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……綺麗だ。
その女性は決して華やかなタイプではなかったが、野暮な眼鏡の下には凛とした美貌が隠れていた。
肌は雪のように白く、顔のパーツは1つ1つが丁寧に作り込まれた芸術品のように美しい。
その繊細な造形美に、史郎は一瞬で心を奪われた。
不自然な間に、女性が首を傾げて問う。
「おいくらでしょう?」
「あっ、すみません。えーと、880円です。」
「ゆーこがおかねをだす!!ゆーこがおかねをだす!!」と、小さな怪獣が再び女性の足元で暴れ始めた。
母親と顔は似ていないが、無邪気で可愛らしい子だと、史郎は思った。
母親がやれやれと言う風に娘に財布を手渡す。
娘は夢中で財布を探り、史郎はその隙を狙って女性に声を掛けた。
「あ、あのぅ…。」
その声は年甲斐もなく緊張に上ずっていた。
「この辺ではあまりお見かけしない顔ですね。いや、ほら、ここは小さな商店街でしょう。利用客の大抵は顔見知りなもんですから…。」
「ええ、先週末にこの街に引っ越してきたばかりでして。」
言いながら、しかし、女性は史郎の方を見ていなかった。
その視線は一心不乱に財布を探る娘の姿に注がれている。
幼い娘がちゃんと指定の金額を出せるのかというより、いささか元気すぎる娘が何かの拍子に小銭を床にぶちまけないか心配しているようだった。
別に幼児と張り合うつもりはないが、史郎は彼女の視線を何とかこちらに向けたくて、次の話題を振った。
「娘さんはおいくつなんですか?」
すると、この質問には本人が胸を張って答えた。
「おーのゆーこ!!3さいですっ!!」
言いながら『おーのゆーこ』が元気いっぱいバンザイする。
その瞬間、財布が宙を舞って、小銭がダイナミックに店内の床に飛び散った。
「…………夕子さん。」
たっぷりと間を置いた後の不穏な声に、何故か史郎の方が緊張に身を強張らせた。
が、呑気な『おーのゆーこ』は母の静かな怒りに気付かない。
ただ自分の失敗を誤魔化す知恵はあるらしく、突然母親の足にピタッとくっついたかと思うと「おかーしゃん!!しゅりしゅりしゅりしゅりしゅりー!!」
そう言って、母親の脚線美に鼻先をこすりつける。
その謎の行動に、母親も脱力せざる得なかったようだ。
「夕子さん…本当にもう、あなたという人は…。」
言いながら吐いた息には、もう怒りは含まれていなかった。
こすりつけられる鼻先がくすぐったいのか、フッと頬を緩める。
その瞬間、史郎はさながら月下美人が美しく花開く瞬間を目の当たりにしたような気持ちになった。
同時に、まだ3歳ながら母親の怒りを収める術を習得している娘に感心する。
母親が身を屈めて小銭を拾い始めると、周囲の客も集まってきた。
「大丈夫ですか?」「あらあら、大変。」
史郎もカウンターから飛び出し一緒になって小銭を拾い集め、母親がまたしても謝罪の言葉を口にする。
そうして入店してからずっと謝りっぱなしの彼女に、史郎は思わず苦笑した。
その時だった。
小銭を集める母親の白く細い指先と、史郎の肉付きのよい指先が、ふとした拍子に触れ合ったのは。
刹那、史郎の全身を電気のようなものが走り抜け、脳に鮮烈なイメージをもたらした。
それは、家族の絵だった。
自分と美しい妻と幼い娘が、お日様の下で仲睦まじく手を繋いで笑い合う、温かな家族の一枚絵。
妄想と呼ぶには妙にリアリティのあるそれに、史郎は一瞬でのめり込み、同時に確信した。
自分はようやく理想の家族、いや、本当の家族に巡り合えたのだと。
そうしてその家族のイメージに酔いしれながら、史郎は彼女の指の確認も怠らなかった。
繊細な硝子細工を思わせる指には、指輪も指輪痕もなかった。
この母娘は何か訳ありなのかもしれないと、男の勘が告げる。
小銭を集め終えると、母親は深々と頭を下げた。
「ご親切にどうもありがとうございました。」
「ありがとーございましたっ!!」と、娘も母親を真似て頭を下げた。
店内は再び温かい空気に包まれ、史郎が女性に改めて声を掛けようとした、その時だった。
まるで史郎の明るい家族計画の第一歩を阻止するように、店のドアが乱暴に開いたのは。
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