第2話

 朝の電車は、いつも通り混んでいる。

吊り革を掴みながら、今日の予定を確認する。

午前中は外回りが2件、午後は社内で資料作成。

特別な案件は入っていない。

予定表がきれいに埋まっているのを見ると、

少しだけ気持ちが落ち着いた。

 気がつけば会社近くの最寄り駅に着いていた。

改札を抜けたところで、後ろから声をかけられる。


「立花、おはよ」

 

振り返ると、佐伯遼さえきりょう先輩がいた。同じ部署の先輩で、年は2つ上。

いつもより、眠そうな顔をしている。


「佐伯先輩。おはようございます。」


「今日、外ある?」


「午前中だけです」


「そっか。じゃあ午後、昨日話した資料ちょっと見てもらっていい?」


「はい、大丈夫です」


「ありがと!助かる」


一緒に行ってもいいのだが、先輩はいつも会社に行く前にコンビニに寄るらしい。佐伯先輩はそれだけ言って、改札の向こうへ歩いていった。


 仕事の話は、必要な事だけで終わる。その距離感がちょうどいい。

 会社に着くき、自分の席に座る。

パソコンを立ち上げメールの確認する。

未読は少なめで、緊急のものもない。

1つずつ処理をしていると、隣の席の椅子が引かれて声を掛けられる。


「あ、おはよう真白」


 声をかけてきたのは、三浦結衣みうらゆい。同い年で入社も同じ。所謂同僚だ。


「おはよ、結衣」


「今日さ、朝イチで修正入ってさ」


「え、また?」


「そう、また。数字全部入れ替え」


「それは大変だね」


「でしょ。朝から心折れた」


 結衣はそう言って、少し大げさに肩を落とす。

 その動きがおかしくてつい笑ってしまう。このくらいのやり取りなら、負担にならない。

 午前中の外回りは、特に問題なく終わった。

先方の反応は普通で、資料もそのまま通る。

大きな手応えはないけれど、失敗もない。

営業としては、悪くない1日だった。

 昼休みは結衣と近くの定食屋でご飯を食べることになった。


「真白ってさ、ほんと安定してるよね」


「そうかな」


「うん。慌てないし、淡々としてる」


「慌てても、あんまりいいことないし」


「それが言えるの、すごいと思う」


 結衣は感心したように言いながら1人で頷いている。お世辞だと思うが少し恥ずかしく、箸を持つ手を動かした。


「営業向いてるよ、真白」


「ありがとう」


 素直に褒められるのは嬉しい。否定するほどでもないし、謙遜するほどの自信もないけど。

 午後は資料作成に集中し、数字を揃えて文章を整える。画面の中の言葉は意味がはっきりしていて、考えすぎなくていい。


 定時を少し過ぎた頃、結衣が大きく伸びをした。


「ふぅ、終わったー!ねえ、今日暇?」


「うん、特に予定ない」


「じゃあさ、ご飯行こ!」


 一瞬、スマホの通知欄が頭をよぎり、画面を見るも通知はなく静かなままだ。


「いいよ」


「やった」


 会社の近くの定食屋に入ると、仕事終わりの人で店内はそこそこ賑わっており、お酒の香りがした。


「真白、こういう店来るんだ」


「普通に来るよ」


「自炊派かと思ってた」


「自炊もするけど、外食もする」


「ちゃんとした生活してるよね」


「それ、褒めてる?」


「褒めてる褒めてる」


そんな会話をしながら数品の料理と、お酒を頼む。

結衣は笑いながらメニューを閉じ、じっとこちらを見つめて話をする。


「そういえばさ」


 箸を割りながら、結衣が言った。


「真白って、好きな人いるの?」


 好きな人。一瞬だけ、自分の中で言葉を探す。


「どうして?」


「なんとなく。年頃じゃん」


「いないよ」


「ほんとに?」


「ほんと」


「えー、つまんない」


「それは失礼じゃない?」


 そう言うと、結衣は笑った。


「恋愛興味ない系?」


「ないわけじゃないけど」


「けど?」


「好きって言われると、あんまりピンとこない」


「分かんないってこと?」


「うん、そんな感じ」


「もったいないなあ」


「そうかな」


 定食が運ばれ、湯気が立ちのぼり、少しだけ視界が白くなる。


「誰かと一緒にいたいとか思わないの?」


「別に。一人でも平気だし」


「強いよね」


「強いっていうか……慣れてるだけ」


 結衣はふうん、と言って頷く。


「私はさ、好きな人いないと無理」


「仕事は?」


「仕事は別」


 その線引きが、少しだけ面倒に感じ、何も言わず、箸を進める。


「真白って、冷たいって言われない?」


「言われるよ」


「やっぱり」


「でも、別に嫌われてるわけじゃないし。多分」


「それがすごいんだって」


 結衣は笑うが、恋バナというほど盛り上がっているわけでもないのに、話題は続く。

正直、少しだけ面倒だと思う。

でも、それを口に出すほどでもない。


「じゃあさ、もし告白されたらどうする?」


「うーん……どうもしないよ、たぶん」


「たぶん?」


「そのとき考えるかな」


「余裕あるなあ」


「余裕っていうか、深く考えてないだけ」


 結衣は箸を止めて、真白を見る。


「真白って、やっぱ不思議」


「よく言われる」


 食事を終えて店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。


「今日はありがと」


「うん、楽しかった」


「また行こ!」


「タイミング合えばね」


 駅で別れ、改札を通りながらスマホを見るも通知は、やっぱり何もない。何か期待してる訳では無いけど。

電車に乗り、窓の外を眺め、今日一日、あったことを思い返す。特別なことは何もない。

だが、それでいい。それがいい。

そう思いながら、真白はつり革につかまった。


 家に着いた後は、靴を脱ぎ、玄関の電気をつけ、ドアを閉める。外の気配が一気に遠ざかった気がして、廊下に残るのは自分の足音とエアコンの低い稼働音だけ。

 バッグを床に置いて、コートを脱ぐ。ハンガーにかけながら時計を見るとまだ23時前。日付を跨いでいると思ってたため、少し得した気分だ。

 仕事帰りに結衣とご飯を食べてそのまま帰ってきただけなのに、少しだけ一日が長かった気がする。

 キッチンで水を汲み、コップ一杯をゆっくり飲む。冷たい水が喉を通る感覚を、必要以上に意識する。こういう小さな動作を挟まないと、頭の中が次に進んでしまう気がした。

 リビングの椅子に座るとしばらく何もしたくない。 テレビをつける気にもならず、スマホを見る気にもならない。

 今日の仕事を思い返す。

外回りは滞りなく終わって、資料も問題なかった。佐伯先輩に頼まれた件も、明日には確認できそうで、結衣との会話も、特に引っかかることはない。


 ――好きな人いるの?


 その言葉だけが、少し遅れて浮かぶ。

 別に、嫌な質問ではなかったし答えに困ったわけでもない。ただ面倒だった。

 好きかどうかなんて、そんなに簡単に言葉にできるものなのかと考えてしまう。自分の中で整理もしていない感情を人に説明する前提で聞かれるのが、少しだけ億劫だった。

 立ち上がって引き出しの前に行き、一番下の引き出しを迷わず開ける。

 中には、重たい貯金箱がひとつ入っている。

大きめの硬貨を入れるためのもので、音が鳴らないように内側が厚く作られている。可愛げはないけれど、丈夫そうで気に入っている。

 貯金箱をテーブルの上に置きふたを開けると中には、折りたたまれた一万円札が、きれいに揃って入っている。それを一枚ずつ取り出しテーブルに並べていった。

 1枚、2枚。

 指で揃えながら、自然と数える。

「……、9、10」

 10万円。

 きりのいい数字。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 このお金は、一度も使っていない。

というより、なんだが使いずらい。

 コンビニで何かを買うときにも、外食するときにも、思い浮かべたことはあるが使うのは違うと思っている。

 副業としてもらっているはずなので、使うべきだと思っているし、副業なら本来は生活の足しにするものだ。家賃でも、食費でも、貯金でもいい。使い道はいくらでもある。それなのに、このお金だけは、生活の中に混ぜたくない。

 理由を考えてみるが危ないお金だから、というわけでもない。違法なことをしているわけでもないし、無理をしている自覚もない。

 ただ、このお金を使ってしまったら、何かが変わってしまう気がして、気が引ける。

 仕事として成立している、という言い訳が少し弱くなるような。

 副業、という言葉が、曖昧になるような。

 紙幣の端を揃えながら、私は息を吐いた。

 家で、言うことをひとつ聞く。

 それだけで一万円。

 条件は分かりやすい。

 やっていることも、説明できる範囲だ。

 だから大丈夫、と自分に言い聞かせている。

 貯金箱の中の10万円は、その証拠みたいなもの。


 触れてはいるけど、生活には入れていない。

 境界線を、ここに引いている。

 お金を元に戻し、ふたを閉める。

 引き出しを閉める直前、少しだけ手が止まり今日、呼ばれなかったことを思い出す。

 別に、毎日連絡が来るわけじゃないと、分かっているはずなのに、頭のどこかで来るかもしれないと待っていた自分がいる。

 それに気づいて、少しだけ居心地が悪くなる。


「あれは仕事だ」


 誰に聞かせるわけでもなく小さく呟く。

 ソファに座り、背もたれに体を預け、天井を見上げると、部屋の灯りが少し眩しかった。

 千尋さんの顔が、ふと浮かぶ。

 条件を言うときの、淡々とした声。

 何も起きていないはずの時間。

 それ以上、考えないようにする。

 考えると、仕事という言葉が使えなくなりそうだった。

 スマホを手に取り画面を点けるも通知は、やっぱり何もない。

 画面を伏せて、ベッドに横になるとシーツの冷たさが、少しだけ安心させてくれる。

 今日は、呼ばれなかった。

 それだけの一日。

 そう思いながら、真白は目を閉じた。

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