回婚譚

高麗楼*鶏林書笈

第1話

 初夏の爽やかなある日、茶山こと丁若鏞の屋敷には多くの人々が集まっていた。この家の主人すなわち茶山夫妻の回婚すなわち結婚六十年を迎え、その祝いの宴が行なわれるのである。

 部屋の奥側中央には主人夫婦が座り、左右には子供、孫そして親族たちが並んで座っていた。庭には使用人や近所の人々の姿も見られた。どの顔も明るく笑顔を浮かべていた。

 早婚であった当時でも、干支が一巡するまで互いに欠けることなく過ごせることは珍しく、それゆえ目出度いことといえるだろう。

 茶山にとっては、少し前まで、こうした日が来ることは想像すら出来なかった。それゆえ、なおさら感慨が深かった。

 先王の時代、彼も朝廷の一員として政事に携わっていた。

 長い間、この国の朝廷は、派閥争いに明け暮れ、民の暮らしなど一顧だにしなかった。歴代の王たちは、こうした状況に頭を痛めていたが、なすすべもなかった。

 だが、先王は違っていた。即位すると直ちに朝廷内の争いを収め、民の暮らし向きをよくするための政策を打ち出し実行していった。

 彼はちょうどその頃、官吏としての生活を始めた。王のもとで働き始めた。

 彼もその他の士人層の青年同様、現在の朝廷の有り様を憂いていた。そして、民の生活を向上させ、国が豊かになること望み、そのために働きたいと考えていた。

 そんな彼にとって先王は仕えるに値する主だった。王が目指すことと彼が望むことが一致していたためである。こうれは彼にとって幸運だった。彼は王の手足となって働いたのであった。

 民の暮らしは少しづつ良くなっていった。それに従い、人々の表情も明るくなった。

 彼は官吏として充実した日々を送っていた。振り返って見れば、自身の人生でこの頃が一番よかったと思えた。そして、それはこの国にとっても同様だった。

 名君の下で国は発展し、未来は輝かしい…はずだった。

 だが、輝かしい未来はやって来なかった。

 王が突然、世を去ってしまったのである。

 同時に、これまで抑えられていた朝廷の反対勢力が息を吹き返したのである。そして、先王が行なっていた政策を次々中止していった。それらは彼らの利益を損なうものだったからである。

 こうして世の中は以前のように停滞し、民の生活も先行きが見通せなくなってしまった。

 そして、茶山自身の人生も転落していくのである。

 朝廷は、先王の時代に活躍していた官吏たちを次々粛清した。彼も官職を追われ、罪なき罪により、都から遠く離れた地に流配されてしまった。

 流配生活は物質的にも精神的にも辛いものだった。だが、村人たちの善意により、その苦痛は少しづつ癒されていった。

 彼は、この地で有り余る時間を利用して執筆活動に専念した。

 彼がこれまで学んだ学問について、官吏時代に見聞きしたことや政策に関すること、詩文に評論文等々、実に多くの多様な書物を著したのだった。

 配流生活はいつ終わるか分からなかった。このまま、この地で人生が終焉するかも知れない。それでも、後世のためにと書き続けたのだった。

 十八年の歳月が流れ、彼は釈放され家族のもとに帰ることが出来た。実に喜ばしく、ありがたいことだった。

 そして、今、こうして苦労を掛けた妻と回婚の祝いを共にすることが出来た。もう思い残すことはなかった。

 宴席が終わり、床に就いた彼はそのまま世を去った。

 栄光も挫折も経験した彼は多くの書物を通じてその知性を後世に残したのだった。

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回婚譚 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu

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