「男が好きなんだ」と婚約破棄されたので、男装して婚約者を口説き落とします!

久遠れん

「男が好きなんだ」と婚約破棄されたので、男装して婚約者を口説き落とします!

 学園の庭園に設置されている白いガゼボにキャンディスは呼び出されていた。


 呼び出したのは彼女の婚約者のアントナン。

 彼を愛しているキャンディスは胸をときめかせながら、一足早くそよ風の気持ちいいガゼボでそわそわとアントナンを待つ。


 目に楽しい庭園の花々も、浮足立った気持ちの前では視界に入らない。

 メイドが用意してくれたティーセットを目の前に、今日は何の話をしようと胸を高鳴らせていると、約束の時間から五分ほど遅れてアントナンが姿を見せた。


「ごきげんよう、アントナン様」

「ああ」


 どこか少し重苦しい空気を孕んでいるアントナンに、彼女は小さく首を傾げる。

 桃色の長く伸ばしている髪がふわりと揺れた。

 彼は席に着くなり、目の前のティーセットに目もくれず、衝撃的な言葉を吐き出す。


「婚約を解消してほしい」


 大好きで大好きでたまらない婚約者からの、突然の婚約破棄に等しい宣言。

 そんなときの正しい対処法ってなんだろう。


 ぼんやりとそんなことをキャンディスは考える。

 愛しい婚約者アントナンの口から零れ落ちた衝撃的な言葉に、頭は真っ白だった。


「どう、してですの……?」


 震える声でどうにか問いを口にする。

 婚約破棄を告げられるような不興を買う言動をしたのだろうか。


 それとも他に好きな人が出来たのだろうか。あるいはアントナンの両親の意向なのか。

 いや、それなら家を通して婚約破棄の打診が書面で来るはずだ。


(なにを間違えたの? 愛されるための努力をしてきたのに)


 母から教えられた通りに、男性が好む愛らしさを前面に押し出して生きてきた。


 桃色の髪は丁寧な手入れをしながら腰まで伸ばしているし、守りたくなるような愛嬌ある笑顔も忘れたことはない。

 化粧も研究を重ねて、元々の可愛らしさを前面に押し出すようにメイドに指示している。


 隙のない完璧な淑女ではなく、少し抜けたところを見せることで庇護欲がそそられるように振る舞ってきた。


 凍り付いた表情で膝の上で手のひらを握りしめた彼女から逃げるように視線を逸らし、アントナンは小さく呟く。


「僕は――凛々しい人が、好きなんだ」

「りりしい、ひと」


 おうむ返しに口にしてしまった。凛々しい人。

 キャンディスと真逆に位置するような人のこと。


「男性と見間違うような、凛々しさを持った人が好みで」


 頬をほんのりと朱色に染めて、アントナンはさらに言葉を重ねた。

 彼の好みは守りたくなる令嬢ではなく、守ってくれる人だということだ。


 キャンディスは前提を履き違えていたのだ。

 母の言うことを鵜吞みにして、一番優先しなければならない相手の意見を聞かなかった。

 それこそが彼女の落ち度だ。


「そういうことだから。さよなら、キャンディス」


 言いたいことを言うだけ言って、アントナンはその場から立ち去った。

 あとに残されたのは呆然自失としているキャンディスと、いたたまれない空気に耐えるメイドだけだ。






(絶対絶対絶対! アントナン様を振り向かせてみせる……!)


 アントナンが立ち去ってから約一時間ほど経過してから我を取り戻したキャンディスは、ぎりぎりと奥歯を噛みしめて学園から屋敷へと帰宅した。


 普段は可憐な花のような彼女が般若の形相で帰宅したので、屋敷は上から下への大騒ぎになった。

 それら一切を無視して自室に引きこもったキャンディスは、ドレッサーの鏡に映る自身と睨めっこをしている。


「アントニン様は凛々しい人、つまり男性が好みだと仰ったわ!」


 正確には『男性と見間違うような凛々しい人』だが、ショックでそのあたりが抜けているキャンディスは自己解釈を混ぜた。


「生まれ持った性別は変えられない! でも! 好みを寄せることはできるはずよ……!!」


 アントナンとの婚約が結ばれた幼少期、彼のあまりに整った甘い顔立ちに一目惚れしてから、キャンディスは彼に愛されるための努力を怠らなかった。


 結果的に裏目に出てしまったけれど、彼女にとってアントナンに愛されるための努力は苦でも何でもない。


 なにしろキャンディスは元々活発な少女だったのだ。

 ピアノや刺繍やお茶会より、子供用の木刀を振り回し、木に登り、庭の蛇を捕まえ、乗馬をする方が好きだったお転婆だ。


 それがどうして今のような大人しくて可愛らしくて愛らしい令嬢になったかと言えば、アントニンに愛される為だった。


 彼に一目ぼれした彼女は両親に訴えて婚約者の地位を手に入れた。

 その後、娘が活発すぎて心配していた母の助言に従って、愛されるために猫を一万匹は被った。無駄だったのだが。


「凛々しい男性になる……! そうよ! 男装だわ! サラ!!」

「はい、お嬢様」


 扉の傍で静かに待機していたメイドを呼ぶ。

 幼い頃から彼女付きの侍女であるサラは、キャンディスにとって姉のような存在だ。


「男装はなにをすればいいのかしら?! 髪を切ればいい?」

「髪は切らずに結ばれた方がよろしいかと。髪の長いご子息もたくさんいらっしゃいます」


「そうね。他には?」

「化粧を変えましょう。男装の麗人と呼ばれるような、美しい舞台メイクを習得いたします」


「ありがとう。それで?」

「学園の制服も男性のものにされてはいかがでしょうか。すぐに手配いたします」


「そのとおりね。もっとない?」

「声音を少し低くされたうえで、言葉遣いも変えられることを提案いたします」


「その通りだね。こんな感じかな?」

「はい、素敵です」


 冷静にキャンディスの質問に答えながら、暴走している彼女の思考を少しだけ引き戻す役割は長い付き合いのサラにしかできない。

 一つずつ彼女の問いに答えたサラは深々と頭を下げる。


「では、諸々の手配をいたします。明日からの学園のほうはどうされますか?」

「整うまで休むよ。せっかくならとびっきり好みの男になって、彼を驚かせたいからね!」


 にこりと笑みの種類まで今までとか得たキャンディスに、サラは落ち着いた様子で「畏まりました」と返事をした。


 部屋を出ていく背中を見送って、再び鏡の中へと視線を戻す。

 そこに映っているのは、たしかにキャンディスだけれど、笑みの種類を変えた彼女の顔はまるで別人のように笑っていた。




▽▲▽▲▽




 一週間後。


 男子制服を仕立て、布を巻いて胸を潰し、スカートの代わりにズボンを身に纏い、長かった髪を少しだけ切って整えて、首の後ろで一つに結った。


 そのうえで、サラの手によって歌劇役者の男装の麗人から習ったという化粧で顔を整えたキャンディスは、完全に別人のようだった。


 本当なら、桃色の髪は染めてしまいたかったのだが、母が「美しい髪を悼めるようなことをしないで……!」と泣き崩れたので妥協した。


 歩き方や喋り方は、兄を参考にすることにした。

 凛と背筋を伸ばすのは同じ、歩幅はいつもより大胆に大きく、肩で風を切るように歩く。

 柔らかい喋り方で、けれど語尾は変えていく。


 身長は厚底で誤魔化す。一見普通の靴に見えるが、踵が上がるように細工した特製の革靴を履けば、少しは身長も高く見えた。


 学園の前まで馬車で送ってもったキャンディスが姿を見せると、登校中の生徒たちがざわりと空気を換えた。


「あんな素敵な殿方、いらっしゃったかしら」

「桃色の髪の令息なんて、覚えがないわ」

「とっても素敵。甘い顔立ちにときめくわ……!」


 令嬢たちがひそやかにかわす会話を聞きながら、彼女が探すのはたった一人。

 愛おしいアントナンだけ。


 この時間、彼は一足先に登校して図書館に籠って居ることが多い。

 なので、彼女は教室ではなく図書館を目指した。


 本が整然と並ぶ図書館に足を踏み入れる。

 アントナンのお気に入りは、少し奥まった窓際の席だ。


 今日もそこに麗しい姿を見つけ、彼女は小さく微笑む。

 今までの令嬢としての守られるための甘い笑みではなく、男装の麗人に相応しい愛しい人に向ける優しい笑み。


 かつかつと足音高く近づく。堂々と歩み寄ると、アントナンは開いていた本から視線を上げた。


「……君は?」

「貴方のために変わりました。アントナン様」


 にこりと微笑んで胸元に手を置き一礼をする。この一週間、死ぬ気で兄に倣った令息のマナーを披露する。


 低い声を意識しているとはいえ、彼はすぐに目の前の人間の正体を見破った。


「キャンディス?!」


 素っ頓狂な声を上げたアントナンの驚く表情すら愛おしい。

 彼に愛される為なら、なんでもできる。それこそ、女を捨てることだってためらいはない。


「アントナン、変わった僕はどうでしょうか? 貴方好みになっていれば嬉しいのですが」


 笑みを浮かべてアントナンの頬に手を伸ばす。

 驚愕に目を見開いている彼の頬をそっとなで、蕩けるように笑う。


「答えてください、アントナン」

「き、きみ……!」


 頬をぶわっと赤く染めたアントナンの反応から、間違っていないと確信を抱く。

 本当はこのまま可愛がってあげたいが、あいにくと授業の時間が迫っているし、最初からかっ飛ばして引かれても困る。


「今度、一緒にお茶でも飲みましょう。僕はこの辺りで失礼します」

「っ……!」


 はくはくと口を動かしているが言葉にならない様子のアントナンを置いて、彼女は再び颯爽とその場を去った。






 その日から、キャンディスは積極的にアントナンに絡んでいった。


 今まで受け身で誘われるのを待つだけだった貞淑な令嬢だったのが嘘のように、甘い表情で彼自身の素晴らしさを伝えて口説きながら、流行のロマンス小説で読んだヒーローの行動を真似た。


 学友の令嬢たちが頬を染めて語り合っていた『顎クイ』や『壁ドン』をやってみたのだ。


 反応は上々。

 アントナンはキャンディスが行動を一つ起こす度に、顔を真っ赤にしていて可愛らしいことこの上ない。


 上機嫌に毎日を過ごしていると、いつの間にか『キャンディス親衛隊』なるものが出来上がっていた。

 授業の合間の休憩時間や放課後に令嬢たちから差し入れが届くのだ。日々増えていく差し入れを建前上はにこやかに受け取りつつも処分に困ってしまう。


(全部食べたら太るからな。とはいえ、好意で渡してくれているものを捨てるのも)


 そんなわけで屋敷でメイドたちにおすそ分けをしている現状だった。

 今日もまた放課後にキャンディスは図書館を訪れる。アントナンとの逢瀬のためだ。


 最近では彼女の姿を見るだけで顔を真っ赤にする彼に、キャンディスはにこにこと笑みが止まらなくなる。


 途中で令嬢に捕まって渡された小さな紙袋を手に図書館に足を運ぶと、いつもの指定席でアントナンは本を開いていた。


「アントナン様」

「――それは?」


 呼びかけに応じて顔を上げたアントナンが、彼女が手に持っていた小さな紙袋に視線を向ける。

 ああ、とキャンディスは軽く肩をすくめた。


「途中で渡されたんだ。後でメイドに」

「面白くないな」


 渡そうと思っている。その言葉を遮って、アントナンが眉を潜めた。

 穏やかな彼の口から吐き出された意外な言葉に、彼女は軽く目を見張った。


(アントナン様が嫉妬を……?!)


 可憐でかわいい令嬢を演じていたときには一度もなかった。

 他の令息に贈り物をされたり、口説かれたりしても、アントナンが気にしたそぶりを見せたことはない。


 それなのに。


(好みに合わせるって大事だな!!)


 心の中まで男としての言葉遣いが浸透しているキャンディスは、内心でガッツポーズをとる。

 婚約者の新たな一面にきゅんと胸を高鳴らせつつ、表情には出さないように気を付けて、彼女は微笑む。


「僕の一番は貴方ですよ。アントナン」


 爽やかな笑みを意識して笑うと、テーブルに本を広げたままアントナンが静かに立ち上がった。

 静かに近づいてきた彼のにこにこと微笑み続ける。


「僕も、男だからね」

「?!」


 ぐいっと襟元を引かれて、唇と唇がくっついた。

 触れ合うだけのキスを贈られて、目を白黒させるキャンディスに、仄かに赤く染まった頬でアントナンが挑発的に笑う。


「君は素敵な人だよ、キャンディス。僕は君に夢中だ」

「アントナン様……」

「可愛くて可憐な君も、僕の好みではなかったけど嫌いじゃなかった」


 ではなぜ婚約の解消を申し込んだのか。

 眉を潜めたキャンディスに、困ったようにアントナンが笑う。


「退屈な毎日に、少しの刺激が欲しかった。リードしてくれる女性が好みだったのは本当だし。――でも、君は僕の想像を超えてきた」

「そ、れは」

「婚約解消はなしだ。これからも僕の隣にいてほしい。キャンディス」


 ずっと欲しかった言葉だ。やっと口にしてもらえて、嬉しさからキャンディスはアントナンを抱きしめる。


 男装しているとはいっても、根本的に体型が違うので、どうしても抱き着く形になるのが悔しくはあったが。


「ありがとうございます! アントナン様!! 一生お傍においてください!!」

「愛が重いよ、キャンディス」

「ふふ、そういう僕が好きなんだるう?」


 一瞬戻った言葉遣いを修正して、挑むように微笑んだ。

 彼女の笑みに、アントナンは「僕の負けだ」と笑って彼女を抱きしめ返してくれたのだった。



◤ ̄ ̄ ̄ ̄◥

 あとがき

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