第8話 第二騎士団長専属の便利屋

 初めて団長室の地獄を片付けてから、一ヶ月が経とうとしている。


 午前:団長室で書類整理。

 昼:騎士食堂で、団長と食事。

 午後:騎士見習いの訓練。(団長の特別訓練付き)


 ……俺の第二騎士団で騎士見習いとしての生活は、普通の見習いとは違っていた。


 「第二騎士団長専属の便利屋」としての地位を確立してしまったのだ。


 午前中は団長室で仕事をする。


 以前より遥かに快適になった。机が机で、床が床で、書類が書類として積まれている。

 それでも、書類の量だけは減らない。


 一ヶ月間で減ったと思えば、また増えていく。


「増えている……」

「増えるものだ」

「これ、おかしくないですか?」

「おかしくない。私に回されている仕事だからな」


 アデルハイト団長が当たり前のように言う。


 俺は心の中で、何かがおかしいと思った。


 騎士団って、剣で人々を守るために存在しているはずだ。


 今も街道では、盗賊や魔物が現れて通行人や、貴族、商人の馬車を襲う。


 そんな盗賊や魔物を斬る場所じゃなかったのか? 書類を斬る場所なのか?


 しかし、団長は仕事から逃げない。


 真面目に集まった仕事を一つ一つ取り組んでいく。


 俺も一ヶ月間、それを整理する仕事を手伝っていた。だが、明らかに効率が悪くて追いついていない。


 俺が分類棚に書類を差し出すと、団長は眉間に皺を寄せて、呻く。


「これ、絶対に私がやらねばならぬのか?」

「団長の判が必要です」

「ううう……」

「お願いします」

「……ううううう……っ」


 泣き言を言いながらも、ペンは動く。


 その姿が、ちょっとだけ……いや、だいぶ面白くて可愛い。


 最初の挨拶で、「死にたくなければ死ぬほど鍛えろ」と言った人と同一人物とは思えない。


 書類に対してだけ、弱い。


 そして俺は、その弱点を握ったまま、淡々と仕事を回す。


 ……姉さんの言葉が、ここでも効いている。


 全部やらない。

 決めさせる。

 労力をかけさせる。


 団長は嫌がりながらも、ちゃんとやってくれる。


 これまでの俺はリナのために全てやってきた。だけど、今後は人に仕事をやってもらう。


 それを学ぶのに団長は良い相手かもしれない。


 実際に、団長しか判断できない仕事を任せると言いながら、判断してもらっている。


 それは俺自身の訓練にもなっていた。



 昼は宿舎の食堂にいく。


 第二騎士団所属の騎士が集まり、その隅っこに騎士見習いが集まるのだが、俺は特等席で食事をさせてもらっていた。


 トレイを持った騎士見習いの視線が、俺につき刺さる。


 アデルハイト団長と並んで席に座っているからだ。


「……おい、あれ見ろよ」

「嘘だろ、団長と飯食ってるぞ……」

「え、なんであいつが……?」

「雑務係だってよ」

「雑務が団長と昼飯……?」


 聞こえる。普通に聞こえる。


 団長は堂々としていた。赤い髪を揺らし、鎧の上着の前をきっちり留め、それでも盛り上がる物を机に乗せて。


 いや、知ってた。知ってたけど、近いと圧が違う。


 団長は平然と肉を切り、パンを噛み、スープを飲む。


 そして俺のトレイを見て、眉を寄せた。


「ホート」

「はい」

「貴様は野菜が少ないぞ」

「えっ」

「肉ばかりだ! 倒れるぞ」


 団長が、自分の皿から野菜を俺の皿へ移そうとする。反射で止めた。


「だ、大丈夫です! 俺、ちゃんと食べますから!」

「なぜ止める。これくらい普通だ」

「普通じゃないです!」


 一ヶ月間で、随分と距離感が近くなった。


 その度に周囲がざわつく。ざわつきの中身が、だいたい分かるのが嫌だ。


 団長が男に世話を焼いてる。

 団長が男に野菜を分けてる。

 

 その男が俺。姉さんの言葉を思い出してしまった。


 こちらからは与えすぎない。

 相手から与えてもらうようにする。


 ……団長、それ俺に与えてます。野菜。団長は不満そうに俺を見た。


「妙な線引きをするな!」

「線引きなんてしてません。視線の圧がすごいだけです」

「視線?」


 団長が、きょとんとした。それから、俺の頬の熱さに気づいたのか、ふっと口元を緩めた。


「……面白い奴だ」


 絶対に気づいてないですよね? 俺はそれ以上何も言えず、スープを飲んで誤魔化した。



 午後。


 騎士見習いの訓練は、地獄だった。


 ランニング。

 筋力。

 型。

 模擬戦。


 そして最後に、立ち続けるだけの整列。


 体が重い。腕が痺れる。


 周りの見習いは、みんな同じ顔をしていた。


 だが、俺の地獄はここで終わらない。


 そこからさらに地獄の追加メニューが待っている。


 第二騎士団長の特別訓練所に移動する。


 俺は正直、逃げたかった。


 だが、そんな甘い考えで、王国一の美女を落とせるとは思えない。


 俺が選ぶ側になるんだ。逃げるのは違う。


 訓練場の端で夕方の光が差し込む。団長が剣を抜いた瞬間、空気が変わった。冗談抜きで、別格だった。


 何よりも美しい。本物の強さを持っている。


 一本の剣となって立っていた。


 だからこそ、この人が弱音を吐いて、泣き言をいっている姿が可愛くもあり、なんとかしてあげたくなってしまう。


「構えろ、ホート」

「……はい」


 俺が剣を構えた瞬間、団長の姿が消える。


「――っ!?」


 金属がぶつかる音。俺の剣が弾かれ、腕が痺れ、足が半歩滑る。


 早い。重い。正確。なのに無駄がない。美しくて強い。


 剣をわざと狙ってくれていなければ一撃で終わっていた。


 団長が踏み込むたび、鎧が軋む音と一緒に、視界の端で揺れる。すごく、揺れる。


 くそっ! ああもう、俺ってそんな余裕はないくせに。 


 剣を見ろ。刃だ。刃を見ろ。命がかかってる。


 なのに、視界の端が仕事をしすぎる。俺の視界、優秀すぎる。


「ホート」

「はいっ!」

「どこを見ている」

「剣です!」

「嘘をつくな」

「嘘はついてません! 剣です!」

「視線が迷子だ」

「俺の視線はいつも迷子です!」


 団長の剣が容赦なく飛んでくる。


 俺は半歩引いて受け流し、風魔法で足場をずらす。


「ウィンド」


 踏み込みの角度を変える。真正面から受けない。


 相手の力を横へ流す。これは生存戦術だ。小手先の技でいい……でも、俺は食らいつく。剣の腕だけじゃ勝てない。なら、俺は俺のやり方で戦う。魔法で視界を切る。


「ミスト」


 一瞬、薄い霧が立ち、距離感を狂わせる。


 団長は眉一つ動かさず、霧の中を踏み込んできた。


「甘い」

「ですよね!!」


 霧を斬り裂くように、剣が迫る。


 俺は身体を捻って避け、剣の腹で受ける。骨に響く。腕が壊れる。でも、落とさない。落としたら終わりだ。


 団長が、ほんの少しだけ口元を上げた。


「……いいな」


 団長が戦いを楽しんでいる。


 この一ヶ月間、ほぼ毎日団長の相手をしているおかげで、団長の癖がわかってきた。だが、この人は楽しんでる時ほど強くなっていく。


 こっちは必死だってのに美人が笑うと怖いね。


 視界の端で揺れるものに翻弄されてる余裕もねぇな。



 十本目の打ち合いで、俺は膝をついた。息が荒い。汗が垂れる。腕が痺れている。


 団長は、呼吸ひとつ乱していなかった。俺の前に立ち、剣を肩に担いで言う。


「ふむ。お前は、なかなかに見どころがある」

「……それ、褒め言葉ですか? 一撃も当たらないんですが」

「褒めているさ。十本やって、私の前で立っている男は珍しい」


 それから、少しだけ視線を細めた。


「諦めない目。逃げない態度。工夫する知恵。生き残るために手を尽くす。面白かったぞ」


 俺は息を吐きながら笑った。


「団長が強すぎるだけです」

「当然だ。私は第二騎士団長だからな」


 自信満々に言う。……その直後、団長が胸を張った。


 張ったせいで、また揺れた。俺は反射で視線を逸らすのも疲れてきた。


 団長が、俺の視線を見逃すはずがない。


「……ホート」

「はい」

「さっきから、妙に視線が忙しいな」

「気のせいです」

「気のせいではない。私とお前も一ヶ月一緒にいるのだ。そろそろ正直に言いたいことを言ってもいいのだぞ!」


 団長が一歩近づく。近い。やめてくれ。近いと俺は限界だった。


「だ、団長!!」

「なんだ」

「……胸が!!」

「は?」

「胸が大きすぎて!! 戦闘中に!! 目に入るんです!!」

「……」

「俺は真面目に訓練してるんです!! でも視界が勝手に!!」

「……」

「だからその……すみません!!」


 言った。言ってしまった。訓練場が、静かになった。


 ……いや、元々二人だけだったのに、なぜか空気だけが凍った。


 団長の顔が、じわじわ赤くなる。真紅の髪に負けない勢いで、耳まで赤い。


「き、貴様……っ!」

「すみません!!」


 団長が剣を抜きそうになって、堪えた。


 堪えたまま、震える声で言う。


「……見なければいいだろう!!」

「見ない努力はしてます!!」

「努力が足りん!!」

「それは俺のせいじゃないです!!」

「私のせいにするな!!」


 ……まずい。これは死ぬ。剣じゃなくて、社会的に。団長は胸のあたりを腕で隠すようにして、俺を睨んだ。


 だが、睨みながらもどこか困っている。そして、ぼそっと言った。


「……他の男共も私の胸ばかりを見てくるのだ!」

「当たり前でしょ!」

「なっ!」

「団長が綺麗で、胸が大きくて魅力的すぎるのがいけないんです!」


 団長の目が、少しだけ丸くなった。


「ナナナナナナナナナナ!!!! 何を言っているんだお前は!?」

「ハァー、今日まで我慢してましたが、もう言います。団長はもう少し自分の魅力を制御してください。ダボっとした服を着るとか。人を盾にするとか。変に堂々と露出しているのがいけないんです」


 言ってやった。もう我慢なんてしてやるかよ。


 殺されてもいい。そんなつもりで言ってやると、団長は目を見開いて、次に笑った。


「アハっ! なんで私が我慢しないといけないんだ……本当に変な奴だ、お前は」

「団長ほどではありません」

「わっ、私は変なやつではないぞ!」


 団長はさらに詰め寄ってきた。


「ふん、ホート、明日も来い」

「はいはい……」

「書類と訓練だ」

「分かりました……!」


 俺が立ち上がろうとすると、団長が手を差し出してきた。


 ……え? 俺が迷った一瞬、団長は不機嫌そうに言った。


「立て。明日も使う身体だ」

「……ありがとうございます」


 手を借りて立ち上がった瞬間、団長はすぐに手を離した。


 そのすぐが、なぜか胸に残った。


 与えすぎない。

 距離を詰めすぎない。


 それでも、団長との特別訓練という労力をかけてもらっていた。

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