A-01・4

「あの、どうしましょうか、羽田さん」不安そうな顔のまま、凪咲ちゃんが私を見上げる。「やっぱりこの電車、変ですよ。乗務員もいなくて、ずっとトンネルの中で」


 ――わたしたち、これから、どうなってしまうんでしょうか。

 自分より小柄な少女が恐ろしがっているのを見ていると、心が痛む。しかし、これからどうなってしまうのか……なんてことは、私も聞きたいことだった。


「とにかく、残りのお二人を起こしてみるというのはどう。何かわかるかもしれないわ」

「そうですね」


 何分経てども状況は一向に変わらない。それなら、ここにいる乗客全員で、事態を共有した方がいい気がした。

 四人で連れ立ってまずは八号車に向かう。


「……この人かな」


 八号車で眠っていたのは私と同年代くらいに見える人だった。前髪が極端に長い黒髪の痩せ型で、黒いタートルネックと細身の黒いパンツが、すらりとした身体をさらにヒョロく見せている。


「わかりやすくド陰キャって感じのやつだよな」

「なんで初対面の人にそういうことが言えるんですか? 最低です」

「うるせえなぁ……なあ、あんた、起きてくんない。今意味わかんないことになってるんだって」

「あ、ちょっと……」


 凪咲ちゃんが止めるのも構わず、彼を起こそうと小谷くんが乱暴に肩を揺する。

 さらに、おい、と耳元で言ったことで、青年はびくっと全身を強ばらせた。そして目を見開き、「え? 何?」と困惑したように辺りをキョロキョロ見回す。

「な、なんなんすかあなたたち……え? 何ここ? 寝過ごした? うわうわうわやらかした、せっかくちょっと遠くのアニショ行こうと思ってたのに最悪」

「何ぶつぶつ言ってんの? あんたも普通にこの電車乗って寝落ちてこんなところに連れてこられたクチ?」

 目の前の人間が小声の早口で何か言っているのなんぞどこ吹く風。そんな、ぞんざいな態度の小谷くんが、さらに「あんた名前は?」と問う。


「こ、こんなところて……。いや、なんでそんな個人情報を見知らぬ高校生に言わなきゃいけないのか意味わからないんですけども、それは」

「ごちゃごちゃうるせぇな。もうここにいる皆ハジメマシテ済んでんだよ。いいからとっとと教えろよ。あんた学生? 高校生じゃないよな」

「専門学生だけど……も、もう、なんなんだよ本当に。何者なんだよあんたたち」


 寝ぼけた思考回路だった上に、小谷くんに半ば脅されるようにして名乗った名前は、中野樹季いつき。専門学生だという。歳は私より同じで二十一歳。チンピラにカツアゲされるようにして自己紹介させられた中野さんに、私は少し同情の念を抱く。


 ――とにかく状況を説明しなきゃいけない。


 そう思い、自分たちの置かれた状況を、わかっている分だけ説明する。

 中野さんもこちらの説明を聞き、数分間自分のスマホを見て、時計が止まっているのを確認し、驚いていたようだった。そして、目を丸くしながらぽつりと言う。


「……なんか、きさらぎ駅に来たみたいだ」


「きさらぎ駅?」

「知りません? 有名な都市伝説なんだけど」


 中野さんによると、オカルト話の中には、異界駅――という怪談があるのだという。

 その話は、二〇〇四年に掲示板で話題になって、そのまま世間に広まったらしい。オカルトに興味がある人間なら間違いなく聞いたことがあるってくらい、よく知られてる話だという。そしてその内容は普通に電車に乗って帰宅途中だったはずが、気づけば存在しないはずの無人駅に降り立ってしまった、というもの。


 ――私たちの置かれた状況とよく似ている。


「じゃあなにか。俺たちはそのきさらぎ駅? ってとこに運ばれる最中ってことなのかよ」

「さ、さあね。ネット上で語り継がれてきた話だから、いろんな説があるんだよ。気になるのは、きさらぎ駅の前の駅は『やみ駅』で、後の駅は『かたす駅』だとか。そ、それでやみは黄泉を、かたすは根之堅洲国を指していて、電車はあの世ゆきなんだとかなんとか」


「あの世ゆきって」凪咲ちゃんが呆然とした声を漏らす。「そんな……」


「長いトンネルをくぐっていく都市伝説は僕も知らないから、これがきさらぎ駅ゆきの電車なのかは知らないけど。でも、異界駅ゆきの電車なら、駅のルールを守らないと……まずいことになるのは、たぶん、そう」

 中野さんが長い前髪をつまむ。案外大きな瞳に嵌められたカラコンと、鼻の上に散らされたそばかすがちらと見える。

「ふーん」心底馬鹿にした声音で小谷くんが言う。「じゃ、俺たちはあれか。電車に乗って地下世界まっしぐらってことか」

「わ、わからないって言ってるだろ。それに、この電車が下っていってる感じはしないし。違う駅に着くのかも。異界駅ってネットロアだけでたくさんあるし」

「まあいいよ。電車あの世ゆきだろうがどこ行きだろうが、電車に閉じ込められたままなら餓死で結局あの世ゆきだろ。まずは駅に着いてもらわなきゃいけないわけだ」


 ――それもそうだ。

 私は座り込んだまま俯いている中野さんを見た。


「あの、中野さんて、こういう不思議な現象に詳しい方なんですか」

「……別にくわしいとかでは。僕はただ、洒落怖とか都市伝説とかそういうのが好きってだけで。あ、でもここからなら死者板にも繋がるかも。もしかしたらそこで有意義な話が聞けたり……」

 早口で呟く中野さんが何を言っているのかわからなかったが、私はとりあえず、「なら、ついてきてもらえませんか」と中野さんの肩に手を置いた。

「私たちこれから最後の乗客の方を起こしに行くところなんです。もしかしたらあなたの方が、今の状況をその方に正確に伝えられるかもしれませんし」

「はあ……」

 まあいいですけど、と言って中野さんが立ち上がった。やはり長身だ。だがだからこそ尚更ヒョロく見える。


 相変わらず電車の外の光景は変わらない。ずっとトンネル橋を渡っているらしい。日本で一番長いトンネル橋とはどこなのだろう。きっと私たちは、その何倍もの距離のトンネルの中にいる。

 ここが普通の、この世のどこかに実在するトンネルの中ならば、だが――。


「十号車……ですが、本当に一人しかいませんでしたね」

「じゃあ、これで乗客は全員ってことだね」

「全部で六人、皆して不思議な電車の中……。どうして私たちだけが、こんな不気味な目に」

「本当にそうだよね」


 不安そうに呟く凪咲ちゃんの言葉に頷きつつ、私は端の席に座り、窓に頭を預けて眠る女性を見た。

 二十代後半から三十代前半といったところだろうか。オフィスカジュアルというのだろうか、整った見た目と服装をした美人だ。

 気持ちよさそうに眠っているのでやや躊躇しつつも、私はそっと、ベージュのジャケットを着た彼女の肩を叩いた。「あのう、すみません。起きていただけませんか……」

「……ん……」


 女性の瞼が持ち上がる。くるんと上を向いた睫毛。やはりはっと息を飲む程の美人だった。

 美人はしばらくぼんやりとした眼で私たちを見ていたが、突如はっとした顔になると、慌てたように立ち上がった。


「すみませんっ。もしかして終点ですか?」

「あ……」

「起こしてくださってありがとうございます。今日はほとんど残業してないのに、すっかり寝過ごして……あれっ」

 寝過ごしてなさそう。そう、彼女は驚いたように呟く。

 そして、辺りを確認しようとして、その瞬間だった。


 ――がたん。


 強く電車が揺れた。規則的な揺れではない。瞬間、灰色だった景色が、紅く変わった。

 鮮やかな赤い光が、呆然とする六人の乗る十号車の車内を染め上げる。


「トンネルを抜けた、のか……?」


 小谷くんが唖然と呟いた。

 赤い光は傾いた陽の光のようだった。それにしては毒々しすぎる色のような気がしたが、そんなことはどうでもよかった。

「あの。ここは……どこですか?」

 未だ名前を知らない美人が、困惑しきった声で言う。

 ここまでのやりとりで、半ば想像はできていた。だが、そう――私たちは皆、窓の外の景色を知らなかった。

 陽の光で赤く染まる山々も。眼下に広がる赤赤とした彼岸花の花畑も。

 窓の外、近づいてきているように見える無人のホームも。

「そうか……」

 さっきの揺れは、電車が橋を下りた時の揺れだったのだろう。そして、今は長いトンネルを抜けて、彼岸花の野にいる。黄昏時の先が赤くなっている――。


「逢魔が時、ということなのかしらね」


 米津さんの言葉がどこか遠くに聞こえた。

 逢魔が時。私でも聞いたことのある言葉だった。たしか昼と夜が移り変わる夕刻を指す言葉で、魔物や大きな厄災に出会う時間帯とされている、と。

 電車の速度がゆっくりになる。やがて音を立てながら止まる。続けて、ぷしゅう、という扉の開閉音。

 まさに、トイレすらない田舎の駅、といった印象のホーム。踏切と、どこまで繋がっているのかわからないほど先まである線路。私たちは呆然としたまま、開け放たれた電車の扉の向こうに広がっている、美しくも禍々しくもある彼岸花を見つめていた。



 駅看板にはこうあった。


 

『繧医≧縺薙◎ 縺シ縺溘>縺溘■繧』




 ――ああ、なるほど、と頭のどこかで納得を示す声が聞こえる。


 ここは確かに私たちの生きる世界とは別物だ。ここが異界駅というのは、言い得て妙というほかない。

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