第9話*at a brook garden
休日の昼間、昼食時のフードコートには入れ替わり立ち替わり多くの人が行き交っていた。付近で子ども向けのイベントが行われていたようで、親子連れの姿も多い。ルーファスは目当ての人物を探して、人込みを縫うように進んだ。待ち合わせの相手は、フードコートを抜けたところにある庭園スペースにいるはずだ。フードコートから緩やかに続く庭園部分は一面が芝生に覆われ、人工の小川が設けられている。植物は仕切られた花壇にではなく地植えされ、あちらこちらに立つ広葉樹の葉は日光を柔らかく遮って、足元に設置されたベンチやテーブルに木漏れ日の斑模様を描いていた。自然の景物を部分的に切り取って無理やり人工物の中に嵌め込んだような、ちぐはぐな印象を受けるスペースだが、街中の商業施設内で手軽に緑と触れ合えるとあって人足は絶えない。
「こんにちは。サキさん? ですよね?」
ようやく見つけた黒髪のハウンド。名前や顔はよく知っているが、個人的に話すのは初めてだ。
「あ、どうも」
背後からの声にふり返ったサキが、椅子から腰を浮かせた半端な姿勢で会釈する。ルーファスはサキの正面に回り込み、小さなテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰かけた。
「はじめまして。エクラン・ケンネルのサフィールのハンドラーで、ルーファスといいます」
「はじめまして。……っていうのも変な感じだな、あんたたちのことはよく見てるから」
「僕も、あなたたちのことはよく見てますよ」
ゲームの「対戦申し込み」のフォームを利用して、ルーファスがサキに連絡したのが先週の月曜。ハンドラーと一緒に、都合がつかなければどちらか一方でいいので会いたい、との申し出だった。
「突然の連絡ですみません。個人的な伝手がなかったので、仕方なく……」
「いや、それは構わないけど」
サキは、大学に通うカラフとは日程を合わせることができず、単独でやって来たことを説明した。同じく大学生であるルーファスにとっては想定内だったようで、複数のレポート課題をかかえて悪戦苦闘しているカラフに気遣いの言を述べる。
「ところで。来月末のイベントについて何か聞いてますか?」
「俺? 別に何も」
「そうですか。ではこれから連絡があるかもしれませんが」
ルーファスの話すところによれば、来月末にエクラン・ケンネルがイベントを主宰するらしい。目玉企画は、ハンドラーとハウンドのシャッフル。通常のペアリングではないハウンドとハンドラーに一時的にペアを組ませて、短いトーナメント戦を開催したいのだという。
「……どうなんだよ、それ。上手く行くか?」
「観客受けはいいと読んでるみたいです。実際、リクエストもあるらしい」
「どうだかなぁ。それで、何で俺にその話を?」
エクラン・ケンネルが何をしようと、それはそれで構わない。勝手にやってくれればいい。ハウンド使いが荒いイメージのある犬舎だが、実際は所属ハウンドをよくケアしているし、福利厚生も手厚い。その証拠に、一部外野からの悪評の割には、所属ハウンドからの愚痴や不満はまず聞こえてこない。はじめはサキも、犬舎がハウンドの不満をねじ伏せて外面を飾り立てているものと邪推していた。しかし、知り合いが増え、内部事情が漏れ聞こえてくるにつれて、サキもエクラン・ケンネルのハウンドの扱いを見直すようになった。何も知らない部外者には言わせておけばいいというスタンスでは誤解を広めてしまうと他人事ながらに心配したが、結局エクランに対する根拠のない非難の声は一定以上には大きくならない。まさに負け犬の遠吠え、僻みやっかみとしか認識されていない。エクランが、風評を打ち消すだけの結果を着実に残しているからだ。
「ブノワ社長は、あなたたちにも声をかけるつもりみたいです」
「は?」
「あなたたちのほかにも、犬舎所属ではない人たち何組かに」
「待てよ。それ、エクラン・ケンネル内部で完結してる話じゃないのか?」
「そこも話題作りの一環みたいですよ。犬舎に所属していない有名ハウンドは何人もいますから」
正直に言えば、巻き込まないでほしいというのがサキの本心だった。確かに、ペアリングを違えたハンドラーとハウンドがどのように対戦するのか、一個人としては興味がある。初対面のペアが、どの程度協力できるものなのか。本来のペアとの対戦になればある程度手の内がわかっているわけで、それをどのように往なすのか。本来のペアより、他人の相棒とのほうが適合率が高かった場合の気まずさは。しかし、自分がそこに当事者として関わりたいかというと、それは別の話だ。
「気乗りしないなぁ」
「今日は、内々にお返事を聞こうと思ったんですが、無理っぽいですか」
「俺だけで決められることじゃないし」
「そうですね。それにまあ、まだ企画段階ですし」
「うん、でも、教えてくれてありがとう。カラフに話しとく」
折からの風にさわさわと木々の枝が揺れ、サキが目を細めて頭上を見あげる。ルーファスは改めて目の前のハウンドを観察した。長めの黒髪を軽く束ね、枝を行き来する小鳥を目で追っている横顔。緑の瞳が印象的だ。どの犬舎にも所属していないハウンドの中ではかなり知られた人物で、ハンドラーのカラフ共々特に女性に受けが良い。犬舎のスターハウンドにも引けを取らないのはその見た目だけではない。ハンドラーであるカラフの驚異的な忍耐強さ、最初から適合率が七〇%超えだったというハウンドとの息の合ったコンビネーション、そのハウンドであるサキが見せる変化に富んだ多彩な攻撃。対戦戦績を見れば、勝率は七割に迫っている。
設備の整った施設で日々トレーニングを重ね、新しい技術や知識を身に付けている犬舎のハウンドであるならともかく、フリーの彼はどのように対戦技術を磨いているのだろう。生まれついての、天性の勘とでもいうのだろうか。
――モンスターだな。
緑色の目をした怪物――しかし、目の前のハウンドは「嫉妬」とは無縁に見える。勝率の高さから来る余裕なのか。しかも負け試合であっても彼らは明るく清々しい。サフィールが敗戦に拘り悩む姿とは対照的だ。片肘をついて頬杖し、風をつかもうとでもするかのように右手を伸ばしているしなやかなハウンド。庭園スペースに飛び交う人馴れした小鳥が、サキの手にとまった。例の武具を握るときはあれほど恐ろしい指先が、今は柔らかい日差しの中で小鳥を乗せている。その指の上でせわしなく左右に首を傾げ、跳ねながらくるくると方向を変える小さな鳥を見つめている、切れ長の瞳。笑みを含んだ口許。ルーファスは、このハウンドともう少し話してみたくなった。
「サキさん。このあとまだ時間ありますか?」
「ん?」
サキが顔を上げると同時に、小鳥が飛び去る。
「もし良ければ、もう少し付き合ってくれませんか?」
ルーファスの言葉を反芻するかのように、サキは黙って目の前のハンドラーを眺めた。
「それは、食事? 酒? ベッド?」
「……は? それは、どういう……」
当惑した表情を見せるルーファスを、サキが薄ら笑いを浮かべながら見つめる。
「どうって、言葉どおりの意味だけど?」
「……」
「そういうふうに見られてる気がしたんだけど、勘違いだった?」
「何なんですか、一体! 僕はそんなこと全く、」
「あー、ごめんごめん。違うか。失礼」
早くなる鼓動を、ルーファスは自覚した。そんなつもりは全くなかった。それなのに、隠し事を言い当てられたかのようなこの焦燥感はどうしたことだろう。
「サキさんは……、その……」
「うん。相手の性別は気にしない」
ルーファスの胸中に、嫌悪感に似た感情がうっすらと広がっていく。
「気持ち悪いだろ。ごめん」
「いえ、そんなことは――」
謝られるようなことではない。それに、このざらついた感情は、嫌悪感と似てはいるがそのものではない。ルーファスは、不穏な気持ちのどこかで、このハウンドへの更なる興味が湧き始めているのを感じた。
「あの。この際なので大変失礼なのを承知で聞きますけど」
あの強さは、彼らの特別な絆から生み出されているものなのだろうか。高いパフォーマンス、勝率、羨ましささえ覚える全ての強さの根源は。
「もしかして、ハンドラーのカラフさんとは、パートナーなんですか?」
「はい?」
「個人的な」
一瞬遅れて質問の意味を理解したらしいサキが、盛大に吹き出して笑いだす。
「あんた、それカラフに言ってみろ。後遺症が残るレベルで殴り飛ばされるぞ」
「違うんですか?」
「あいつは違う。全然違うよ。俺たちはただの友達同士で、ハンドラーとハウンドってだけだ。それにしても……そうかぁ、そういうふうに見られてる可能性もあるのか。面白いわ」
余程滑稽な見解だったのか、まだ笑いが収まらないサキの切れ切れになる言葉を、ルーファスは黙って聞いている。エクラン・ケンネルならこれをネタに何らかの売込み方法を考えるのではないかなど、楽しそうに話し続けるその顔から何故か視線を外せないまま。
「そっちこそ、いっそのことサフィールと怪しげな雰囲気でも演出すれば? 受けるよ、きっと」
「もし犬舎に命令されたら従いますよ。サフィールとはビジネスパートナーですから、あっちも納得するでしょうし」
「ビジネスパートナーって言っちゃうのか。案外ドライなんだな」
薄々感じていた違和感の正体を掴めたような気がして、サキは改めてルーファスを見た。先日のアンリーシュ騒動のときもそうだったが、このハンドラーとハウンドの関係に微妙な歪みを感じる。アリーナでは「俺様」なハウンドと温和で包容力のあるハンドラーを装っているようだが、あれは全て演技なのではないかとサキは思っている。実際は、冷徹なハンドラーが縋ろうとしてくるハウンドを突き放している、そんな関係に近いのではないか。根拠はないが、アンリーシュ騒動以降二人を観察していて抱いたのは、そのような印象だった。
「犬舎のハウンドと、あてがわれたハンドラーなんて、どこも似たり寄ったりですよ」
「そうかなぁ」
犬舎のハウンドを数名、サキは思い浮かべる。ハンドラーとは深い信頼関係で結ばれているペアがほとんどだという気がするが。
「ま、人それぞれだろうけど。ところで、せっかくのお誘いだけど、俺この後用事あるんで」
気まずい雰囲気になりかけていたところを、サキのほうから辞退してくれたことに、ルーファスは密かに胸をなでおろした。
「では、また詳細がわかれば知らせます。先にエクランから連絡が行くかもしれませんが」
「引き受けるかどうかわからないけどな」
庭園スペースを後にし、フードコートを抜けて店舗の並んだエリアに向かう。ルーファスは、つい先ほど別れたハウンドのことを考えていた。何が引っかかるのだろう。サフィールと同じ黒髪だから、他のハウンドより印象に残っていたのだろうか。いや、髪の色など関係ない。黒髪のハウンドなど大勢いる。では、彼らに対する劣等感? しかし知名度ではこちらが断然勝っている。ハンドラーやハウンドとしての立場を脅かされているわけでもない。勝率? それも、自分たちのほうがずっと上だ。もし対戦することになっても、負けはしない。――負けはしない? そうか? 勝てるのか?
ルーファスはふと立ち止まって、思考の波の中を一瞬で通り過ぎようとしていた不安感を捕まえようとした。犬舎に所属しないハウンドのうち、気になる人物が何人かいる。中でも、サキというハウンドのことは、以前から特に気になっていた。もし戦うことになれば――勝てないのではないか。何故そう思うのか、自分でも理由はわからない。わからないが、勝てないかもしれないと思わされてしまう何かがある。その何かが掴めないことに、苛々する。ルーファスのハウンドも決して弱くはない。いや、強いからこそ、エクランのピエル・プレシューズの一人、サフィールを名乗っているのだ。勝率八割以上を維持しているハウンドなど、ごく少数しかいない。サキとカラフのペアでさえ、勝率は七割にわずかに届かない。サフィールは文句のつけようのないハウンドで、普通に考えればサキに引け目を感じる理由などどこにもない。
それでも何かが足りないと思うのは、どこか気後れしてしまうのは何故なのだろう。あれが自分のハウンドだったなら、と考えてしまうのはどうしてなのだろう。
――もしかして、嫉妬してるのか?
ルーファスは、小鳥を指に乗せていたサキの姿を思い出す。あのハウンドが欲しくて、ハンドラーのカラフに嫉妬している? それともあのハウンドの能力に? サフィールに足りない何かを持っている気がするあのハウンドの才を、妬んでいるのだろうか。思考が支離滅裂に混乱して拡散していく予感がある。頭のどこか、まだ冷静さを保っている部分が、まともにものを考えられていない自分に警鐘を鳴らしている。息が詰まるような感覚を覚えて、ルーファスはゆっくりと深呼吸した。
緑色の目の怪物は、それ自身が嫉妬しているのではない。嫉妬そのものなのだ。古い戯曲のあの旗手は、それは人の心を食い物にして弄ぶものなのだと告げたのではなかったか。それなら、あのハウンドはやはり緑色の目の怪物だ。ルーファスの心を動揺させ、嫉妬という感情を植え付けようとしている。その感情はいずれ根付き、芽を吹き、蔓を伸ばしてルーファスの心を雁字搦めにするだろう。そうなる前に打ちのめさねば。不安の種は、取り除かなければ。
カラフのもとに、エクラン・ケンネルの社長名義で連絡があったのは、サキがルーファスに呼び出された日の五日後だった。ご丁寧にというのか、仰々しくというのか、それはわざわざ封書で郵送されてきた。地紋の入った厚手の紙の封筒に、犬舎名は金で箔押しされていて、古風に蜜蝋で封緘されている。そんなところまでが芝居掛かって大袈裟だった。
「すげえ。社長の名前で連絡来た」
「まじか」
「見ろよ、ルイ・ブノワって署名してある」
さすがに文面は手書きではないが、署名部分は肉筆のようだ。
「お前の言ってたの、これか。ペアを取り違えてトーナメントって」
ルーファスに聞いたイベント計画を、サキはカラフに話していた。やはりカラフもその企画に不審な思いを抱いたようで、誘われても辞退するか、それとも客寄せイベントだと割り切って引き受けるか、二人でここ数日話し合っていたところだ。
「手紙まで来たなら、返事しないとダメだよな。どうする?」
「ハンドラー様のご判断にお任せ」
「おい、丸投げすんな」
サキは、あの日別れる間際のルーファスに感じた何ともいえない不穏な気配を思い出していた。このイベント自体にも、あまり気乗りはしない。それでも、カラフが出場依頼を承諾するなら従うまでだ。
「あんたが決めてくれよー。飼い主なんだから」
「飼い主じゃねえ! 誤解招くような言い方やめろ!」
顔にも言及していないし綽名で呼んだわけでもないのに飛んできたカラフの拳を、間一髪のところで避ける。
その日、自分は誰と組んで闘技場に立っているのだろう。そして、あのハンドラーは。まだ決まりもしていない来月末の対戦に、サキは思いを馳せた。
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