第7話:解けた呪縛、知らない「優しい世界」
深い森の静寂を、碧色の巨体が震わせた。
「任せるのじゃ!」
ブルーナの誇らしげな宣言とともに、本来の姿へと戻った彼女の巨大な足が、
ユニコーンに似た一角獣を一息に地面へと押さえつける。
「ほら、大人しくしろ」
俺はゆっくりとその傍らへ歩み寄り、一角獣の白銀に輝く毛並みを、
一定のリズムで優しく撫でた。
死を覚悟して激しく暴れていた魔獣は、俺の手が触れた瞬間、毒気を抜かれたように大人しくなる。その隙を見逃さず、俺は腰のナイフを閃かせた。
「これさえ貰えりゃ、お前の命まで取る必要はねぇからな」
一瞬で切り落とされた角を見つめ、魔獣は悲しそうな声を上げる。
「角なんて、また再生するんだからいいだろ? ……許してくれ」
俺は謝りながら、詫びの印として魔獣の柔らかな腹を撫で続けた。
すると魔獣は、それに応えるように「もっと撫でろ」とばかりに喉を鳴らして甘えてくる。数時間もそうしていただろうか。満足したのか、魔獣は最後に小さく鼻を鳴らすと、軽やかな足取りで深い森の奥へと駆けていった。
「ふん。アレク、妾(わらわ)を差し置いて、他の獣に現を抜かすとは……」
ブルーナが元の巨大な姿のまま、嫉妬に駆られて癇癪を起こす。
「……妾ももっと撫でるのじゃ! 早くせぬか!」
古龍の巨体で甘えられるのは、天災級の迫力だが、
俺は苦笑いしながら、その美しい碧鱗を丁寧に撫でた。
「わかった、わかったよ。お疲れ様、ブルーナ」
「ふふん。今日の報酬は良いのだろ? 美味しいものが食べたいのじゃ!」
「ああ。よく働いてくれたからな。奮発してやるよ」
俺の言葉に、ブルーナは満足げに、嬉しそうに喉を鳴らした。
冒険者としてソロ活動を始めてから、もう三年の月日が過ぎていた。
現在のランクはB級。
ソロ専門の割には、まあまあ良くやっている方だというのが周囲の評価だろう。
俺はこの三年間、徹底して用のないときは街の外で過ごし、
女性との接触を死に物狂いで避けてきた。
腹の底から鎌首をもたげる「言い知れない劣等感」と、
ドロドロとした「成り上がりたいという感情」。
それを気合だけで抑え込むためには、一人きりの孤独が必要不可欠だった。
ブルーナは、初めてできた友人である俺を取られたくないのか、
近寄ってくる他の魔獣を鋭い威嚇で追い払ってくれる。
一度、強力な魔族が接触してきたときは肝を冷やしたが、
ブルーナより格下だったのか、そいつも残念そうに姿を消した。
懸案だった『魅惑の芳香』も、どちらも低レベルのまま維持できている。
(……やっぱり森はいいな。ここなら、あの強烈な感情を抑え込むのが楽だ)
もう三年か。
原作シナリオなら、今頃は一大ハーレムを築き上げ、
巨大クランを率いて無双している時期だろう。
俺は順調に、物語のレールから逸脱し続けている。
今さらこの完璧なまでの計画を軌道修正しようとしても、もう手遅れと言っていい。
「……ざまぁみやがれ」
俺は誰にともなく、ニヤリと口角を上げた。
――その、刹那だった。
『――つまんね』
退屈しきった、冷ややかな声が、脳裏に直接響いた。
驚いて振り返るが、そこにはブルーナ以外、誰もいない。
「どうしたのじゃ? 早く美味しいものと、続きを撫でよ!」
ブルーナの催促に、俺は「……なんでもねーよ」と返した。
だが、即座に体を走った異変に気づく。
いつも自分を苛んでいた、あの暗い感情が――霧散している。
重く、どんよりと沈んで見えていた世界が、幕を剥がしたかのように、
急に明るくなった気がした。
その不可解な感覚に首を傾げながらも、俺は依頼の完了報告のため、
ギルドへ向かった。
しかし、そこで俺を待っていたのは、天地がひっくり返ったかのような光景だった。
「おう!! アレ坊!! またブルーナとだけで依頼やってきたのか!!」
いつも飲んだくれては俺に毒づき、嫌な顔で悪態をついてきた戦士のビフが、
豪快に笑いながら背中を叩いてくる。
「たくっ!! たまにはA級のビフさんにも頼れってんだよ!」
「まあいいじゃねえか、旦那! 結局、元気に帰って来てんだから、
今日は喜んでやろうぜ!」
周囲の男たちも、見たこともないような晴れやかな顔で笑っている。
呆然とする俺の視界に、妖艶な魔法使いのベアトリスが滑り込んできた。
柔らかな香りとともに、彼女は俺を抱きしめる。
「アレクちゃん、今日も無事帰ってこれたのね~? よかったわぁ、本当に」
いつもいやらしい顔で俺を誘っていたはずの彼女の瞳には、
まるで弟を見守るような、純粋な慈愛だけが宿っていた。
「あ、あの、あのあの……っ!」
慌てて俺を引き剥がそうとするのは、
同じく不気味な視線を送ってきていた女冒険者のミィだ。
「ベアトリスさん、アレクさんが息できてないですよ!
死んじゃいますよ……っ!」
状況が、まったく掴めない。
混乱の極致にありながらも、俺は、いつも仏頂面で俺をあしらっていた受付嬢――
エレーナの前に、報告の品を差し出した。
「今回も無事、依頼完了ですね」
エレーナは嬉しそうに微笑みながら、それでいて本気で心配するように、
俺の顔を覗き込んできた。
「でも、一人と一匹じゃ限界があります。無理は禁物ですよ? アレクさん」
いつも通りの冷淡な対応を予想していた俺は、あまりの優しさに毒気を抜かれ、
思わず言葉を返してしまう。
「……ああ、わかったよ」
――その瞬間。
ギルドの空気が、爆発した。
「ビフの旦那!! アレ坊が、アレ坊が返事をしたぞ!!」
「お!! とうとう、とうとう俺たちに心を開いたか!?」
盛り上がる野郎どもの歓声が、屋根を震わせる。
エレーナも、
「いつも眉間に皺を寄せて、さっさと帰ってしまうのに……珍しいですね」
と、いたずらっぽく顔を覗き込んできた。
俺の頭の上で、ブルーナが「ギャウっ!」と鋭く鳴いてエレーナを威嚇する。
「あら、ブルーナちゃんはまだまだ甘えたい盛りなんですね?
怒られちゃいました」
エレーナは怖がる風もなく、ぺろりと舌を出しておどけて見せた。
「がはは! それだけご主人様が大好きなんだろ? なぁ、ブルーナ?」
ビフが笑いながら、手近な皿から骨付き肉を差し出す。
すると、ブルーナは一瞬で食らいついた。
「食い物に素直なところがかわいいじゃねえか」
豪快に笑うビフに対し、ブルーナは肉を咀嚼しながら、俺の耳元で念を送ってくる。
「ふん、妾はこれぽっちでは満足せぬぞ! もっとよこせというのじゃ、アレク!」
胃袋に関しては、相変わらず遠慮というものを知らないらしい。
それを見たベアトリスとミィも、すぐさま抗議の声を上げる。
「あらあら~? エレーナちゃんにだけ心を開くなんて、ずるいわ~!
私たちにも返して!」
「ずるいですー!! 私たちにも、その顔を見せてくださいー!!」
かつて俺を軽蔑し、あるいは歪んだ欲望の対象として見ていた連中が、
今は熱烈に俺を祝福している。
ビフが、極太の拳を高く突き上げた。
「よーし!! アレ坊が心を開いた記念だ!! 今日はA級のビフ様が、
全部ごちそうしてやるぞ!!」
「B級昇格のお祝いも、まだでしたし。ちょうどいいですね!」
エレーナが楽しそうに手を叩くと、他の連中からも次々と声が上がった。
「俺も出すぞ!!」
「あたしもよ!!」
「散々助けてもらって、礼も言わせてもらえなかったんだ!
今回こそ、金を出させろ!!」
(……嘘だ)
(こんな、こんな優しい世界――俺は知らない)
内側から湧き上がる「嬉しい」という純粋な感情と、
それ以上に、この変化が信じられないという恐怖。
「……悪い。今回は疲れてるんだ。また、今度にしてくれ」
俺は震える声を振り絞って丁重に断り、逃げるように宿屋へと帰った。
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