『実家に預けた数百万のアンティークドールを「ガラクタ」と笑って破壊した従姉妹と甥。一万円で示談しろと迫る彼らに、正式な鑑定書(820万円)を叩きつけた結果』

品川太朗

第1話  喪の帰郷と、不穏な足音



 久しぶりに足を踏み入れた実家は、線香の匂いと、湿った古い木造家屋の匂いが入り混じっていた。


「玲奈(れな)、やっと来たの? 遅いじゃない」


 玄関を開けるなり飛んできたのは、労いの言葉ではない。

 棘(とげ)のある不満の声だった。


 声の主は、従姉妹の真紀子(まきこ)。

 私より二つ年下の三十歳。

 派手なジェルネイルをした指先で、私のキャリーケースを邪魔そうに指さしている。


「仕事の締め切りを前倒しにしてきたから、これが限界だったのよ。……久しぶりね、真紀子」


「ふーん。漫画家だっけ? 相変わらず暇そうな商売でいいわよねぇ。こっちは子育てで大忙しだってのに」


 祖母の葬儀だというのに、彼女の態度に殊勝さは欠片もない。


 私は三十二歳、独身。

 都内で少女漫画家として生計を立てている。


 そして何より、筋金入りの「アンティークドール収集家」でもある。


「おい、翔太(しょうた)! そこ走らない!」


 ドタドタドタ! と激しい足音が廊下を揺らす。

 真紀子の息子、小学五年生になる翔太だ。


 祖母の死を理解していないのか、あるいは興味がないのか。

 手にはゲーム機を握りしめ、退屈そうに家の中を走り回っている。


「ちぇー、ばーちゃんち、Wi-Fi弱くてマジうざい」


「ごめんねぇ翔太、あとでママのスマホ貸してあげるから」


 注意するどころか猫なで声で機嫌を取る真紀子を見て、私は小さな溜息をついた。


 ……嫌な予感がする。


 私は挨拶も早々に、離れにあるかつての自室へと急いだ。

 現在は私のコレクションルームとして使わせてもらっている部屋だ。


 ガチャリ、と重たい音を立てて、ドアが開く。


 空気が変わる。

 そこは、静謐(せいひつ)な美しさに満ちた聖域だった。


 遮光カーテンで守られた薄暗い室内。

 ガラスケースの中に鎮座するのは、十九世紀フランスで作られたビスクドールたち。


 透き通るような白い肌。

 奥行きのあるグラスアイ。

 そして百年の時を超えてなお朽ちることのない、圧倒的な造形美。


「ただいま。……ごめんね、すぐに戻るから」


 私は一番のお気に入りである、フランスのジュモー社製の通称『トリステ(悲しみ)』と呼ばれる人形の頬に、そっと指を這わせた。


 物憂げな表情をした彼女は、何も言わずに私を見つめ返してくれる。


 この子たちを守らなければならない。

 実家には今、あの「怪獣」がいるのだから。


 私は部屋を出ると、ドアに南京錠を通した。

 さらに、念には念を入れて持参した『U字ロック』をドアノブと柱の金具にガチリと噛ませる。工事現場などで使われる、頑丈な金属の塊だ。


 祖母の家は古いが、数年前にリフォームした際、この部屋だけは私の希望で頑丈なドアに取り換えてもらっていた。


 鍵は二重。

 大人の力でも、ピッキングの知識がなければ開けることはできないはずだ。


「うわ、何それ。厳重すぎじゃない?」


 背後から声がした。いつの間にか、真紀子が立っている。

 彼女はU字ロックを見て、呆れたように鼻を鳴らした。


「中、またあのお人形さん? 玲奈もいい歳して、まだあんなの集めてんの? 不気味だし、髪の毛伸びるとか言うじゃない。よく一緒に寝れるわね」


「……美術品よ。それに、高価なものだから管理が必要なの」


「へえ、高価って。どうせ数千円とかでしょ? オタク趣味にお金かけられて羨ましいわー」


 数千円。


 その言葉に反論しようとして、私は口をつぐんだ。

 言っても無駄だ。それに、ここで「数百万する」などと言えば、逆に変な興味を持たれかねない。


「とにかく、翔太くんをここには近づけないでね。鍵はかけたけど、万が一怪我でもしたら大変だから」


「はいはい。翔太だって男の子なんだから、お人形遊びなんて興味ないっての」


 真紀子はヒラヒラと手を振りながら、リビングの方へと戻っていった。


 私はもう一度、U字ロックが確実にかかっていることを確認する。

 大丈夫。鍵を持たない人間がどうこうできるものではない。


「行ってきます」


 扉の向こうの「彼女たち」に告げ、私は喪服に着替えるために部屋を後にした。


 ――その時、私は気づいていなかった。


 葬儀の準備のために開け放たれた庭の納屋。

 そこに、祖父が生前使っていた古い工具箱が無造作に置かれていたことを。


 そして、退屈を持て余した翔太の視線が、ギラリと光る「バール」に向けられていたことを。


 廊下の角から、じっと私の部屋のドアを見つめる影があった。


「……ふーん。すげー鍵。……あれ壊したら、レベルアップかな」


 無邪気で、残酷な好奇心が、静かに牙を剥き始めていた。

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