三河歴史民俗研究会 発足30周年記念シンポジウム

『箱に封じられたものたち』発表後・質疑応答記録


日時:令和4年5月12日

会場: 豊橋相生文化ホール 小講堂

登壇者:上ノ下 瑞鳴(蒲郡教育大学 特別臨時客員教授)

司会:早矢仕 玲(歴研事務局)

聴衆代表:大学院生、民俗学・郷土史研究家、一般聴講者 ほか


司会

「──それでは上ノ下先生のご講演『箱に封じられたものたち』に対する質疑に移ります。質問のある方は挙手をお願いいたします。」


質問1 (学生)

「先生、発表中におっしゃっていた“amami_box.exe”と“drum_reson.wav”ですが、実際に再生や解析は行われたのでしょうか?」


上ノ下

「ええ、記録上では教育委員会内部では一度だけ再生が試みられていましてですね。機器の動作ログでは再生記録が残りましたが、音声データの波形自体は何も表示されなかったんですね。

 にもかかわらず、複数の職員が“液体が揺れる音を聞いた”と証言しておりましたんですね。もっとも、その後データは破損して、現在は再生不能になっておりますね。」


(場内、しばし沈黙)


質問2 (民俗学研究者)

「発表で示された“封入”と“再生”の構造は、宗教儀礼における埋納思想と対応するように思われます。先生のお考えでは、彼ら高校生たちや周辺人物は意図的にそれを模倣していたのでしょうか?」


上ノ下

「興味深い指摘です。私は、模倣というより直感的再演だと思っておりますね。

 つまり、儀礼の意識はなくとも、封じ、変質させ、音を聴くという行為そのものが人間の本能的な記録装置として働いたんではないかと。

 “記録”とは、魂の重複行為なのですね。何かを忘れたい時、人は無意識にそれを心中の箱に入れる。忘れたい品物、出来事、他人、あるいは自分ごと。」



質問3 (一般聴講者)

「先生、この“箱に封じられたもの”は、結局、いまも動いているのでしょうか? 物語じゃなく、実際に。」


上ノ下

「(やや微笑を浮かべ)動いている、とは面白い表現ですね。

 そうですね……封印は常に、誰かが見てくれる限り有効なんですね。

 見られなくなった箱だけが、機能不全を起こして音を上げるに至る。

 だから……ええ、あなたが耳をすませば、今にも音が聞こえるかもしれませんですね。」


(聴衆の一部、ざわつきと苦笑)



質問4 (若手研究員)

「一点だけ。先生は“封じる人間こそが主題”とおっしゃいましたが、それは宗教的な転義でしょうか? それとも倫理的警鐘なのでしょうか?」


上ノ下

「どちらとも、そしてどちらでもありませんですね。

 私たちはいつの時代も何かを“保存”しすぎる。

 写真に、データに、記憶に。葬送とは忘却の装置なのに、いまや墓標すらクラウド上にあると。

 そう考えると、彼たちは──もしかしたら最も正しい形で、手放す方法を探していたのかもしれませんね。かつて巫女を弔おうとした人々のように。それについては私の過去の著書の──」


司会

「ありがとうございました。

 時間の都合上、質疑はここまでとさせていただきます。

 上ノ下先生、本日は貴重なお話をありがとうございました。」


(拍手音。録音ノイズのような低い揺れが記録ファイルに残る)



備考 :

記録映像30分08秒地点より、会場音声に“著しく引き伸ばされた水滴音”が断続的に混入。

解析の結果、収音機材には入力が検知されていなかった。

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