アビスドランカー

宮野優

第1話 魔人たち①

 ――あなたが深淵を覗くとき、深淵もまたあなたを覗き込んでいる。

フリードリヒ・ニーチェ



 埋葬を終えたのは、既に夜も更けた頃だった。先刻から降り出した雨が泥にまみれた身体と、とうに涙も涸れた顔を洗い流していく。

 生きる理由であり、目的だった人――大切という感情も、離れたくないという気持ちも、全て教えてくれたのはこの人だった。

「……殺してやる」

 悲嘆一色だった心を上から塗り潰すように広がった憎悪は、声となって自然に漏れ出た。

「ぶっ殺す! 必ず探し出して、殺してやるからな!」

 周囲が一瞬光に照らされ、直後に雷鳴が轟いたが、それすら意に介さず立ち上がる。

 愛する人が自分に望んだ生き方はそんなものではないはず――それがわかっていても、復讐への旅路を歩み出すことはもう止めることができなかった。






 山間の坂道を上っていたノエルが慌ただしく駆け下りてくる三つの足音を聞いたのは、まだ日も高い刻限だった。

 ただ事でない気配に足を速めると、見えてきたのは一見して逃げているとわかる、二人の女。手を引かれている方は十五にも届かないであろう少女で、先導しているのはもっと年上の女のようだ。

 そして追手と見える男。痩せぎすの若い男で、目の下から顎にかけて、曲がりくねった黒い紋様が浮かび上がっている。

 魔人だ。

「助けてください! 魔人に殺される!」

 坂を上ってくるノエルに気づいて、手を引かれて必死に走る少女が叫んだ。彼が腰に下げた長剣を見て、騎士だと勘違いしたのかもしれない。或いは単に目に付いた通りすがりに無我夢中で助けを求めただけか。

 二人がノエルの前で立ち止まった。手を引いていた方の女は彼に対しても警戒している様子だ。

「騎士の方……でしょうか?」

 訝しげなのはノエルが騎士にしては若すぎるように見えたからかもしれない。騎士協会に所属する騎士の中には、ベテランの腕の立つ騎士と組んで任務をこなす若手も多いし、中にはノエルくらいの歳の者もいると聞く。だがそのことをみやこから遠いこんな辺境の女が知っているかは怪しい。

「魔人に追われているんです。助けて――」

「生憎おれは騎士協会の者じゃないんだ」

 ノエルは女の訴えを遮って言った。

「だが個人で勝手に騎士の真似事をやってる。まあ野良の騎士ってところかな。だから……後ろの奴をぶちのめすのは構わないぜ」

 ノエルは二人を庇うように前に出て、長剣の柄に手をかけた。携行していた荷物を下ろして臨戦態勢に入る。立ち止まってこちらの出方を見ていた魔人の男が、嘲笑を漏らす。

「ぶちのめす? 騎士見習いのクソガキが、勘違いしてんじゃねえぞ。これが見えねえのか? まさか魔人を知らねえわけじゃねえよな?」

 そう言って自分の顔の紋様を指差す。

「そんな地の果てから来た田舎者に見えるか? 心外だな。単に弱い魔人だから勝てると言ってるだけだよ」

「――何?」

「おまえの魔力、普通の人間の精々二、三倍ってところだろ。魔人の中では、たいしたことない奴だ」

 ノエルが言い放つと、男は呆気に取られた顔をしたが、すぐに真っ赤になって怒りの形相を見せた。

「黙って消えれば見逃してやろうと思ったのによ……そんなに死にたいなら、そこの女たちで楽しむ前に、てめえで楽しんでやる」

 魔人は躊躇なく動いた。一息で彼我の距離を詰めると、無造作に拳を叩きつけてくる。

 が、ノエルにとっては遅すぎる動作だ。

 常人なら一撃で致命傷になりかねない魔人の大振りの拳が到達する前に、ノエルの先に魔人の顔面を捉えていた。

 剣を抜かずに、抜剣に近い動作からそのまま裏拳を至近距離の敵に叩きつけたのだった。

 ノエルが剣を抜くよりも早く攻撃を叩き込めると過信していたはずの魔人は、鼻骨が折れるパキッという音と共にほとんど一回転する勢いで吹っ飛んだ。

「おまえ程度には抜くまでもねえよ」

 魔人はすぐに呻き声を上げながら立ち上がったが、ノエルの方を見て目を剥いた。

「なっ……て、てめえも!」

 斜め後ろから彼の横顔を見たらしい二人の少女も息を呑んだのが気配でわかった。

 自分では見られないが、今ノエルの右頬、そして額から左の目の下辺りにかけて、先ほどまでなかった黒い紋様が浮かび上がっているはずだった。

「魔人が、なんで騎士の真似事なんかして、人間の味方をしやがる!」

「おかしいか? じゃあ魔人らしいってのはどんなだ? 通りすがりの女に襲いかかるのが普通の魔人なのか?」

 ノエルは侮蔑の表情で痩せぎすの魔人を見下ろし、吐き捨てる。

「くだらねえ。そんな刹那的な欲望に従って生きるのは、おれは御免だね」

 ノエルは長剣を抜き払うと、へたり込んだままの魔人に突きつける。

「さて、まだ楽しむか、それともとっとと消えるか、どうする?」

 魔人はしばらく無言でノエルを睨み付けていたが、身を翻すと道の脇の森に飛び込み、すぐに見えなくなった。



「危ないところを助けていただきありがとうございました」

 魔人が逃げ去ると、年上の方の女が目の前に来て、優雅にお辞儀した。編み込んだ金色の長髪が動物のしっぽのように揺れた。

「私はアリスと申します。北のみやこの方に向かって旅をしてるんですが、食料調達に森に入ったら彼女の悲鳴が聞こえて……」

 そう言って背後の少女を一瞥する。顎の下辺りで切り揃えた赤毛。顔立ちも似ていないし、二人が親類でないのは想像が付いていた。

「わたしはドロシーっていいます。この先の村に住んでて、鳥を射ちに森に入ったんです。強い魔力の人が近くにいるのを感じて、もしかして魔人ってやつかもって逃げ出したんですけど、気づかれちゃって……」

 この少女が背負っている弓はさっきから気にはなっていたが、やはり狩りに出ている最中だったらしい。もっとも彼女の腕前がどうであれ、普通の人間以上に殺気に敏感な魔人を弓矢でどうにかすることはできなかっただろう。

「逃げてるところにこちらのアリスが現れて、魔人を投げ飛ばしてくれたんですけど、すぐにまた追いかけてきて……」

「投げ飛ばした?」

 黙って聞いているつもりが思わず口を挟んでしまった。アリスとやらを見やると、何でもないことのように微笑んだ。妙に落ち着きのある女だが、改めて見ると最初の印象より若そうだ。おそらくドロシーとそれほど変わらない、十代後半くらいではないか。それでもノエルよりは年上のようだが。

「私、格闘術マーシャル・アーツの心得がありまして。こう見えてけっこう強いんですよ」

 そう言いながら右腕を上げて力こぶを作る仕草をしておどけて見せた。

 いくら弱い魔人でもそんな小手先の技でどうにかなるものではないだろうが、思った以上に雑魚の部類だったのかもしれない。それに咄嗟の反撃だと、殺気が弱くて反応しづらいということもありえる。

「そうか……まああまり自分の力を過信しないことだな」

 どうも自分も名乗らなければいけない流れに感じたので、ノエルも自己紹介する。

「おれはノエル。さっき見たとおり魔人だが、あんたら普通の人間に危害を加える気はないから安心しな。おれも都の方に用があって、騎士の真似事をしながら旅してる。あんたの村がこの先なら、そこまで同行しよう。さっきの奴がまた襲ってこないとも限らない」

 一度助けた相手が魔人の毒牙にかかるなんて事態は気分が悪いので、そう申し出た。

「いいんですか? ありがとうございます。……あの、よかったら、わたしの村で一晩休んでいきませんか? この先の別の村に着くまでには、たぶん日が暮れてしまうので……」

 野宿には慣れていたが、久しぶりにまともな寝床で寝られるのは魅力的ではあった。それに集落に立ち寄れば飲み水も楽に補充できる。

「そうは言ってもな……おれは“これ”だぜ? ああ、今はもう消えてるか」

 ノエルは自分の顔を指差したが、もう紋様は見えなくなっているはずだった。魔人の紋様は感情が昂ぶったときか、意図的に力を使おうとしたとき以外は現れない。

「あなたは魔人の力を上手く制御されていらっしゃるようですし、一晩くらい村に留まったところで悟られることはないんじゃないですか? 村の人も、ドロシーの命の恩人と知ったらおもてなしをしたいでしょう」

 アリスもそう勧めてくる。

「あー、まあバレることはないだろうが……」

 過去に数回普通の人間の振りをして、野良の騎士として仕事を請けたこともあった。一晩の滞在で魔人と勘づかれることはないだろう。

 結局押し切られるように彼女たちの提案を受け入れることにした。少女たちの歩調に合わせてゆっくりと山間を登っていく。

「アリスは都の出身なんですか?」

「いえ、ずっと東の方の小さな町から来ました。ちょっと人を探してまして」

 一人で旅を続けていたノエルには、道中誰かと会話するような習慣は無論ない。彼女たちのおしゃべりを無視しながら黙々と歩く。

「同郷の人ですか?」

「面識はない方なんですけどね……聞いたことありませんか? 冥王と名乗っている人――」

「冥王だって?」

 不意に耳に入ってきたその単語には、さすがに反応せずにはいられなかった。

「ご存じですか?」

「……噂で聞いただけだが。徒党を組んで暴れ回って、そう名乗ってる魔人がいるってな。あんた、そんな奴に何の用がある」

「正確にはその冥王さんじゃなくて、一緒にいるはずの方に用事があるんですが……恩人のご家族でして」

 身内から魔人が出て、悪党の仲間入りでもしたのだろうか? そんな輩に会おうなどとは無謀にも程がある。

「あんたさ……さっきの件にしてもそうだが、危機感が足りなすぎるぞ。魔力を鍛えれば普通の人間だって魔人と戦えないわけじゃない。腕のいい騎士は一人でも魔人を相手にできる。だがそれは武器の扱いに習熟した戦士だからだ。見たところ、あんたろくに武器も持ってないよな? 技があっても素手じゃ魔人は倒せないぞ。戦う力も持たねえで、奴らと話し合いができると思ってるなら大間違いだ」

「でも、あなたとはこうしてお話ができていますよ」

「おれは……普通の人間に交じって生きてた時期が長いからな」

 大抵の魔人はもっと攻撃的で人間を敵視している。丸腰の女が接触するなど自殺行為だ。

「すみません……辛いことを話させてしまって」

 アリスが沈んだ声でそう言った。人間社会で生きてきた魔人が今は一人でいる。その意味するところは一つだ。魔人であることが周囲に発覚して、住み慣れた村や町にいられなくなる。多くの魔人は幼少期にそうした事態が起こる。そこで共同体の大人たちに始末されるか、追い出されるか。生き延びた魔人が多くの場合どう育つかは、さっきぶちのめした奴が一つの好例だろう。

「いや、気にすることない。故郷に未練はないし、気楽な根無し草暮らしも慣れれば悪くない」

 そう、生まれ育った町に未練はない。あるのは――ノエルは腰に下げた長剣の鞘にそっと触れる――この剣の持ち主にまつわる記憶と痛みだけだった。

「でも、自由に旅をするのってちょっと憧れるかも」

 ノエルの追想をかき消すようにドロシーが呑気なことを呟いた。いや、彼女なりに重くなった雰囲気を払拭しようと気を遣ったのかもしれない。

「もっと世の中が安全になって、誰でも好きなように旅ができたらいいんですけどねー」

 アリスも同調し出す。少し抜けたところのある女なのかもしれない。やたらと裾の広がった黒いロングスカート――深くスリットが入っているのを裾のボタンで留めている――を履いて、上は汚れの目立ちそうな真っ白な服を着ている。こんな格好で旅をするどころか森で食料調達をしようとしていたのも、森を舐めているとしか思えない。

 そうこうしているうちに村が見えてきた。――が、足を踏み入れる前から不穏な空気が肌を刺すように伝わってきた。

「……先を越されたみたいだな」

 村の中央の開けた場所に、こちらに背を向ける三人の男。三人と対峙するように立って各々の手に槍や斧を持った男たち。

 魔力の強さでわかる。三人の男は魔人だ。

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