第4話:魔龍は「アレ」に屈し、腹を見せる
村長の家に向かう道中、俺の右腕には宿の娘がしっかりと絡みついていた。
スキルをステータス画面で『OFF』に切り替えたはずなのだが、
どうもその効果が完全には遮断できていないのか、
あるいは単純に、余所者の俺が珍しくて懐かれただけなのか。
「えへへ。お兄ちゃんができたみたいで、私、すっごく嬉しいな!」
春の陽だまりのように朗らかに笑う少女。
その無垢な笑顔に、追放され、薄気味悪い「輪廻」の予感に怯えていた俺の荒んだ心は、ほんの一瞬だけ癒された。
だが――
彼女の頬が不自然に赤く、
俺の二の腕に押し当てられた胸の鼓動が、
服越しにまで激しく伝わってくることには、あえて見ないふりをした。
(頼む……単なるブラコン気質なだけだと言ってくれ。
俺の放つ『残り香』が原因じゃないと言ってくれ……)
そんな切実な祈りも虚しく、
俺たちは村長の家へと辿り着いた。
村長は筋骨隆々の老体で、眉間に深い皺を刻みながらも、
どこか慈悲深い瞳をしていた。
彼から詳しく聞かされた依頼は、
当初予想していた「魔獣討伐」とは、まったく正反対の内容だった。
「討伐ではなく……『引越し』、ですか?」
「いかにも。この付近は魔獣の巣作りと子育てに適した環境のようでな。
普段ならむやみに近づかねば危険はなく、
子育て期間さえ過ぎれば森の奥へと去っていく」
村長は続ける。
「殺すのは容易いが、親子を殺生するのは寝覚めが悪い。
何より、この森には
『むやみな殺生は神の怒りを買う』
という古い言い伝えがあるのだ」
話によれば、今回はどういうわけか魔獣の警戒心が異様に強く、
周辺を通る村人にまで被害が出始めているという。
「そこでだ、アレク。
この強力な鎮静剤を使って、親子ともども眠らせてほしい」
差し出されたのは、鼻を突くような独特の刺激臭を放つ薬瓶だった。
「眠らせれば丸一日は起きん。
その隙に村の男衆で、より安全な森の深部へ移動させる。
お前の役目は、彼らを傷つけずに眠らせることだ」
「……移動させるなんて、殺して埋めるより何倍も手間でしょうに」
俺は現実的な意見を口にしたが、村長は頑なだった。
「命あるものを慈しめば、巡り巡って己に返ってくるものだ。
頼む、アレク」
深いため息をつき、俺は渋々承知した。
モブとして平穏に生きるなら、
村の有力者とコネを作っておいて損はない。
俺は少女を宿に帰し、
一人で魔獣の巣があるという北の岩場へと向かった。
だが――
そこで俺が目にしたのは、「警戒心の強い親子の引越し」
などという生易しい光景ではなかった。
岩場の陰。
震える我が子を背後に隠し、
ボロボロになりながら牙を剥き出しにして威嚇する母親魔獣。
その視線の先にいたのは――
「……は?」
思わず声が漏れた。
「なんで、こんなところに『伝説』がいるんだよ」
血の匂いを撒き散らし、
鱗が剥がれ、手負いの状態でありながら、
周囲の空気を凍らせるような圧力を放つ存在。
一頭の、巨大なドラゴンだった。
知っている。
原作アニメでは中盤のフィールドボスとして登場する
『碧鱗の古龍』。
傷を負ったドラゴンは、
効率的に体力を回復するため、
魔獣の親子――特に抵抗の弱い子供を喰らおうとしていたのだ。
――逃げるなら、今だ。
俺はモブだ。
ここで命を懸けて戦う理由なんて、一つもない。
そう自分に言い聞かせた瞬間、
ドラゴンの鋭い爪が、魔獣の母親の肩を深く引き裂いた。
それでも母親は逃げない。
血を流しながら、必死に子供をその腹の下へ隠そうとする。
(……クソが。
俺の安っぽい正義感が、よりによってこんな時だけ……!)
「おい、トカゲ野郎! こっちだ!」
俺は村長から預かった鎮静剤をドラゴンの足元に叩きつけ、
そこらの石を拾って、その眉間にぶつけた。
怒り狂ったドラゴンの咆哮が、森全体を震わせる。
俺は死に物狂いで走り、
ドラゴンを魔獣の巣から引き離し、入り組んだ岩場へと誘い込んだ。
だが――
相手は伝説の生物だ。
手負いとはいえ、人間の足で逃げ切れるはずがない。
背後から迫る熱波。
巨大な顎が目前に迫り、
俺は逃げ場のない岩壁に追い詰められた。
死の恐怖が、脳髄を直接かき混ぜる。
(……やるしかないのか。
やるにしても、ここで……ドラゴン相手にかよ!?)
俺の、あの能力。
アニメ版ではヒロインのステータスを上げるための、
都合のいいブーストだったが――
その実態は、「雌」という性別を持つ生命を強制的に依存させる、
おぞましい呪いだ。
「賭けるしかねぇ……!
ドラゴンに『雌』がいるのか知らねぇが、
これに賭けなきゃ、死ぬだけだ!」
俺は決死の覚悟で、ズボンのベルトに手をかけた。
傍から見れば、
それは末期の狂気、あるいは究極の変態行為だった。
死を目前にした一人の男が、
伝説の古龍の前で――自家発電を開始したのだ。
ドラゴンが、ピタリと動きを止めた。
困惑。あるいは激しい動揺。
知性ある高位の生き物だからこそ、
眼前の人間が行っている
「生物学的理解を超えた儀式」に、本能がバグを起こしたのかもしれない。
アドレナリンが限界を超え、
死への恐怖が、生存への狂気へと変換される。
俺のマグナムは、かつてないほどの熱を帯び、
まさに『ビッグマグナム』と呼ぶに相応しい、
巨大で、そして不謹慎な凶器へと変貌していた。
「くらえええええええええッ!!
死ぬ前に最高の快楽を教えてやるよッ!!」
俺の絶叫と共に、
聖なる(?)体液が、白濁した弾丸となって発射された。
それはドラゴンの眉間に直撃し、
粘着質な液体が、その碧色の鱗をべっとりと濡らした。
――一瞬、森が静まり返った。
ドラゴンは、眉間から垂れてきたそれを、
長い舌でぺろりと、一滴残らず舐め取った。
直後。
ドラゴンの瞳から、殺意が霧散した。
代わりに灯ったのは、
底無しの渇望と、ドロドロに溶けた恍惚の色。
「……あ、終わったわ。
俺、人間として完全に終わったわ」
俺は潔く目を瞑った。
せめて一飲みで、痛くないように頼む。
だが、衝撃はいつまでも来なかった。
代わりに感じたのは――
ザラザラとした巨大な舌が、
俺の体中を、この世で最も愛しい宝物を慈しむかのように、
執拗に舐め回す感触だった。
「ひゃっ!?
や、やめろ、くすぐったいし、生温かいし……っ!」
恐る恐る目を開けると、
そこには、かつての伝説的な威厳を微塵も失い、
鼻息を荒くして喉を鳴らす巨大な怪物がいた。
「……は、離れろ!
お座りだ!」
咄嗟に叫ぶと、ドラゴンは名残惜しそうに身を引き、
あろうことか、その巨体をゴロンと横たえ、
無防備な腹を俺に見せた。
「……勝った。
勝ったけど……
俺の人間としての何かが、今、音を立てて死んだぞ……」
一部始終――
俺の狂態と、ドラゴンの信じられない豹変――を見ていた魔獣の親子が、
おずおずと近づいてくる。
母親魔獣は感謝を示すように俺の足元に跪き、
子供たちは「キュイキュイ」と鳴きながら、俺の足元に纏わりついた。
どうやらこの魔物親子も、
自分たちを助けてくれた「変態」に対して、
最大限の感謝と敬意を抱いてしまったらしい。
俺は、
腹を見せて「撫でろ」と足で催促してくるドラゴンの腹を、
虚無感に襲われながら撫でた。
そして、そのまま――
ぼんやりと茜色に染まる空を見上げる。
(……これ、村長になんて報告すればいいんだよ)
俺は自覚した。
物語のレールを外れたが、
貞操と人間性を守り抜くための戦いは、
想像を絶するほど「変態的」で、険しいものになっているんじゃないかと……。
「……はぁ。とりあえず、村に帰るか」
俺は、
時折甘えた声を出す巨大なドラゴンを引き連れ、
重い足取りで、村への帰路についた。
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