第七話

放課後、帰りの車の中。

窓の外は夕暮れの光で満たされ、街路樹の影が長く伸びていた。

光の粒が車窓にちらちらと揺れて、どこか夢の続きみたいだった。


運転席の石ノ宮が無言でハンドルを握っている。

僕は後部座席で、ぼんやりとその背中を眺めていた。

隣に座る神藤さんのシトラスが、胸をくすぐっている。


彼がこの車に同乗するのも、もう当たり前になってきた。

朝はぎこちなくて、どう話しかければいいのかもわからなかったのに――

今では、ただ傍にいるだけで少し安心してしまう。


神藤さんは、いつも穏やかだった。

冷静で、落ち着いていて、言葉に無駄がない。

けれど時折、窓の外を見たり、くだらない冗談を言って僕を困らせたりもする。


完璧に見える人が、意外と抜けていて。

それなのに、その抜けたところすら、妙にあたたかい。


……こんなふうに誰かを近くに感じるのは、きっと初めてだった。

僕に近づく人は皆、“円城寺”という名に惹かれていただけだ。

本当の僕を見ようとする人なんて、一人もいなかった。


だから、こうして並んで座っているだけで――胸の奥が少し熱くなる。

なんてことのない帰り道が、少しだけ特別に感じられた。


そんなことを思っていた、そのとき。



「雪斗くん」



不意に名前を呼ばれ、顔をあげる。



――その瞬間。



「伏せて!」



鋭い声と同時に、世界が弾けた。


ガンッ――!!

車体を叩く衝撃が響き、フロントガラスが粉々に砕け散る。



「ひっ――!!!」



思わず悲鳴がこぼれた。

ガラスの破片が舞い、陽の光を受けて閃光の粒になって降りかかる。

頬をかすめ、熱い痛みが走った。


車が急ブレーキをかけ、タイヤが悲鳴を上げる。

身体が前のめりに引き倒され、視界がぐるりと揺れた。



「下がって!」



神藤さんの声。

その瞬間にはもう、彼の手が僕の肩を押していた。


次の銃弾が、右の窓を撃ち抜いた。

割れたガラスの向こうから、乾いた風が吹き込み、火薬の匂いが押し寄せる。



「な、何……なにこれ……!!」



頭が真っ白になった。

耳鳴りがひどくて、何を言っているのか、自分でもわからない。



「魔力で強化された弾丸だ」



落ち着いた声。

まるで戦場の只中でも呼吸が乱れないような、静けさ。



「身体を小さくして、動かないで」



短く告げると、神藤さんは助手席の窓を開け放った。

風が唸りを上げ、破片が舞い散る。

外の光の中で、彼のジャケットがひるがえった。


その動きには、一切の迷いがなかった。


黒く鈍い光を放つ拳銃が、彼の手の中にあった。

夕陽が銃身に反射して、まぶしいほどに光る。


パンッ――。


乾いた音がひとつ。

続けざまに、パンッ、パンッと短い連射。

そのたびに、光が閃き、空気が震える。


耳の奥がしびれるように熱く、心臓が暴れた。

怖い。

でも、目を逸らせなかった。


神藤さんの姿が、まるで風そのもののように見えた。

銃を握る腕の動きが、なめらかで、静かで――どこか美しかった。



「……当たった」



低く、短い一言。

それだけで、空気が変わった。


車の外の風が、急に穏やかになる。

ただ、風に揺れる木々の音だけが聞こえた。



「……い、今の……あの、し、死んだの……?」



息を詰めながら言葉を探すと、彼はこちらを見た。

その目がやわらかく緩み、微笑を浮かべる。



「大丈夫。急所は外した」



その声が、あまりにも静かで――

砕けたガラスの上に散る陽の光のように、淡くやさしかった。


僕の指先はまだ震えていた。

けれど、彼の言葉が落ちた瞬間、胸の奥の恐怖がすこしずつ溶けていく。


神藤さんの横顔が、夕暮れの光を受けて黄金色に染まっていた。

その横顔を見ているだけで、息が苦しくなる。



「……っ、はぁ……は、……」



砕けたガラスの欠片が、車内の床に散らばっていた。

冷たい風が吹き込み、火薬と焦げた鉄の匂いが混じる。


息が荒く、足がうまく動かない。

シートにもたれたまま、僕は呆然と外を見つめていた。


遠くで、鳥の群れが飛び立つ。

世界は確かにまだ回っているのに、自分の中だけ時間が止まっていた。


頬に、鈍い痛み。

触れると、指先が赤く染まった。

割れたガラスの欠片がかすめていたらしい。



「あ……」



小さく声が漏れた瞬間、開いたドアの向こうから神藤さんがこちらへ歩いてきた。


夕陽を背にして、光の中から現れた彼の姿は、どこか現実離れして見えた。

車の外ではまだ煙がくすぶっている。

その中を迷いなく進んできて、僕の前にしゃがみ込む。



「動かないで」



そう言って、彼は手を伸ばした。

指先が、そっと僕の頬に触れる。


ひやりとした温度。

そのあとに、やわらかい光がじわりと広がった。


空気の粒がきらめきながら、傷のまわりを包んでいく。

痛みが少しずつ遠ざかっていき、代わりに心臓の鼓動だけが耳の奥に残った。



「もう大丈夫」



小さな声。

まるで、子どもをあやすみたいなやさしい響きだった。


頬に触れる手は温かくて、その温度だけが、壊れかけた世界の中で唯一の現実に思えた。



神藤さんの手が、髪にそっと触れる。

撫でるように一度だけ、優しく。


言葉なんていらなかった。

ただその仕草だけで、胸の奥がほどけていく。


どれくらいそうしていたのだろう。

遠くでサイレンの音が聞こえる。

夕焼けの空は金色から群青へと変わっていった。


神藤さんが立ち上がり、淡々と通信機を取り出して誰かに報告をはじめる。



「鑓水さん。北西に五百メートル先、攻撃命中しました。至急手配を――え? もう済んでる? あ、そうですか」



……ヤリミズさん……あれ、聞いたことがあるような……。


僕は地面に座り込んだまま、その背中を見上げていた。

光に照らされた黒い背中が、まるで影と光の境目のようで――

ふと、思った。


あの人の手のひらは、こんな状況にあっても、どこか、懐かしい。


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