種のひとつに過ぎないのだということを忘れてはいけないと思います。


 まあ、それでも熊の被害が騒がれているので、熊をなんとかしなければ、という気持ちもわかるんです。

 熊とかは、台風とか津波みたいな自然災害と違って、鉄砲で撃てば死にますから。


 でも、そういう安易なもんじゃないよなあとも思うんです。


 ◆


 ちょっとぼくの話をします。


 ぼくは、北海道で生まれ育ちました。

 だから、山が近い場所では、熊が出没したというニュースは日常茶飯事でした。


 ちゃんと調べたわけではないのですが、少なくとも現在ほどは、熊が出たからといって殺す、みたいなことにはならなかったんじゃないかなあと思っています。


 4〜6万頭くらいしかいないのに、毎年1万頭も撃ってたら簡単に絶滅しちゃいますから、ぼくの感覚はそこまで間違っていないのではないでしょうか。


 それでは熊が出たときはどうしたかというと、ぼくたち庶民とかは『熊がいるっぽいから注意しようね、外にあまり出歩かないようにしようね』くらいにふわっとした感じで、ある意味で熊に敬意を持って生きていたような気がするんです。


 熊? 出るよね? そういうものだから仕方ないよね、みたいに。


 こんなことをいうと怒られるかもしれませんが、ぼくはどちらかというと人間よりも動物のほうが好きというか、そもそも人間も動物のうちの一種でしかないのだから、日本という同じ場所、同じ時代に生きている者同士、仲良く生きていけないかなあ、みたいに考えているところがあるんです。


 それに、年々、人間が神経質になっているのではないか、という気もしています。


 たとえば印象的なのは、タバコとかですかね。


 昭和の時代は電車とかでタバコを吸っていても、誰も文句をいわなかったといいます。

 近くに小さい子がいるときは「控えよう」みたいに思う喫煙者がいてもおかしくなかったと思いますが、周りの人も「タバコの匂いがするのは当たり前」みたいなゆるい空気のなかで生きていたのではないでしょうか。


 最近変な人が多いから、みたいな言葉もすっかり定番になったような気がします。


 でも実際の犯罪率は、調べてみると基本的に年々減少傾向にあります(ただし、最近は少し増えたみたいですが……)。


 いまでは知らない人に挨拶をされた、みたいなことで通報があったという話もたびたび聞きます。


 こういう現象が起きるのは、自分たちを取り巻く環境が悪くなったからではなくて、人の心が狭くなったから、とも考えられないでしょうか。


 最近では、なにか不快なことがあると、色んな人が『こいつが悪いから俺が不快になっている。だからこいつを排除すれば平和が取り戻されるはずだ』みたいに次々に自分たちで仮想敵を作り出し、それを排除する、みたいな短絡的な方向に進みがちになっているような気さえするんです。ぼくの気の所為でしょうか。


 たしかに2025年は人里に現れる熊が多かったらしいですが、さすがに撃ちすぎなのでは……。


 平和の維持のため、ある程度の駆除は必要でしょう。

 でも、絶滅させてしまいそうなくらい駆除するのは、さすがに意味不明ではないですか。


 上でぼくが書いたようなことは、熊が絶滅することで発生する現象の、ごく一部にすぎないでしょう。


 やれやれ、オオカミの次は、熊ですか。


 いつまでも学ばないねぇー!?


 という気持ちがしてならないのです。


 でも。


 もし仮に熊を絶滅まで追いやってしまったとしても、それもまたぼくたち現代人という、信じられないくらいアホな生き物の姿なのかもしれません。



 了

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