──壱── 純愛、出逢ひて。
妖しき青年
この世は無情な地獄である。
陰と陽が混在する華やかで
ひとは
数少ない狭間の者は
しかし、一歩表から外れれば彼らは何者でもなくなる。表と裏の架け橋という名の道具に成り下がるのだ。
道具はいずれ寿命を迎えて朽ちる。それはひとも同様であるが、狭間の者とひとの寿命では意味合いが違うのだ。
この國は元来、穢れていた。それは帝ノ
中間に生きる者たちはこの國が穢れた土地であると理解しながらも事実を黙認している。
犠牲無くして均衡は保てない。それがこの國の、世界の
この
陽に生きる者は爛々と陽光を浴びて
ひとは犠牲の上で生きているとは
そんな世界の片隅で怠惰に溺れる男がひとり。男は手入れのされていないであろう髪を乱雑に掻き上げ深いため息を洩らす。
男が嘆息するその理由は明白。男には“あか”が足りていなかった。
自身を恍惚と沼に引き
──あか。あか。あか。
この寂しがり屋を満たせる“あか”はどこ?
赤、紅、赫。
この狂った鬼人を愛せる“あか”はどこ?
知らん子、要らぬ子、孤独な子。
誰でもいいから、この流浪なワタシを“あか”で染め上げてくだされ!
気怠げに伏せられた三白眼に映るのは華美な街。和洋折衷──多種多様な人々が往来する陽の世界。
この橋からは様々な景色が一望できる。
例えば、そこの女學生。桜吹雪の中で艷やかな髪を靡かせる彼女たちはまるで春の精のよう。
例えば、そこの男子學生。漆黒の帽子と乱れのない制服を纏い
「若いって、いいねェ……」
皮肉交じりにそう嘆いてみるが自身の醜さが露出するだけ。
嗚呼、嫌でも耳に入る朝の活気が心底憎らしい。
嗚呼、ころころと鈴を転がして笑うひとの声が心底煩わしい。
男には何もなかった。
残ったのは“あか”に心酔する猫背の三十路のみ。血色感のない顔には所々にたるみと皺が刻まれている。極めつけにはどんな
男にも遠い昔には愛人がいた。男は彼女の
そんな愛した
それからだろうか。男がどんな“あか”を
國を隅々まで探索しても男が望む“あか”は
ふぅ、と吐いた紫煙が春風に融けていく。男は擦り切れだらけの指先で悪戯に
はらはらと指の隙間から焦げた鱗粉が零れ落ちる。併せて
「……くそっ、思い出せねぇ」
このまま無駄に日々を過ごすならばいっそ、死んでしまえば──と男の脳裏によぎり──自嘲する。
男は小心者であった。男に死ぬ勇気があれば、とうの昔に帯で首を吊るなどして自死を選んでいただ
ろう。
──いっそ、殺されてしまおうか。
過去からも“あか”の熱情から逃れられないのならば、全財産をはたいてでも殺しを依頼してみようか。
刺殺、撲殺、毒殺、何でも構わない。己の息の根を確実に止めてくれるのならば、快楽殺人鬼にも喜んで身を差し出そう。
「……馬鹿らしい」
男には裏社会に通ずる伝手は愚か身近な友人でさえもいない。ひとりぼっちの淋しい人生なのだ。
帰ろう。帰って安い酒でも飲もう。浴びるように飲んで、浅い夢の海に沈んでしまおう。
男は曲がった背を反らし伸びをする。空は果てしない蒼穹。ぼきぼきと鳴る骨だけが男に現実を突きつける。
酒の
痛みに悶える男の視界の端を
「あっ、俺の鞄!」
気がついた時には時既に遅し。間髪入れずに盗人を追うが
しかし男は追い続ける。肺が痛もうとも、身体が悲鳴をあげようとも鬼の形相で走った。
盗まれた鞄は
だが無情にも距離は開いていく。これほどまでに自身の年齢を
数十メートル先は雑多溢れる市街地。盗人がひとの波に呑まれてしまえば追跡は絶望的になる。
しかし相手は若い
万事休すか──と諦めかけ──はたと気づく。
空を覆う巨大な
絢爛たる風貌のそれが學生服姿の青年だと気がついたのは盗人の悲鳴が響いたときだった。
鍵の開いた鞄から散らばる筆と色彩豊かな紅。びゅう、と風に吹かれた桃色の花弁が青年を飾る。
眉目秀麗──それ以外言葉が思い浮かばない。
濡れた黒髪にすらりと伸びた体躯、陶器の如く白い滑らかな肌、切れ長の双眸に澄んだ硝子玉の瞳。儚く伏せられた睫毛の隙間から覗く
青年の
盗人の爪が、ぴ、と青年の頬に一本の線を描いた。つう、と裂けた肉から流れる鮮やかな液体。
──
くらりと目眩がした。完璧であった造形にひとつの欠陥が露わになった、ただそれだけなのに、この光景の異質さから目が離せない。
それは盗人も同じようで、大きく目を見開きぼそぼそと何かを呟いている。男は青年に見惚れていたが、反対に盗人は恐怖に肩を震わせていた。
青年はその一瞬の隙を見逃さず、より一層強く盗人を押さえ込む。盗人は震える声で何度も懺悔を繰り返したが遂には泡を吹き地面に崩れた。
どうやら気絶したらしい。白目を剥きぴくりとも動かない姿は死人と相違ない。
どくどくと心臓が疲労と困惑で早鐘を打つ。目の前で起きた一連の出来事に理解が追いつかず呆けていると、青年が男の頬に触れた。じんわりと
この青年は何者なのだろうか。
何故、男を助けたのだろうか。
否、それよりも。
この蠱惑で美しい青年に己のすべてを捧げてしまいたい──。
これは洗脳か、はたまた錯覚なのか。
青年の整った目が細められ、弦楽器のような声が男の耳朶を
青年は結びかけていた言の葉を再び紡いだ。
「ねぇ、せんせ。おれに
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