見つけた顔、袖を引く手

 あのスーパーの帰り道から、だいたい一週間。駅前で顔を合わせるのが、もう「たまたま」じゃなくなっていた。来週から春休みだと、さくらは言っていた。


 朝の駅は、まだ冬の匂いが残っている。人の流れに混ざって、俺は改札階へ上がるエスカレーターに乗った。手すりの冷たさが指に張りつく。


 上り切ったところで、聞き覚えのある声がした。


「海斗くん」


 振り向くより先に、目が探してしまう。制服の上にマフラーを巻いたさくらが、少し小走りで近づいてきた。寒さのせいか、急いだせいか、頬が赤い。


「おはよ」

「おはようございます」


 俺の返事に、さくらは口元だけ笑った。前よりこの差を気にしなくなってるのが、少しだけ救いだった。


「今日も図書館?」

「今日は息抜き。映画観たり本屋行ったりかな」

「え、映画。意外」


 さくらが目を丸くする。俺は肩をすくめた。


「洋画の……寝台列車KILL SPEED 超覚醒って映画」

「何それ、聞いたことない」

「眠ったら爆発する列車の中で、強盗集団とドンパチやる映画……かな」

「ふーん。なんか、海斗くんっぽいかも」

「俺っぽいって何」

「真面目な顔して、急にそういうの観るとこ」


 それ、褒めてるのか?

 俺は笑いそうになって、飲み込んだ。


 改札へ向かう通路は人が多い。さくらと並んで歩いているだけで、周りの視線がわずかにこっちへ寄る気がした。気のせいだと思いたいのに、こういうときだけ感覚が冴える。


 そのとき、背後から別の声が割って入った。


「さくら、おはよう。ちょっと今いい?」


 同じ制服の女の子が立っていた。髪をきちんとまとめて、前髪も乱れてない。片手に鞄を持ち、背筋が立っている。


 さくらが一瞬だけ目を泳がせ、それから笑って見せた。


「うん。……なに?」

「昨日、返事なかったから。大丈夫?」


 制服の女の子は、確認するような声のトーンで伺っている。音量は少し小さめだ。


 さくらは「ごめん」と小さく言って、俺の方を見た。目だけで「ちょっとだけ」の形を作る。


「行ってきて」

「うん。……ありがと」


 さくらはその子の隣へ移動した。俺は一歩だけ引いて、改札の表示をぼんやり見上げた。

 人の波とアナウンスで、二人の声は途切れ途切れにしか届かない。


「……最近、ちゃんと――」

「うん、平気」


 隣の子が、ちらっとこっちを見た。目が合った気がして、俺は反射で会釈した。相手は何も言わずに視線を戻す。


「……でしょ?」

「うん」

「最近さ……」

「大丈夫。ほんとに……」


 さくらの「大丈夫」が、少しだけ早口に聞こえた。笑ってるのに、マフラーの端をつまむ指だけが、やけに落ち着かない……ような気がして、俺は視線を外した。


 さくらが改札へ向かって歩き出す。俺はその少し手前で足を止めた。

 さくらは一度だけ振り返ると、手袋のまま小さく手を振った。

 口元だけが動く。「またね」と言ったのが分かる。


 俺も片手を上げて返す。声は出さない。

 ピッ、という音。

 人の流れに背中が押されて、制服の肩が改札の向こうへ吸い込まれていく。


 さくらはそのまま、隣の子と並んで歩いていった。


 ……ああ。

 あんなふうに、息を抜いた顔で笑うんだ。

 二人の歩幅が、すっと揃う。迷いなく、当たり前みたいに。


 見送るだけのはずなのに、胸のあたりが落ち着かなかった。

 息を吐いたら、冷たい空気がやっと肺に入ってきた。


 ――昼。


 平日のシネコンは、学生と社会人が変な割合で混ざっていた。俺は券売機でチケットを買い、ポケットに半券をねじ込む。座席は真ん中より少し後ろ。こういうのは、見やすい位置がいい。


 暗くなって、いきなり爆音が来た。

 列車の金属音と警報。英語の罵声と銃声。


 眠ったら爆発する、馬鹿みたいな設定なのに――始まった途端、ちゃんと緊張感があって見入ってしまうのが悔しい。狭い通路で走って、ぶつかって、滑って、誰かが叫んで、また撃ってる。逃げ場がないせいか、こっちまで息が詰まる。


 気づけば俺は、肘掛けを握っていた。

 頭の中の余計な音だけが、すっと消えていく。


 上映が終わって明るくなると、現実が戻ってきた。まぶしくて目を細めたら、肩が少しこっていた。それと同時に腹が鳴る、自分の単純さにちょっと笑う。


 ついでに駅前の本屋へ寄って、新刊棚を一周する。結局、何も買わない。――何か手に入れたくて来たけど、こういう日もある。


 腹ごしらえに、最近できたラーメン屋に入る。券売機の前で迷って、結局いちばん上の「おすすめ」を押した。スープの匂いが鼻に抜けて、食欲を刺激する。美味い!


 ――夕方。


 駅前の空は、朝よりずっと薄い色をしていた。春が近いのに、風はまだ冷たい。

 人の流れは朝みたいに急いでいない。買い物袋を提げた人、制服のまま寄り道してる高校生、スーツのままスマホを見てる大人。生活がそこにあった。


 改札を横目に、南口から北口へ抜ける通路を歩いていると、声がした。


「海斗くん!」


 さくらだった。朝よりマフラーが少し緩んでいて、髪がふわっと乱れている。歩き方も朝より軽い――学校が終わったあとの、体の力の抜け方だ。


「……お疲れ」

「お疲れ〜。映画だっけ? 今日」

「行ったよ」

「爆発するやつ?」

「そうそう。ちゃんと爆発した」


 さくらが吹き出す。


「なにそれ。説明雑……なんか、安心した」

「何に」

「海斗くん、いつもちゃんとしてるから。遠い感じする時あるし」


 胸の奥が小さくざわついた。「遠い」ってその言葉が、思ったより刺さる。


「遠くないよ」

「え」

「……近い、とは言わないけど」


 言ってから、自分で何言ってんだと思った。

 さくらは一瞬きょとんとして、それから目だけで笑った。


「なにそれ。……じゃあ、ちょっとだけ近いってことで」


 軽い。

 軽いのに、妙に残る言い方だった。


 そのまま二人で駅前の歩道を進む。まだ人がいる場所だから、俺は一歩だけ距離を空けた。

 さくらも気づいたみたいに、速度は変えずに歩幅だけ整える。


 通り沿いに、テラス席のカフェがあった。夕方の光がガラスに反射して、椅子の影が歩道に伸びている。

 そこに、制服の女子が二人。紙カップを片手に笑っていて――俺たちが近づいた瞬間、会話が一拍だけ止まった。


 視線が、こっちへ寄る。

「見てる」というより、「見つけた」って感じ。


 片方がもう片方に何か言って、口元を押さえて笑う。声は届かない。

 机の上のスマホが、少しだけ揺れた気がした。




 俺たちは歩いているのに、目だけがついてくる。

 背中に針を落とされたみたいに落ち着かない。

 さくらの肩が、ほんの少しだけ上がった。

 気づかないふりをするみたいに前だけ見て、足は止めない。


 テラス席は右手側だった。ガラスの反射の向こうから、目線だけがなぞってくる。

 俺は一度だけ息を吸って、さくらの進行方向を邪魔しない角度で――半歩、前に出た。


 言葉は出さない。

 ただ、右側に自分の肩と買い物袋を寄せて、そのまま歩く。


 視線の温度が、ふっと変わった。

 さくらじゃなくて、俺の方へ寄ってくる。


 さくらが一瞬だけ俺を見た。目が揺れて、すぐ前に戻る。

 小さく息を吐いて、俺の袖をほんの少しだけ引いた。


 その瞬間、背中に刺さる視線が一つ増えた。


「……帰ろ」

「うん」


 返事が短くなった。俺も、さくらも。


 まだ刺すような視線は消えない。背中の皮膚が、薄くなったみたいな感覚だけが残った。

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引っ越した先で高校生が家に逃げ込んできたけど、嘘はつけない 白川 @Yuu_Bui

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