正か。否か。人の死を「数」として認識できる力を持つ、警察官の〈俺〉。 それは選ばれた能力ではなく、 均衡を保つために“与えられた役割”だった。
seragi
第1 違反
俺にとって、人は「数」でしかない。
寿命、死因、時刻。
そこに名前が付くのは、
処理を誤らないための記号にすぎない。
感情は不要。
記憶も不要。
それが、
死神としての俺の完全さだった。
⸻
記録を初めて見たときも、何も思わなかった。
二十七歳。
死因、交通事故。
時刻、午前八時四十二分。
場所、駅前交差点。
ありふれている。
特筆すべき事項は何もない。
ただ一つを除いては。
⸻
それは、奇妙なほど静かだった。
通常、人の寿命は微かに揺れる。
感情や選択によって、
波のように震え続ける。
だが彼女の線は、
最後の瞬間まで、ほとんど乱れがなかった。
まるで――
自分の死を、
どこかで受け入れているように。
俺はそれを不思議に思った。
ただ、それだけだった。
最初は。
⸻
迎えの日まで、
俺は何度か彼女を観測した。
仕事帰り、
駅前のベンチで一度立ち止まる癖。
自販機の前で、
必ず小銭を数え直す仕草。
横断歩道で、
青信号になっても
一拍、呼吸を置いてから歩き出すこと。
――生き急いでいない。
それが、異質だった。
⸻
ある日、彼女は道端の花を見ていた。
誰に贈るでもなく、
摘むわけでもなく、
ただ立ち止まって眺めている。
その間にも、寿命は減っていく。
確実に。
静かに。
それなのに彼女は、
「今」を急いではいなかった。
その瞬間、
俺は初めて
仕事とは無関係の思考を持った。
――この人は、
死ぬことより、
生きることを
ちゃんと見ている。
それは、
死を知っている俺よりも、
ずっと正しかった。
⸻
迎えの当日。
彼女はいつも通り、
駅前の横断歩道に立っていた。
バッグの持ち手を握り、
小さく息を吐く。
寿命の終点は、
あと三歩。
影の中で、俺は構える。
仕事だ。
迷いはない。
……はずだった。
⸻
信号が変わる直前、
彼女はふと空を見上げた。
雲の流れを確かめるように。
それから、
ほんの少しだけ微笑んだ。
理由はない。
誰もいない。
ただ、
生きていることを
確かめるみたいに。
その表情を見た瞬間、
理解してしまった。
彼女は、
死ぬ準備をしていない。
生きる準備を、
毎日している。
それを終わらせる権利が、
本当に俺にあるのか。
⸻
彼女が小石につまずく。
予定にない揺らぎ。
寿命の線が、わずかにずれる。
修正は可能。
規則通りなら、
無視すべき誤差。
だが俺は、
鎌を下ろした。
「――待て」
声が、
出てしまった。
彼女が振り返る。
視線が、確かに交わる。
その瞬間、
彼女は「数」ではなくなった。
個になった。
それは、
死神としての
決定的な契約違反だった。
⸻
トラックは通り過ぎ、
風だけが残る。
彼女は一歩下がり、
胸に手を当てた。
「……今の、
何だったんだろう」
俺は答えない。
答えられない。
ただ、
彼女は生きている。
それだけで、
すべてが狂った。
⸻
頭の奥で、
冷たい音が響く。
《契約違反 確認》
《回収対象 保留》
《担当資格 剥奪》
裁定は、
必ず下される。
それが正か、
それとも誤りか。
――だが俺は、
もう知っている。
正しさよりも先に、
選んでしまったということを。
この瞬間から、
俺は死神として
不完全になった。
そして、
彼女はまだ生きている。
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