第7話 病院での対決



 処置室を出て、廊下へ進むと、ベンチに座って頭を抱えている権田先生の姿があった。


 私の足音に気づき、彼はガバッと顔を上げた。

 その顔色は土気色で、脂汗が滲んでいる。


「お、お母さん! 結衣は、結衣は無事なんですか!?」


「……一命は、取り留めました」


 私が抑揚のない声で答えると、権田先生は「はあぁぁ」と大きな息を吐き、膝に手をついた。


「よかった……本当によかった。もし万が一のことがあったら、どうしようかと……」


 安堵するその姿を見て、私の中の怒りの炎がさらに燃え上がった。


 よかった? お前が言うな。


「先生。なぜ、あの子にパンを食べさせたんですか。私はあれほど、命に関わると言ったはずです」


「いや、その……私もね、悪気があったわけじゃないんです。ただ、結衣の将来を思って、強く育ててやりたいと……一種の愛の鞭というか」


「愛の鞭? それがアレルギーと何の関係があるんですか」


「ですから、あれですよ。『減感作療法』です。ネットで見たんです。少しずつ食べれば治るって。だから私は、ほんのひとかけら、小指の先ほどを食べさせただけで……」


 権田先生は、身振りを交えながら必死に弁解を始めた。


「まさか、あんな少量で発作が出るとは夢にも思わなかったんです! これは不可抗力というか、予測できない事故で……そう、不幸な事故だったんですよ!」


事故。


 その言葉を聞いた瞬間、私は平手打ちをしてやりたい衝動に駆られた。


 しかし、私の手が動くよりも早く、背後から氷のように冷たい声が響いた。


「――事故ではありません。これは、未必の故意による傷害事件です」


 振り返ると、先ほどの担当医がカルテを片手に立っていた。


「だ、誰ですかあなたは。部外者は口を挟まないで……」


「私は結衣さんの担当医です。そして、今あなたが口にした『減感作療法』という言葉を聞き捨てならなかったのでね」


 医師は静かに歩み寄り、権田先生の目の前に立った。


「いいですか。減感作療法というのは、アレルギー専門医が、緊急時の蘇生設備が整った環境で、抗原の量をミリグラム単位で厳密に管理しながら行う高度な医療行為です」


「素人が、教室で、目分量で行っていいものでは断じてない」


「で、でも、ネットには食べて治すと……」


「ネットの情報を鵜呑みにして、医師免許もない人間が勝手に医療行為の真似事をする。それを世間では何と呼ぶか知っていますか?」


 医師は一歩、また一歩と権田先生を追い詰める。


「それは『治療』ではありません。『人体実験』であり、『毒物の投与』です」


「ど、毒……!?」


「結衣さんにとってのアレルゲンは、青酸カリにも匹敵する毒です。あなたは致死量の毒を、嫌がる子供の口に無理やり押し込んだ」


「……これを殺人未遂と言わずして、何と言うんですか?」


 殺人未遂。

 その言葉の重みに、権田先生は「あ、あぅ……」と声を漏らし、後ずさった。


「そんな……大げさな……私はただ、良かれと思って……」


「その『良かれと思って』という無知な善意が、一番タチが悪いと言っているんです!」


 医師の怒声が廊下に響いた。


 医師は私に向き直った。

「お母さん。診断書には、原因が『第三者によるアレルゲン食品の強要』であることを明記します。警察に提出すれば、十分に証拠になりますよ」


「……ありがとうございます、先生」


 私は医師に深く頭を下げ、そして、震える権田先生を見据えた。


「権田先生。心配しなくても、あなたの教師生活は、もう終わりですよ」


「え……」


「警察への被害届、教育委員会への通報、そして民事での損害賠償請求。できることはすべてやります」


「そ、そんな……たかがパン一口で……」


「**その『たかが』で、娘は死ぬところだったんです!!**」


 私の叫びに、権田先生は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。


「終わりです、先生。あなたが無知のまま振りかざしたその権力、もう二度と子供たちの前で振るわせたりはしません」


 私は彼に背を向けた。

 もう、見る価値もない。

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