浪花食い倒れ物語:御膳所仕込み「梅の屋」繁盛記

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​第一話:焦土の朝、黄金の雫


浪花食い倒れ物語:御膳所仕込み「梅の屋」繁盛記


​第一話:焦土の朝、黄金の雫

​慶長十九年、冬。

大坂城の金瓦を焦がさんばかりの火柱が上がり、かつての「黄金の都」は一夜にして阿鼻叫喚の坩堝と化した。

雪の混じる風に吹かれ、焼け落ちた城の惣構えを見つめる男がいた。

源蔵である。

彼の懐には、城内の猛火から命がけで持ち出した一本の包丁があった。

「……源蔵さん、もう、お城は終わりました。でも、私たちの命は終わっておりません」

傍らに立つ妻のお菊は、煤で汚れた着物の裾を握り締めながらも、その背筋だけは決して曲げなかった。

これが、すべての始まりであった。

​元和元年、夏。

戦の傷跡が生々しい船場の東横堀川。

運河を掘る土の匂いと、家を建てるための焼き杉の匂いが混じり合う混沌とした街の片隅に、十歳の梅子はいた。

彼女の小さな手は、天満の泥の中から掘り出された、形の悪い、しかし生命力に溢れた大根を抱えていた。

「お父ちゃん! これ、誰も買わないって言ってたけど、かじったらお日様の味がしたよ!」

梅子のその一言が、源蔵の魂を震わせた。

お城の御膳所にいた頃、源蔵は最高級の食材しか目にしなかった。だが今、目の前にあるのは、泥にまみれた「生きるための糧」である。

源蔵は、焼け残った廃材を拾い集め、小さな店を建てた。

名前は、末娘の名から取って「梅の屋」とした。

​開店の日。

客は一人も来なかった。

当たり前である。街の者たちは、今日を生き抜くための粥を啜るのが精一杯であった。

だが、源蔵は厨房で静かに、しかし恐ろしいほどの集中力でお菊が井戸から汲み上げた水を火にかけた。

「松子、竹子。昆布を入れろ」

十六歳の松子が、道修町の薬種屋の裏で手に入れた、欠けだらけの真昆布を鍋に沈める。

十五歳の竹子が、火の粉を浴びながら、絶妙な風を送り込み、温度を保つ。

沸騰する直前。

鍋の中から、琥珀色の、いや、かつての大坂城の金瓦よりも美しく輝く「黄金の雫」が生まれた。

その香りが、船場の湿った風に乗って、街へと流れていった。

​「……なんだ、この香りは」

一人、また一人と、空腹に耐えかねた人々が店の前に立ち止まった。

中には、商売を再開しようとしていた道修町の薬種商の旦那もいた。

「主(あるじ)。この香りは、ただの出汁ではないな。絶望を知った人間が、再び立ち上がろうとする時の『祈り』の香りだ」

お菊が、淀みのない、しかし温かな所作で暖簾を上げた。

「いらっしゃいませ。ようこそ、梅の屋へ。まずはこちらの一杯で、お心を温めてくださいませ」

​梅子は、店先で誇らしげに胸を張った。

彼女の目には、戦火で焼けた灰色の街が、この出汁の色と同じ「黄金色」に輝いて見えた。

ここから、五十年にわたる、浪花の胃袋と誇りを守る戦いが始まったのである。

​第一話、結び。

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