第2話 蝶の少女



第二章:蝶の少女

東京拘置所。

灰色のコンクリートの壁。冷たい蛍光灯の光。消毒液の匂い。

七瀬蒼は、面会室の椅子に座っていた。

目の前には、透明なアクリル板。その向こうに、もう一つの椅子。

まもなく、星野ひかるが来る。


七瀬は、端末の画面を見た。

【星野ひかる - 行動プロファイル】

ネット検索履歴:


「致死性ウイルス 培養方法」(月347回)

「エアロゾル拡散 効率」(月128回)

「免疫回避 変異株」(月94回)


購入履歴:


研究用試薬(14回)

培養器具(8回)

防護服(3回)


SNS投稿:


「この世界は間違っている」

「誰かが正さなければならない」

「私には、やるべきことがある」


データは、明確だった。

彼女は、テロリストだ。


扉が開いた。

看守に付き添われて、星野ひかるが入ってくる。

七瀬は、息を呑んだ。


制服姿の少女。

髪は結ばれ、化粧もしていない。

だが、その目は澄んでいた。

恐怖も、憎悪も、狂気も、何もない。

ただ、静かな光があった。

彼女は椅子に座り、七瀬を見た。

そして、小さく頭を下げた。

「はじめまして。七瀬さん、ですよね」

声は、か細かった。

だが、震えていなかった。


七瀬は、アクリル板越しに彼女を見つめた。

「...星野ひかる」

「はい」

「お前は、なぜここにいる?」

星野は、少し考えてから答えた。

「ソロモンが、私をテロリストだと言ったからです」

「お前は、テロリストか?」

星野は、首を横に振った。

「違います」

「だが、ソロモンのデータは、お前がテロを起こすと示している」

「...知ってます」

星野は、手元を見た。

そこには、折り紙の蝶があった。

青い羽根の、アサギマダラ。

彼女は、それをそっと撫でた。


「これ、知ってますか?」

星野は、蝶を見せた。

「アサギマダラ。渡り蝶です」

七瀬は黙って聞いていた。

「春、日本で生まれて、秋になると南へ飛ぶんです」

「台湾まで。2000キロ以上」

「小さい体で、海を越えて」

星野の目が、わずかに輝いた。

「すごいと思いませんか?」

「...そうだな」

「でも、今、絶滅しそうなんです」

星野の声が、少し震えた。

「森が減って、農薬が増えて、気候が変わって」

「アサギマダラが、飛べなくなってる」


七瀬は、彼女を見つめた。

「お前は、蝶が好きなのか?」

「はい」

星野は頷いた。

「小さい頃、お母さんが教えてくれたんです」

「アサギマダラは、迷子にならないんだよって」

「どんなに遠くても、帰るべき場所がわかるんだって」

彼女は、蝶を見つめた。

「私も、そうなりたかった」

「迷子にならない、強い人になりたかった」


七瀬は、質問を変えた。

「お前の両親は?」

星野の手が、止まった。

「...死にました」

「いつ?」

「5年前です」

彼女は、小さく息を吐いた。

「新型ウイルスで」


七瀬は、端末の画面を確認した。

【両親:白石誠・白石美咲】

【死因:2027年、新型ウイルス感染症】

「そうか」

七瀬は、画面を閉じた。

「それで、お前はウイルスを研究し始めた」

星野は頷いた。

「はい」

「なぜだ?」

「...誰も、死なせたくなかったから」


七瀬は、彼女を見つめた。

「誰も、死なせたくなかった?」

「はい」

星野は、目を伏せた。

「お父さんとお母さんが死んだとき、私、何もできなかった」

「ただ、見ているだけだった」

「高熱で苦しんで、呼吸ができなくなって、最後は...」

彼女の声が詰まった。

「私、思ったんです」

「もっとウイルスのこと知ってたら」

「もっと薬のこと知ってたら」

「二人を、救えたかもしれないって」


七瀬は、静かに問うた。

「それで、お前は独学で勉強した」

「はい」

「ネットで検索した。致死性ウイルス、培養方法、感染経路」

「...はい」

「試薬を買った。培養器具を買った」

「はい」

「防護服も」

「はい」

七瀬は、端末を見せた。

「これが、お前の検索履歴だ」

画面には、膨大な記録が並んでいる。

「致死性ウイルス」「エアロゾル拡散」「免疫回避」

星野は、画面を見た。

そして、静かに言った。

「...これ、全部、命を守るための勉強です」


七瀬は、眉をひそめた。

「命を、守る?」

「はい」

星野は、真っ直ぐに七瀬を見た。

「ウイルスがどうやって人を殺すか知れば」

「どうやって防げるかもわかるんです」

「エアロゾルで拡散する仕組みがわかれば」

「換気とマスクで防げるってわかるんです」

「免疫を回避する変異株を知れば」

「ワクチンを作る方法もわかるんです」

彼女の声は、震えていなかった。

「私、本当に」

「誰も死なせたくないんです」


七瀬は、沈黙した。

彼女の目を見た。

嘘をついているようには見えない。

だが、ソロモンのデータは、彼女を「テロリスト」だと告げている。

七瀬は、別の質問をした。

「お前のSNS投稿だ」

画面を見せる。

『この世界は間違っている。誰かが正さなければならない』

「これは、どういう意味だ?」


星野は、しばらく考えてから答えた。

「...あれは、環境問題について書いたんです」

「環境問題?」

「はい」

星野は、折り紙の蝶を見た。

「アサギマダラが絶滅しそうなのは、人間のせいです」

「森を壊して、農薬を撒いて、気候を変えて」

「それなのに、誰も止めようとしない」

「私、思ったんです」

「この世界は間違ってるって」

「誰かが、正さなければならないって」

彼女は、七瀬を見た。

「だから私、蝶を守る活動を始めたんです」

「ここにいる前も、保護活動してました」


七瀬は、端末を操作した。

【星野ひかる - ボランティア記録】

【2029年〜2031年:絶滅危惧種保護団体「Wings of Hope」】

【活動内容:アサギマダラの保護、生息地調査、啓発活動】

記録は、確かにあった。

七瀬は、画面を見つめた。

そして、星野を見た。

彼女は、本当に蝶を守ろうとしていた。


「七瀬さん」

星野が、静かに言った。

「私、本当にテロなんてしません」

「ソロモンは間違ってます」

「私、ただ」

彼女は、蝶を握りしめた。

「命を、守りたいだけなんです」

「人も、蝶も、全部」


七瀬は、長い沈黙の後、言った。

「...わかった」

星野の目が、わずかに輝いた。

「本当ですか?」

「ああ」

七瀬は立ち上がった。

「俺は、お前を信じる」

「お前は、テロリストじゃない」

星野の目に、涙が浮かんだ。

「ありがとうございます」

彼女は、初めて笑った。

小さな、静かな笑顔。


七瀬は、面会室を出た。

廊下を歩きながら、彼は考えた。

星野ひかるは、無実だ。

彼女は、ただ命を守りたいだけの少女だ。

だが、ソロモンのデータは、彼女を「テロリスト」だと告げている。

91.2%の確率で、彼女はテロを起こす。

32,400人が死ぬ。


七瀬は、立ち止まった。

そして、端末を開いた。

画面には、星野の検索履歴が並んでいる。

「致死性ウイルス」

「エアロゾル拡散」

「免疫回避」

七瀬は、それを見つめた。

これは、本当に「命を守るための勉強」なのか?

それとも、「命を奪うための準備」なのか?


彼の端末に、メッセージが届いた。

【氷川検察官より】

「七瀬、面会はどうだった?」

「彼女は、純粋な少女だったか?」

「それとも、冷酷なテロリストだったか?」

「どちらにせよ、データは変わらない」

「ソロモンは、正しい」


七瀬は、メッセージを閉じた。

そして、窓の外を見た。

空に、一羽の鳥が飛んでいる。

アサギマダラではない。ただの鳥だ。

だが、それは自由に飛んでいた。


七瀬は、呟いた。

「俺は、彼女を信じる」

「たとえ、世界が彼女を疑っても」

「たとえ、データが彼女を告発しても」

「俺は、目の前で見た少女を信じる」

彼は、歩き出した。

次は、ソロモンのデータベースを調べる。

91.2%という数字の根拠を、徹底的に洗う。

そこに、必ず穴がある。


だが、七瀬は知らなかった。

星野ひかるの部屋には、もう一つの記録があった。

【個人メモ - 非公開】

2031年10月3日

「アサギマダラを守るために、私は決めた」

「人間を、減らさなければならない」

「蝶が生きられる世界にするために」

「誰かが、やらなければならない」

「それが、私の使命だ」


そのメモは、ソロモンのデータベースに記録されていた。

だが、七瀬は、まだそれを見ていなかった。


(第三章へ続く)

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