赤き星のデブリたち

ちゃがま

第一章 赤の星

第1話 アイリーン豆、入荷なし。

 窒素78%、酸素20%、アルゴン0.93%、二酸化炭素0.03%――以下省略。


 朝の冷たく、静かな空気を思い切り、吸って吐く。


 機械仕掛けの体を持つ自分にとっては、何の意味もない行為だ。


 しかし、こうすると人間は意識がハッキリするのだと言って、過去にオーナーがルーティンのように繰り返していたのを思い出したから。


 かつての彼をなぞるように、空気を吸って、吐く。


 視線の先では、荒れた赤い大地の向こう側から真っ白な光が差し込んで、世界を照らし出していた。


 朝の訪れ。

 太陽――実際は違うが、大昔からの慣習としてみんながそう呼んでいる――が空を照らし始めるこの時間帯、青い空と赤い地平線の間が一瞬だけ虹色に輝く。


 大気に含まれるナントカ物質によってナントカ散乱が起こって、こういう現象になるようなのだが、よくわからない。

 ただ一つ、わかってるのは。


「きれーだよなぁ……」


 大地と空の境界線で虹が輝くわずかなこの時間を、自分がどうしようもなく、好ましく思っているということ。


 それこそ、町が動き出すよりもずっと早くに起き出して。相棒である赤と黒のエアーバイクをかっ飛ばして、町外れの丘に来て、コーヒー片手にこの虹を眺めるくらいには気に入っている。


 きっと、これは自分にとって一番大切なこと。


 生きていく上で、欠かしてはならないとしての在り方の発露なのだ。

 エアーバイクに跨ったまま、手にしたカップの中で揺れる黒を一瞥する。


「ロボットには、本当は必要ないのかもしれないけどさ」


 ――お前はヒトだよ。サヤ。


 自嘲する自らを咎めるように、今日もメインユニットを越えて、全身で思い出したその言葉を噛み締める。


 焼きついた言葉の意味と気持ちが、吐息になって冷たい空に溶けてしまわないように、サヤはまだ少し熱いコーヒーでそれらを流し込んだ。



 ◆第一章 赤の星



「え、豆がない?」


 晴天の下、彩鮮やかな天幕が所狭しと並んだ買い物通りの一角。

 使い古されて若干茶色を帯びた薄汚れた白い天幕の下で、サヤは驚きから、黒い三つ編みを揺らして、たった今しがた聞いた言葉をおうむ返ししてしまった。


 サヤのおうむ返しに、大柄でいかにも屈強といった体躯の商人の男、バルドは重々しく頷いた。

 強面ながらも普段は柔らかな表情は今現在、苦々しく歪められている。


 それは顔馴染みのサヤが、これは彼も相当に困っている、あるいは悔しがっているのだと判断するには、十分な要素だった。


 誰よりも手広くをモットーにする彼が「ない」と言っている以上、目的のものは本当にないのだろう。

 特に、彼はこの店で買った豆で自分が淹れるコーヒーを常連の中で一、二を争うほどに好んでくれてる一人なのだ。


「なにかあったの?」


 サヤの問いに、バルドは頷いて簡単に教えてくれた。


「どうやら、普段使ってる輸送ルートに危険な原生生物が居座っちまってるらしくてな。いまは別のルートを使ってるんだが、そのせいで入荷が遅れちまってるんだ」


「そっか……ま、しゃーないわな」


 バルドの言葉に、サヤは納得した。

 この星には、まだまだ未知の生命体が大量に存在する。対策もできないようなやつを含め、本当に大量に。


 もちろん、人間だって無力な存在ではない。その技術力があったからこそ、この星で――極々一部ではあるが――生息圏を確保するに至っているわけなのだし。


 その危険な原生生物というのも、少しすれば討伐されるだろう。


 ただ――


「でも、アイリーン豆がしばらく入荷ストップしちゃうのかぁ」


 その討伐がどれほどの期間で成されるのかは不明。とはいえ、早め早めの解決をお願いしたいところだ。


 同じようなことはおそらく、件の流通ルートにお世話になってる者の大半が思っているだろう。


 特にほぼ趣味の喫茶店を経営しているサヤとしては、火の車というわけではないが、それでも大きな店とは違って吹けば飛ぶような経営をしているので尚更である。


「どんくらいで入荷するかわかる?」


「さあな。最悪、一月かかることは覚悟しとかにゃならん」


「うへぇ、一月かぁ」


「すまん」


「いや、バルドは悪くないんだから謝んなよ」


 心の底から悪いと思っているであろうバルドに大丈夫だと告げながら、それとは別に思考を動かす。


 アイリーン豆は、サヤの店のブレンドには欠かせないコーヒー豆だ。芳醇な香りに、酸味の少なさがウリである。


 そして、そんな彼女アイリーン豆を使ったサヤの店のブレンドは、カフェオレやカフェモカなどといった他ドリンクを作成する際にも、必須の品であって。


 アイリーン豆が手に入らないとなると、これらのドリンクがまったく作れなくなってしまう。


 一時的に豆を変える? いやいや。やってくる数少ない常連たちは、サヤの淹れたアイリーン豆のコーヒーを飲みに来ているのだ。


 困った、打つ手がないぞとサヤは後頭部を掻く。

 しばらくはコーヒー系のドリンクは出せない、と正直に伝えるしかなさそうだ。


 思考を切り替えながら、サヤは内心では相当に意気消沈しているであろうバルドのため、せめてもと彼の店でそこそこ高めの品をいくつか買うことにした。

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