第1話 女護衛士(1)

 ほんの些細な出来事が、ときに人生を変えてしまうことがある。


 この物語における二人の主人公の運命を大きく変えたのは、ちょうど二十日前、一人の旅商人がナワト国の都を目指したことがきっかけだった。


「ご苦労さん。これは約束の報酬だ」


 商人が金の入った袋をアイラの手に乗せた。アイラはそれを受け取ると袋の紐を緩め中をあらためた。


「少し多くありませんか?」


戸惑いながら言う。


 護衛を引き受ける際の契約では、一日当たり銅貨十枚だったはずが、中に入っていたのは一日当たり銅貨十五枚近くの賃金だった。


 ずいぶんと多い。


「それだけのことをしてくれたからね。なにせ――」


 君がいなければどうなっていたか、と商人は言う。


 それは三日ほど前のことだった。


 およそ二十日間の道のりは、ほとんど危険もなく順風満帆なものだった。


 ところが、誰もがこのまま何事もなく都にたどりつけるだろう、と思ったところで盗賊の襲撃に遭ったのである。


 町から町へと旅をする商人は、口入屋に行って護衛士を雇う。


 この商人は、サグという町で仕入れた生糸を都へ運ぼうとしていた。普通の町や村の住民は麻や木綿の衣を着るので絹など売れはしないが都に持って行けば高値で取引される。


 皇族や貴族御用達の仕立て屋や細工師が買ってくれる。


 サグの町から都への行路は、護衛を引き受けたがらないものが多い。


 理由は安全だからであった。


 護衛士にすれば、危険な護衛を遂行しなければ名を売ることはできない。それは結局、自身の稼ぎに跳ね返ってくる。むろん、安全な護衛だけを引き受ける護衛士もいるのだが、それらの数は決して多くはない。


 護衛なしで都まで行かなければならないかもしれない、と考えたとき戸が開き、一人の女が入ってきた。


 奇異な女であった。


 年の頃は二十七、八歳あたりであろうか。長い髪を無造作にうなじで束ねている。その隙のない歩き方と、外套がいとうからのぞく筋肉質な腕が、ただの女ではないことを窺わせる。長い睫毛の目元には、一見男かと見紛みまがわせるほどの力があるが、ふくよかな胸と引き締まった腰周りは、女のそれであった。腰帯の後ろには、いかにも中途半端な長さの剣が二本差し込まれている。


 それがアイラであった。


 都までの護衛の口を求めているという。


 商人の男は眉根を寄せた。


 大抵の護衛士は屈強な男であることを考えれば、女であるということに不安を感じるのは無理もなかった。事実、周りにいる数人の護衛士と思しきものはみな男で、中には身の丈七尺(約212センチメートル)はあろうかという大男までいて、どうひいき目に見ても五尺五寸(約166センチメートル)を少し出た程度の女と比べれば、まるで大人と子供であった。


 しばらく思案した。


 サグの町から都までは、二十日前後の道のりになる。途中いくつかの難所はあるが、旅の隊商が通るような道ではないせいか、あまり危険はない。


 個人の旅商人が抱えている荷などたかが知れている。野盗にしてもそれほどうまみがない。


 とはいえ、商人の男にとっては貴重な商品である。


 男には妻と二歳になる娘がいた。


 万が一にも奪われれば、一家が路頭に迷うことになりかねない。近年は雨が少ないせいか不作が続き、穀物の値段も上がってきている。自分はともかく、妻と娘にはひもじい思いをさせたくはなかった。


 男は思案を重ねた。が、結局さほどの危険はないだろうと判断し、わずかな不安を感じながらもアイラと、もうひとり駆け出しの護衛士を雇い、都に向かうことに決めた。



 一行は何事もなく予定の道を進んでいく。


 思っていた通り、道中いくつか危険はあったが命に関わるようなことはなにもなかった。


 終始なごやかに旅は続いた。


 自身を売り込みたいと意気込んでいた駆け出しの護衛士が拍子抜けしたような気持ちになったことは想像に難くない。


 そこに野盗の一団が現れた。


 細い山間やまあいの一本道を進んでいるときのことであった。


 ひょう、ひょうと風を切り飛んできた矢が荷馬車のほろに突き刺さった。


 あと数日も歩けば都に着く。そんな安堵の気持ちが一挙に破られ、商人と若い護衛士が浮き足立つ。


 一瞬の迷いが命取りになる中、アイラが一喝した。


 「身を屈めて駆け抜けろ! 先を駆けて血路を開け!」


 その声に我を取り戻した駆け出しの護衛士と商人は、瞬時に体勢を立て直し、その場を無傷で切り抜けることができたのだった。


 「おかげで、荷を損なうことなく都へとたどりつけた。ありがとう」


 アイラは布袋の口を閉め、懐へとねじ込むと、軽く一礼をしてその場を後にした。



 アイラは都の南門から入ったところに広がる商業区、下ノ町しものまちと呼ばれる場所にいる。


 下ノ町には様々な店や宿がある。口入屋と呼ばれる仕事の斡旋所が置かれているのもこの下ノ町である。


 アイラは北に向かって歩いている。下ノ町の北は、平民の暮らす中なかノ町。


 そこに貸し家業、と呼ばれる仕事をしている男がいる。


 旅商人などが、ある程度の期間、同じ町で腰を据えて商売などをする場合、小さな小屋を借り、しばらく家を借りる代わりに、借りた家の管理をおこなう。


 貸すほうにすれば朽ちていくだけの小屋を貸して金をもらい、なおかつ維持、管理をしてもらえるのだから一石二鳥といえた。


 アイラは馴染みの貸し家業者のところに行った。


 入り口をくぐると老人がいた。


「おや、珍しい客が来たよ」


 いかにも懐かしい、といった感じで老人はいった。


「家を借りたいんだけど」


 アイラは銀貨を三枚取り出し卓に置く。


 男はそれを受け取ると、部屋の奥へ行き、鍵を手に戻ってきた。そうして外に出るとアイラを手招きした。


「二年ぶりくらいか。しばらく都にいるのかい?」


「ええ、しばらくはここで仕事を探そうと思ってます」


 他愛のない会話を交わしながら歩く。


 と、一軒の小屋の前で立ち止まる。


「ここだ」


 あまりいい家じゃないけどな、と呟きながら入り口の鍵を外す。今はここしか空いていないらしい。


 それは中ノ町の外れにある小さな小屋であった。


 中に入ると三畳ほどの土間があり、右手にかまどと流しがある。居間は六畳の板敷きで、中央に囲炉裏があるきりで、かろうじて住居の体裁を整えているに過ぎない。


 しかし、アイラにしてみればこれで十分だった。


 特に不満を見せるわけでもなく、荷物を居間に置いた。


「井戸は裏だ。それじゃあな」


 老人はアイラに鍵を渡すと、そういって帰っていった。

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