第三十一話 やよい、御膳所と医務の“二重生活”が始まる
🏯『大阪城台所所・やよい記』
第三十一話 やよい、御膳所と医務の“二重生活”が始まる——限界と成長の狭間で
——これは、わたくし曲直瀬やよいが、
“料理”と“医術”の両方を背負い、
初めて自分の限界と向き合った日の記である。
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◆ 朝は御膳所、昼は医務
その日から、やよいの生活は一変した。
朝——
御膳所で火を起こし、
千代と共に仕込みをする。
昼——
玄朔のもとで脈を診る稽古、
薬草の匂いを嗅ぎ分ける訓練。
夕刻——
再び御膳所に戻り、
病人のための回復食を作る。
夜——
玄朔の往診に同行し、
病の匂いを読む。
お市が呆れたように言った。
「やよい……
あんた、いつ寝てるん……?」
やよいは苦笑した。
「……分かりません……」
千代は腕を組んで言った。
「やよいさん。
倒れたら終わりよ。
料理も医術も、
“体が資本”なんだから」
玄朔も言った。
「やよい。
無理はするな。
だが……
おまえならできる」
やよいの胸が熱くなった。
(わたし……
二つの道を歩けるんやろか……)
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◆ 御膳所での試練
その日の御膳所は忙しかった。
千代が言った。
「やよいさん。
今日は“二十人分の汁物”を任せるわ」
やよいは驚いた。
「二十人分……!?」
「あなたならできる。
でも、火加減を間違えたら全部台無しよ」
やよいは火床の前に座り、
大釜を見つめた。
(火が……
揺れてる……
迷ってる……
薪を……
少しだけ……)
火が落ち着き、
大釜の湯が静かに踊り始めた。
千代が言った。
「やよいさん。
火を読む目が育ってきたわね」
やよいは微笑んだ。
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◆ 医務での試練
昼。
玄朔はやよいに三人の患者を見せた。
「やよい。
この三人の“脈の違い”を言ってみい」
やよいは一人ずつ脈を取った。
(この人は……
脈が浅い……
気が弱ってる……)
(この人は……
脈が早い……
熱がある……)
(この人は……
脈が重い……
体の奥に湿が溜まってる……)
「……こうです」
玄朔は目を見開いた。
「やよい……
おまえ……
ほんまに“脈が読める”んやな……」
やよいは胸が震えた。
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◆ 限界
夕刻。
御膳所に戻ったやよいは、
包丁を握ったままふらついた。
千代が慌てて支えた。
「やよいさん!
顔が真っ青よ!」
お市も駆け寄った。
「やよい、あかん!
ちょっと休み!」
やよいは首を振った。
「……大丈夫です……
まだ……
やれます……」
千代は厳しい声で言った。
「やよいさん。
“倒れるまで働く”のは覚悟やない。
“倒れないように働く”のが覚悟よ」
やよいは息を呑んだ。
(倒れないように……
働く……)
玄朔が静かに言った。
「やよい。
おまえは二つの道を歩いている。
だからこそ……
自分の体を守れ」
やよいは深く頷いた。
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◆ 夜の往診
夜。
玄朔の往診に同行したやよいは、
病人の枕元で脈を取り、
匂いを読み、
火の温度で部屋の空気を感じた。
玄朔が言った。
「やよい。
おまえは……
“医者の目”になってきたな」
やよいは胸に手を当てた。
(料理の舌……
医の舌……
どっちも……
わたしの中にある……)
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◆ 老いたやよいの一行
——あの日から、
わたくしの“二重生活”が始まった。
料理の道は火と味を学び、
医術の道は脈と匂いを学ぶ。
どちらも命を扱う道であり、
どちらもわたくしを強くした。
限界に触れ、
倒れそうになりながらも、
わたくしは二つの道を歩き続けた。
その道の先に、
“産科”という第三の道が待っていることを、
このときのわたくしはまだ知らなかったのである。
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