第23話 クローザーへ抜擢

その話は、ある意味で唐突だった。


 だが、同時に――

 避けられない流れでもあった。


 九回を終えた夜。

 ロッカーでアイシングをしていると、投手コーチが立っていた。


 「霧島、少し来い」


 声は低く、周囲に聞かせない調子だった。

 嫌な予感は、しない。

 だが、軽い話でもない。


 会議室。

 監督と、投手コーチだけ。


 資料も、映像も出ていない。

 それが逆に、重かった。


 監督が、先に口を開く。


 「最近の起用について、どう思ってる」


 即答は、できなかった。


 考える時間が、欲しかった。

 だが、プロでは沈黙も答えになる。


 「……九回が増えました」


 それだけ言った。


 監督は、うなずく。


 「抑えとして使っているつもりは、まだない」


 “まだ”。


 その一言が、耳に残る。


 投手コーチが続けた。


 「だがな。

 リーグの反応が、変わってきている」


 タブレットが、机に置かれる。

 映っているのは、相手ベンチの様子。


 九回。

 俺がブルペンから立ち上がる瞬間。


 相手ベンチの動きが、止まっている。


 「打者が、準備を止めている」


 コーチが言う。


 「代打を考えて、やめている」


 理由は、ひとつ。


 読めないからだ。


 監督が、俺を見る。


 「クローザーを、やってみないか」


 部屋が、静まった。


 冗談ではない。

 試しでもない。


 はっきりとした、打診だった。


 クローザー。


 九回。

 セーブ。

 失敗は、すべて記録に残る。


 そして何より――

 未完の魔球と、最も相性が悪い役割だ。


 俺は、正直に言った。


 「……向いてないと思います」


 投手コーチが、すぐに返す。


 「理由は?」


 「未完だからです」


 完成していない。

 再現性が、完全じゃない。


 四球もある。

 暴発も、ゼロじゃない。


 「クローザーは、

 “確実に抑える”役割です」


 監督は、黙って聞いていた。


 やがて、ゆっくり言う。


 「それは、

 “完成した投手”の話だ」


 その言葉に、

 少しだけ、胸が動いた。


 「お前の球は、

 完成していない」


 「だから、

 打者が“最後の準備”をできない」


 投手コーチが、補足する。


 「九回で一番嫌なのはな、

 “考えさせられること”だ」


 「お前の未完は、

 それを強制する」


 理屈は、分かる。

 だが――


 「連投が、持ちません」


 俺は言った。


 「今でも、

 管理されてやっとです」


 クローザーは、

 酷使される。


 連投。

 回跨ぎ。

 緊急登板。


 未完の魔球は、

 疲労を隠さない。


 監督が、少し笑った。


 「だからこそ、

 役割を固定する」


 固定。


 その言葉が、

 頭の中で反響する。


 「一回。

 一イニングだけ」


 「連投は、二まで」


 「それ以上は、使わない」


 ――守られる。


 未完を、

 武器として使うための設計。


 「条件付きだ」


 監督は、はっきり言った。


 「失敗したら、

 すぐ外す」


 それもまた、

 プロだ。


 部屋を出たあと、

 廊下で一人になった。


 クローザー。


 そこに、

 憧れはなかった。


 あるのは、

 責任だけだ。


 だが――

 逃げる理由も、なかった。


 次の日。


 九回。

 一点差。


 初めて、

 “抑え”として名前が呼ばれた。


 スタンドの音が、

 これまでと違う。


 期待と、

 不安が混ざっている。


 マウンドに立つ。


 捕手が、構える。


 サインは、

 未完。


 一球目。


 ボール。


 ざわめき。


 気にしない。


 二球目。


 ストライク。


 三球目。


 ファウル。


 四球目。


 力を抜く。


 ボールは、

 沈まず、遅れる。


 詰まったゴロ。


 一死。


 二人目。


 四球狙い。


 ――分かってる。


 だから、

 未完を速くする。


 反応が、遅れる。


 空振り。

 ファウル。

 見逃し。


 二死。


 最後の打者。


 ここだ。


 完成させない。

 まとめない。

 読ませない。


 投げる。


 ボールは、

 途中で失速し、

 どこにも行かず、

 どこにもいない。


 空振り。


 ゲームセット。


 一瞬の静寂。

 次の瞬間、

 歓声が爆発した。


 ベンチに戻ると、

 監督が一言だけ言った。


 「……悪くない」


 それで、十分だった。


 ロッカー。


 スマホが震える。


 早乙女からだった。


 《やると思った》


 《一番嫌な抑えだ》


 俺は、短く返す。


 《完成してないからな》


 《だから、九回で投げる》


 画面を閉じる。


  九回は、

 最も静かで、

 最も騒がしい場所だ。


 完成品はいらない。


 未完であることを、

 最後まで貫ける投手だけが立てる場所。


 俺は、

 そこに立つことを選んだ。


 完成しないまま。

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戦力外投手、逆行転生してナックルボーラーになる 杜司 @shinj0527

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