意外と面白いのかもしれない

第4話

 最初に会ったのは、仕事場だった。

 出版社の入っている雑居ビルの一階の打ち合わせ用の小さな会議室。午後の中途半端な時間で、窓から入る光も鈍かったのを覚えている。

 営業の人が来るとだけ聞いていて年齢も性別も気にしていなかった。

 ドアが開いて入ってきたのは、背筋の伸びた女性だった。 

「立花と申します。本日はよろしくお願いします」

 

 名刺を差し出されて受け取る。

 

 立花真白。

 

 見た目も声も話し方も、若いはずなのに、落ち着いている。

 愛想はあるけれど、距離を詰めてこず、仕事の説明は簡潔で、質問にも過不足なく答える。

 こちらの反応を見て、必要なところだけ補足する。

 仕事ができる人、それが、最初の印象だった。

 それ以上でも、それ以下でもなく、特別な感情は、なにもなかった。

 打ち合わせは予定通り終わり、名刺交換をして、それで解散という流れに。今日以降はオンラインでの話がメインということもあり、もう会うことはないだろう、と思っていた。

 次に会ったのは、完全に偶然だった。

 数日後、思ったより原稿が進まず、家にいるのが嫌になり、近所のカフェに入った。

 昼と夜の境目みたいな涼しい時間で、店内は思ったよりも静かだった。

 頼んだコーヒーを飲みながら、ノートパソコンの画面を眺めていると、視界の端に見覚えのある姿が入った。

 立花さんだった。

 仕事帰りらしい服装で、一人で席に座っている。

 スマホを置いて、カップを持つ仕草が落ち着いていた。見るつもりはなかったが、こちらの視線に気づいたのか、立花さんは振り返ると目が合ってしまった。

 驚いた様子はなく少しだけ間を置いてから、会釈をされた。

「こんばんは」

 

 確か向こうから声をかけてきた。

 

「こんばんは」

 

 それだけのやり取り。

 

 なのになぜか、そのまま同じテーブルに座る流れになった。席が空いていたからかもしれないし、お互いに断る理由がなかっただけかもしれない。

 仕事の話を少ししてそれからどうでもいい話をした。

 この店は静かでいい、とか。

 最近、忙しいかどうか、とか。

 私は、自分が官能小説を書いていることを話した。

 

「あの時は、言いませんでしたが、官能小説を書いてるんです」

 そう言ったとき立花さんの反応を無意識に見ていた。

 引かれるか、気まずそうにされるか。

 それとも、変に興味を持たれるか。

 もう会わない人、だから言ってもいいと思えた。

 

 でも、立花さんは、ほんの少し眉を動かしただけだった。

「そうなんですね」

 

 それだけ。

 特別な感想も、踏み込んだ質問もない。

 気にしていない、という態度。

 それが、なんだか心地よかった。

 説明しなくていい、正当化しなくていい。

 ただ、そういう仕事だと受け取られただけ。

 

 次に会ったのは、バーだった。

 私は夜の時間が苦手で、原稿が進まないと、つい外に出てしまう。

 カウンターで一人、グラスを傾けていた。

 そこに、また立花さんがいた。

 一人で、同じようにカウンターに座って、静かにお酒を飲んでいる。

 量は多くない。酔っている様子もない。

 

「こんばんは」

 

 今度は、私から声をかけた。

 

「こんばんは」

 

 少しだけ驚いた顔。

 でも、すぐに落ち着いた表情に戻る。

 それからも、何度か会った。

 カフェで。

 バーで。

 約束はしていない。

 連絡も、まだ取っていない。

 ただ、同じ時間帯に、同じ場所にいることが増えただけ。

 会えば話すし、会わなければ、それで終わり。

 呼び方も、ずっと苗字のまま。

 

「立花さん」

 

「黒川さん」

 

 距離は、一定だった。

 でも、その距離が、なんだか心地よかった。

 ある日、別れ際に、立花さんが言った。

 

「連絡先、交換しておきますか」

 

 一瞬だけ、考えた。

 仕事は、もうほとんど終わっている。

 必要か、と言われれば必要じゃない。

 でも、断る理由もなかった。

 

「そうですね」

 

 スマホを取り出して、連絡先を交換する。

 それだけのことなのに、少しだけ胸の奥がざわついた。

「これで、偶然じゃなくなりますね」

 

 立花さんが、軽く言う。

 

「そうですね」

 

 私は、同じように返した。

 そのときはまだ、

 これがどういう関係になるのか、考えていなかった。

 ただ、官能小説を書いている私を、特別視しない人がいることが、思っていた以上に、楽だった。


 また別の日、たまたま会ったバーでのことだった。

 平日の遅い時間で、客は私と立花さんを含めて二人だけ。カウンターの向こうでは、マスターがグラスを拭いている。音楽も小さくて、話し声が必要以上に響かない。立花さんはこの日も一人で来ていた。

 仕事帰りの服のまま、カウンターの端に座って、薄い色の酒をゆっくり飲んでいる。酔っている様子はなく、グラスの減り方も一定だった。

 私も隣に座って、同じようにグラスを置く。

 しばらくは、どうでもいい話をしていた。


 その流れで、ふと立花さんが言った。

 

「黒川さん」

 

「なんですか?」

 

「官能小説を書くときって、なにか参考にしてるんですか?」

 

 思ってもいなかった質問で、少しだけ間が空く。

 

「えっと、参考?」

 

「はい。資料とか、そういうのです」

 

 立花さんは、悪びれた様子もなく続けた。

 

「それこそ……アダルトビデオとか」

 

 一瞬、頭の中で言葉が渋滞して、次の瞬間、吹き出してしまった。

 

「ちょ、ちょっと……」

 

「え、そんなに変でした?」

 

「いや、変っていうか……」

 

 笑いが止まらなくて、グラスを置く。

 

「ごめん、予想外な事言われたから」

 

「すみません、ただ気になって」

 

「分かるけど」

 

 息を整えてから、首を振った。

 

「違うよ。あれはフィクションだし、セックスしかないでしょ」

 

「……セックスしかない」

 

「そう。ずっとヤってるだけ」

 

 立花さんは、真面目な顔で聞いている。

 

「私が書いてるのは、確かにそういうシーンはあるけど」

 少しだけ言葉を選ぶ。

 

「人の心情とか、関係性とか、そういうのを大事にしてるから。あんな、最初から最後までずっと、ってわけじゃない」

 

「なるほど」

 

 立花さんは、ちゃんと頷いた。

 

「だから、アダルトビデオを参考にするっていうのは、ちょっと違うかな」

 

 そう言うと、立花さんは少し考えてから言った。

 

「見たことないので、分からないですけど」

 

「……うん」

 

「でも、詳しいんですね」

 

「詳しくはない」

 

「じゃあ、今度、見てみます」

 

 一瞬、言葉の意味を取り違えたかと思った。

 

「……なにを?」

 

「アダルトビデオです」

 

 あまりにも真顔で言うものだから、今度は声を出さずに笑ってしまった。

 

「なんでそうなるの」

 

「黒川さんが、違うって言うからです」

 

「違いを確かめるため?」

 

「はい」

 

 悪気が一切ない。

 その様子が、なんだかおかしくて、私はグラスを持ったまま、少しだけ立花さんを見る。

 もしかして、この人は思っているより、面白い人なのかもしれない。営業の人、という枠だけでは説明できない。そういう引っかかりが、胸の奥に残った。

バーの中には、相変わらず二人分の呼吸音だけがあった。

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