仏の業
八雲
序章
最期
我はこの目で都奈之を見たことも無ければ、焼いた臭いを確かめたこともない。
だが、人の肉が焼ける臭いなら知っている。
都奈之を食うたことはないが、人肉なら喰うたことがある。
人を殺したことがないのが、我の唯一の誇りであろう。
それを語れば、その人は、それは誇りではなく逃げだと言った。
人を喰うたことを正当化するために、人を殺さずにいるだけだろうと。
しかし我の手はすでに人を殺した。もうその説教を思い出す必要はない。
今から屍へとならんとする僧の目の前に、釈迦如来の焦げた首が落ちた。白く濁りながらも後ろで立ち昇る炎を写す水晶が額に残っていなれば気づけなかった。
金箔は焼け落ち、木地が露出している。それも焦げ剥げ、面は原型を留めていない。
それを踏みつけ、
「寺よりもよう燃える。中々派手で良いではないか」
上々に声を上げた。
僧は消えかけた瞳孔の光を叩きと戻し、この世のものとは思えぬ形相で睨み上げる。
「お、のれ、この外道、鬼畜生が!」
林の傍らに体中から血を流し垂れ倒れていた僧の声に、婆娑羅は開ききった細長い垂れ目をそちらに向けた。
「ほう、この僧まだ生きておったか。何上儂を畜生と申すか」
「仏を焼いて踏みつけに出来る人間がこの世のどこにおると申す」
「ここにいるではないか。それとも儂が人でないと申すか」
「しかり」
婆娑羅は吹き上げるように笑った。
「面白いことをいう。儂が人ではないと言われたのはこれで三度目じゃ。一度目は親の葬儀、ニつ目は弟を殺したときじゃ。あれは滑稽であった。のぅ、明智よ」
「はあ」と、語りかけられた傍らの武将は呆気からんとやわに首を縦に揺らした。
その武将が笑わぬ以上、他の誰も笑わぬ。いや、そもそも笑えぬ話である。
婆娑羅は興が冷めたのか、無表情に言う。
「流石に三度も言われては、儂は確かに人でないのやもしれぬ。されど、己を外道と思うことはあれど畜生と思うことはない。では何だ?」
「…魔、か」
「左様。第六天の魔王よ!」
婆娑羅は勝鬨を挙げるように高々に声を上げた。
僧は咳き込み、赤黒い血を吐きながら
「ならば、貴様は地獄へ落ちようぞ」
「違うな」
婆娑羅は足元の釈迦を踏み遊ぶ。
「だから何ぞ。貴様らが作った地獄に儂が律儀に従うとでも思うたか」
硬い地面に潰された額から、ほろりとその水晶が砕け落ちる。
「外道が」
「同じ外道が何を言うか」
僧が吐き捨てると、婆娑羅も吐き捨てるように鼻で笑うた。
再び僧の目が開かれる。
「何?我も外道と申すか」
「では逆に聞こう。仏は人に諭すと聞くが、貴様ら僧兵も人を大勢殺したのう。それも仏が諭した道と申すか?」
血が詰まり乾く。舌で口の中を弄れば、錆びた刀を舐めているようだった。音が遠のき、都奈之のような臭いが僧の鼻腔を突いた。
そんな僧を、婆娑羅は刀で突き刺した。言葉にならぬうめき声を挙げるのを愉しんで、刀をねじり嘲笑う。
「何とも哀れな僧じゃ。さては貴様こそ人の皮を被った畜生じゃな」
血と熱が逃げてゆく。突き刺された肩だけが熱を放ち、固まって血が抜けなくなった傷口に代わって黒く濁った血を吐き出す。
何か言おうと動くだけので肝心の音を出さぬ口もやがて動かず、冷え切った指先が釣り上げられた魚の尾鰭めいて、ぴくりと跳ねると、僧の意識はそこで潰えた。
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