第2話 女護衛士(2)

 アイラは夕食をとるために下ノ町まで出た。


 腰帯に差した二本の剣は、どこへ行くにも置いていかない。


 通りには人が溢れていた。


 様々な店が軒を並べていて、鼻孔を刺激するいい香りが漂っている。


 店の客引きの声が、大路に威勢よく響く。


 護衛の旅の道中では、普通、飯の煮炊きは各々が自分でやるのだが、大抵の護衛士の一回の食事は、干しいいを湯でもどしたものと干し肉だった。


 これらの食料はかさばらないうえに日持ちがするため長い旅の時には重宝するが、それでもやはり、ちゃんとした食事が恋しくならないわけではない。


 護衛で得た報酬で美味いものを食うのが大概の護衛士の楽しみなのである。


 アイラもまた、その例には漏れていない。


(何を食べようか)


 そんなことを考えながら歩いていると、ふいに香ばしい匂いがアイラを誘った。


 誘われるままに足を運んだのは、旅人や平民に人気の屋台であった。


(結局ここになっちまうのか)


 と内心笑う。


 二年前に来たときも、その前も、都で最初に口にするのはこの屋台の牛飯であった。


 屋台の列に並ぶ。


 その間も絶えず流れてくる香ばしい香りが鼻孔を刺激する。


 列が進み番が来た。


「牛飯と味噌汁をおくれ。あと、香の物も適当に」


 都では主に牛、豚、鶏と魚介が食べられているのだが、特に庶民の間では牛と豚が好まれている。なかでもこの屋台は旅人たちの間では人気の店であった。とりわけ牛飯は絶品で、都に来たなら一度は食べるべきだと旅人たちの間では言われているらしい。


 料理を受け取ると、通りを見渡せる席へと行く。


 意図的にその席を選んだわけではなかった。平素から、不審な動きをするものがいないか、観察することが、朝起きたときにする伸びのように、身体に染みついていた。


 ちゃんとした構えの店ではなく、屋台を選ぶのもそのひとつといえる。


 席に座り、箸をとる。


 厚めに切られている炭火で炙られた香ばしい香りのする肉を、一切れ口の中に放り込む。


 甘辛いタレが絡む肉は、白い飯によく合う。


 旅の食事とは違う、三週間ぶりのまともな食事は身に染みるようであった。


 ふと一人の男と目が合った。


「なんだい?」


「いや、女の武人なんて珍しいと思ってね」


 男はアイラの腰帯の背に差し込まれている二本の剣を指差して言った。


「武者修行かい?」


「いや、あたしは護衛士なんだ」


 ほう、と男は目を丸くする。


 女の武芸者は珍しいが、女の護衛士のほうが、それよりさらに珍しい。


「またずいぶんと危ない仕事だ」


「まあ、駆け出しのころはそれなりに苦労もしたし、危険な目に遭うこともあるけどね」


 アイラは冷えた茶を流し込んだ。


「けど、いろんな国でいろんな人と触れ合いながら、自由に生きていけるっていうのは、それはそれでいいもんだよ」


 アイラの言葉に男は感嘆の溜め息を漏らした。


「まだ若いのにたいしたもんだ」


 じゃあな、と男は夜の町へと去っていった。


 アイラは男の言葉に苦笑を漏らす。


「そんなに若くはないんだけどね」


 もうすぐ二十九さ、とひとりごちた。


 食事を終え、ひとごこちついたところで席を立った。


 ぶらぶらと通りを歩く。


 店の軒先につるされた提灯の灯が大路を照らす。


 酒に酔った連中がいかにも気持ちよさそうに歌い散らしながら歩いていた。


 一年ぶりに訪れたナワト国は相変わらず平和で、どこかのんびりとした空気が漂っている。


 アイラはこの国の安穏あんのんとした雰囲気がなによりも好きであった。


 様々な国を旅し、その土地や民に触れるたび、この国ほど平和な国はないと本気で思っていた。


 長い旅に疲れたときは、不思議と必ずこの国に来てしまう。


 他国で虐げられている民を見たり、人間の持つ醜い部分を目の当たりにすることが多いからこそ、この平和な国が、穏やかな民が、心の底から恋しくなる。


 いっそこの地にとどまることができたなら、と思うこともあるが、それが夢想に過ぎないことは、誰よりもアイラ自身が理解していた。


 ひとしきり町を歩いた後、アイラは小屋に帰った。


 すでに空は暗く月は高い。


 季節は春になっていたが、夜風はまだいくぶん肌寒く、囲炉裏に火を入れようかどうか、などと考えていた。


 異変に気付いたのは、小屋の中に入ろうと戸に手をかけたときであった。


 誰もいないはずの小屋の中に、人のいる気配を感じる。


 アイラは首をひねった。


 そもそも都は治安がよい。施錠をせずとも空き巣など入らないし、ましてや借し家業者のぼろ小屋に物盗りに入ったところで、徒労に終わるであろうことは火を見るよりも明らかなのだ。


 ところが、目の前のぼろ小屋からは人の気配がする。


(まあ、護衛士なんてやってれば、知らない間に恨みを買ってるなんて、珍しくもない話さ)


 自嘲気味に笑うと、剣の柄を握り左手を戸にかけた。


(……妙だな?)


 と思った。


 襲撃するのであればそれなりに殺気が感じられるはずだった。


 ところが小屋の中には確かに人の気配がするものの、ほとんど動く気配が感じられない。


 そっと戸を開ける。


 戸をくぐった右手の奥、かまどの前にうずくまる黒い影があった。


 暗闇の中に目を凝らす。


 窓からさしこむ月明かりが浮かび上がらせたのは、剣を真っ直ぐにアイラに向ける老いた男と、まるですがりつくようにして寄り添う、子供であった。

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