第17話 未完の魔球

二軍のブルペンは、静かだった。


 歓声も、フラッシュもない。

 あるのは、

乾いた捕球音と、

土の匂いだけだ。


 東都グリフォンに入団して、三か月。


 俺は、まだ一軍を知らない。


 理由は、単純だった。


 ナックルが、通用していない。


 正確に言えば――

「通用したり、しなかったりする」。


 捕手が変わるたび、

球が変わる。


 落ちる日もあれば、

抜ける日もある。


 高校では成立していた

指向性ナックル。


 だが、

プロの打者は違った。


 振らない。

 慌てない。

 そして、

一球の違いを、見逃さない。


 ブルペンで、

投球を終える。


 捕手が、首をひねった。


 「悪くはないんだけどな……」


 その言葉が、

一番きつい。


 悪くない。

 でも、良くもない。


 評価としては、

最悪に近い。


 ロッカーに戻る途中、

投手コーチに呼び止められた。


 U-18で会った、あの男だ。


 「霧島」


 ベンチ裏。


 誰もいない場所。


 「正直に言う」


 彼は、

はっきり言った。


 「今のお前は、

 “使いどころがない”」


 胸に、

重たいものが落ちる。


 「ナックルは、

 武器にもなる」


 「だが、

 今の完成度だと、

 リリーフでも、

 先発でも怖い」


 俺は、黙って聞いた。


 言い返せる材料が、

なかった。


 「原因は、

 分かっているか?」


 「……いいえ」


 彼は、

一瞬だけ迷ってから言った。


 「強すぎる」


 予想外の言葉だった。


 「お前の指は、

 制御力が高すぎる」


 「だから、

 毎回“同じ球”を投げようとしてしまう」


 息を、

止める。


 「ナックルはな」


 彼は続けた。


 「毎回、

 同じである必要はない」


 頭の奥で、

何かが軋んだ。


 前世の記憶。


 最後まで辿り着けなかった答え。


 ――そうか。


 未完なのは、

技術じゃない。


 発想だ。


 その夜、

一人でグラウンドに立つ。


 照明だけが、

土を照らしている。


 ボールを、握る。


 いつも通りの指圧。


 いつも通りのリリース。


 ――違う。


 それじゃ、

今までと同じだ。


 意図的に、

ほんのわずかだけ力を抜く。


 回転が、

“生まれる”。


 完全に殺さない。


 だが、

暴れさせない。


 許容する。


 一球目。


 落ちない。


 二球目。


 横に、ズレる。


 三球目。


 沈む。


 ――バラけた。


 だが、

捕れないほどじゃない。


 むしろ――


 「……嫌だな、これ」


 ブルペンの影から、

声がした。


 振り向くと、

別の捕手が立っていた。


 「毎回、違う」


 「でも、

 全部ストライクゾーンに来る」


 心臓が、跳ねた。


 「名前、付けるなら?」


 捕手が、冗談っぽく言う。


 俺は、答えた。


 「――未完の魔球」


 完成させない。


 完成を、

許さない。


 打者に、

「慣れ」を与えない。


 それが、

答えだった。


 数日後。


 二軍戦。


 初登板。


 サインは、

ナックル。


 一球目。


 見逃し。


 二球目。


 空振り。


 三球目。


 詰まったフライ。


 ベンチが、ざわつく。


 誰も、

球種を断定できない。


 コーチが、

小さく呟いた。


 「……完成させなかったか」


 それでいい。


 俺は、

完成を目指さない。


 未完のまま、

 投げ続ける。


 それが、

俺のナックルだ。


 測れないなら、

打てない。


 プロの世界で、

俺はまだ――


 終わっていない。

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