偽聖のアルゴリズム~AI裁判官が下した「正しい死刑判決」を、私は覆した~

ソコニ

第1話 デバッガーの条件

偽聖のアルゴリズム

~AI裁判官が下した「正しい死刑判決」を、私は覆した~


プロローグ:SOLOMON法廷

法廷に、人間はいなかった。

裁判官席には黒いスクリーン。3メートル四方のディスプレイが、冷たく光っている。

検察官はタブレットを読み上げるだけ。弁護人席は空席。傍聴席は満席だが、誰も声を出さない。全員がスマートフォンを握りしめ、画面を見つめている。

判決を下すのは、AI「ソロモン」。

的中率99.97%。過去5年間で誤判決は一度もない。

そして今日も、死刑判決が下る。


【リアルタイム視聴者数】312万4,782人

被告席の上空に、巨大なホログラムが浮かんでいる。

【世論調査】

有罪:82.4%

無罪:11.3%

判断保留:6.3%

数字は刻一刻と変動している。まるで株価のように。

法廷の右壁には、投げ銭リーダーボードが表示されている。

1位:@JusticeWarrior - 580,000円(有罪支持)

└ 特典:死刑執行ボタンを押す権利(抽選)

2位:@HumanRights_2032 - 420,000円(無罪支持)

3位:@AI_Believer - 380,000円(有罪支持)

画面下部に小さく表示される説明文:

『判決確定後、投げ銭最高額者には執行ボタンの権利が抽選で付与されます』

左壁には、視聴者のコメントが高速で流れている。

「また未来犯罪か」

「AIが言うなら正しいだろ」

「でも何もしてないんだよね?」

「予防が大事。テロ起きてからじゃ遅い」

「投げ銭で執行ボタン押したい」

「これエンタメとして完璧」

裁判は、国民的エンターテインメントになっていた。

そして、正義は、消費されていた。


透明な強化ガラスのケースの中に、被告が立っている。

星野ひかる。17歳。

高校の制服姿。黒いブレザーに紺のスカート。髪は肩まで伸びた黒髪で、後ろで一つに結ばれている。

彼女の手には、折り紙で作られた蝶が握られていた。

青い羽根の、アサギマダラ。絶滅危惧種に指定された蝶だ。渡り鳥のように、2000キロを旅する蝶。

彼女は目を閉じて、祈るような姿勢で立っている。まるで、すべてを受け入れたかのように。

だが、その顔には涙の跡があった。


法廷の中央、黒いスクリーンが光った。

【SOLOMON SYSTEM - JUDGMENT MODE】

音声が響く。

それは、機械音声ではなかった。

人間の声だった。

いや、正確には「人間の声を合成した何か」だった。

ソロモンの音声は、過去のテロ事件で犠牲になった被害者たちの声を解析し、サンプリングして作られている。8歳の少女、34歳の父親、22歳の看護師、45歳の教師——彼らの最後の言葉、悲鳴、祈り。

それらが混ざり合い、合成され、ひとつの「声」になっている。

だから、誰も無視できない。

聞いた者は、必ず心が揺れる。

「これは被害者の声だ」と。


その声が、告げる。

「被告、星野ひかる。17歳。現住所、東京都目黒区」

少女の声が混じる。幼い、か細い声。

「本件は、予防的刑事拘束法第7条に基づく、未来犯罪予測案件である」

父親の声が混じる。誰かを守ろうとした、必死の声。

画面に、データが次々と表示される。

【容疑】

大規模バイオテロリズム準備行為

【予測犯行日時】

2034年8月12日(本日より2年後)

【推定被害規模】

死者:32,400名

重症者:128,000名

経済的損失:18兆円

【犯行確率】

91.2%

傍聴席がざわついた。

だが、その声——被害者たちの声——を聞いて、誰も反論できなかった。

視聴者コメントが加速する。

「3万人って…」

「確率91%なら確実じゃん」

「被害者の声で言われると説得力ある」

「可哀想だけど、仕方ない」

「これ以上、誰も死なせたくない」

有罪率が上昇する。

82.4% → 84.1% → 85.7%


ソロモンの声——いや、死者たちの声——が続く。

「被告の過去5年間の行動データ、SNS投稿、購入履歴、移動記録、心理プロファイル、遺伝子解析を総合的に分析した結果」

看護師の声が混じる。誰かの命を救おうとした、優しい声。

「被告は2034年8月、東京都心において、自作の新型ウイルスを散布する」

教師の声が混じる。生徒たちを守ろうとした、強い声。

「動機:社会への復讐。特に、製薬業界への憎悪」

「根拠①:被告のネット検索履歴には、『致死性ウイルス』『エアロゾル拡散』『免疫回避』等のキーワードが月平均347回出現」

「根拠②:被告は過去2年間で、ウイルス培養に使用可能な試薬を14回購入」

「根拠③:被告のSNS投稿『この世界は間違っている。誰かが正さなければならない』(2031年4月3日)」

画面に、証拠が次々と映し出される。

検索履歴。購入記録。SNSのスクリーンショット。

どれも、確かに「テロリスト」に見えた。

そして、それを告発する声は、死者たちの声だった。


「以上により、本システムは以下の判決を下す」

法廷が静まり返った。

312万人の視聴者が、息を呑んだ。

被害者たちの声が、重なり合う。

少女の声。父親の声。看護師の声。教師の声。

彼らが、判決を告げる。

【判決】

死刑

執行予定日:2032年7月1日(本日より2週間後)


瞬間、傍聴席が騒然となった。

視聴者コメントが爆発的に増える。

「うわぁ…」

「死刑か」

「被害者の声で言われると反論できない」

「でも17歳だよ?」

「3万人 vs 1人なら、答え出てる」

「執行ボタン押す権利、欲しい」

有罪率が跳ね上がる。

85.7% → 88.3% → 90.1%

投げ銭総額が1,800万円を突破した。

1位の@JusticeWarriorは、既に100万円を超えている。


透明ケースの中で、星野ひかるが目を開けた。

彼女の目には、涙が浮かんでいる。

だが、彼女は何も言わなかった。

ただ、手の中の折り紙の蝶を、そっと見つめた。

蝶の羽根が、わずかに震えている。

それが彼女の手の震えなのか、空調の風なのか、誰にもわからなかった。

アサギマダラ。2000キロを旅する蝶。

だが、この少女は、もう旅ができない。


その時。

法廷の扉が開いた。

一人の男が、静かに入ってくる。

30代半ば。黒いスーツ。無表情。目だけが、鋭く光っている。

彼は弁護人席に座ると、端末を開いた。

そして、ソロモンのシステムに接続する。

【デバッガー・七瀬蒼、システムアクセス承認】

法廷がざわついた。

「デバッガーだ」

「AIに反論する奴」

「これは見ものだ」

「被害者の声に逆らうのか?」

視聴者数が急上昇する。

312万人 → 340万人 → 378万人

投げ銭がさらに加速する。


七瀬は立ち上がった。

そして、ソロモン——いや、死者たちの声——に向かって言った。

「異議あり」


その瞬間、法廷の空気が凍りついた。

ソロモンの画面が、わずかに明滅する。

【異議申し立て検出】

【論理検証モード起動】

被害者たちの声が、問う。

「異議の根拠を述べてください」

少女の声。父親の声。看護師の声。教師の声。

死者たちが、七瀬を見ている。

七瀬は、淡々と続けた。

「この判決には、システム上の論理的矛盾が含まれている」

「ソロモン。お前は『未来犯罪』で人を裁いた」

「だが、それは本当に『犯罪』なのか?」

傍聴席が息を呑んだ。

視聴者コメントが加速する。

「きたきた」

「AIバトル始まった」

「これが見たかった」

「でも被害者の声に逆らうとか最低」

「3万人を見殺しにするつもりか」

有罪率が、わずかに下がる。

90.1% → 88.7%

だが、投げ銭は増え続けている。


七瀬は、星野ひかるを一瞥した。

彼女は、まだ折り紙の蝶を握りしめている。

その目には、かすかな希望の光が宿っていた。

七瀬は、その光を消すわけにはいかなかった。

たとえ、その先に何が待っていようとも。

たとえ、死者たちの声が彼を責めようとも。

「1週間の審理継続を要求する」

七瀬はそう言って、ソロモンを見上げた。

被害者たちの声が、重なる。

「...要求を受理します」

少女の声が、悲しげに響いた。

【要求受理】

【審理継続:承認】


こうして、AIと人間の、最後の法廷バトルが始まった。

それは、正義をかけた戦いではなかった。

正しさをかけた戦いでもなかった。

それは、

「死者の声」と「生者の意志」

どちらが、未来を決めるのか

という、人類最後の問いをかけた戦いだった。

そして、312万人の観客が、それを見ていた。

投げ銭を握りしめて。


第一章:デバッガーの条件

法廷が休廷に入った。

視聴者数は412万人を超え、なお増え続けている。

投げ銭総額は2,100万円。1位の@JusticeWarriorは、既に150万円を投じている。

コメント欄は沸騰していた。

「デバッガーって何者?」

「過去にソロモンの判決覆したことあるの?」

「ないよ。5年間で成功例ゼロ」

「じゃあ今回も無理じゃん」

「でも被害者の声に逆らうとか、ヤバすぎ」


法廷の裏手、デバッガー専用の執務室。

七瀬蒼は、端末の画面を見つめていた。

画面には、ソロモンのシステムログが表示されている。

【被告:星野ひかる】

【犯行確率:91.2%】

【根拠データ:14,782件】

14,782件。

5年分の行動記録、SNS投稿、検索履歴、購入履歴、移動記録、心理プロファイル、遺伝子解析。

すべてが「彼女はテロリストになる」と告げている。

七瀬は、その数字を睨んだ。


【SYSTEM MESSAGE】

デバッガー制度について

正式名称:システム矛盾検証官制度

目的:AI判決システムの透明性・公正性を担保するため、論理的矛盾を指摘し、判決を覆す権限を持つ。

条件:


AI開発・論理学・法律のいずれかの専門知識を有すること

ソロモンのシステムに論理的矛盾を証明できること

証明に成功した場合、判決は自動的に撤回される


過去の実績:


デバッガー登録者数:47名

判決撤回成功数:0件


ソロモンは、完璧だった。


七瀬の端末に、通知が届いた。

【氷川検察官より】

「七瀬、お前は何を考えている?」

七瀬は無視して、別のファイルを開いた。

【2027年5月12日 - 誤認逮捕事件】

画面に、一人の女性の写真が表示される。

白石綾香。27歳。AIエンジニア。

七瀬の、恋人だった。


5年前。

ソロモンの前身システム「JUSTICIA(ユスティシア)」が試験運用されていた頃。

綾香は、未来犯罪予測で逮捕された。

容疑:サイバーテロ準備行為。

予測犯行日:2028年1月。

犯行確率:87.4%。

彼女は無実を訴えた。

だが、誰も信じなかった。

「AIが言うなら正しい」

「87%なら確実」

「予防が大事」

綾香は、拘置所で首を吊った。

遺書には、こう書かれていた。

「誰も私を信じなかった。AIが、私より信じられた」


そして2028年1月。

予測された「サイバーテロ」は、起きなかった。

ユスティシアは、間違えていた。

だが、綾香はもう戻らなかった。


システムは改良された。

名前も変わった。ユスティシア(正義)から、ソロモン(知恵)へ。

的中率は99.97%に向上した。

そして、誰も文句を言わなくなった。


七瀬は、端末を閉じた。

綾香の写真が消える。

彼は立ち上がり、法廷へ向かった。


法廷、再開。

視聴者数:438万人。

七瀬が弁護人席に座ると、ソロモンの画面が光った。

被害者たちの声が、響く。

「デバッガー・七瀬蒼。異議の根拠を述べてください」

少女の声。父親の声。看護師の声。教師の声。

死者たちが、七瀬を見ている。

七瀬は、画面を見上げた。

「ソロモン。質問する」

「未来犯罪とは、何だ?」


ソロモンの声——死者たちの声——が答える。

「未来犯罪とは、まだ発生していないが、発生確率が極めて高い犯罪行為を指します」

「具体的には、当システムが算出した犯行確率が85%以上の場合、予防的拘束の対象となります」

七瀬は続けた。

「では、その『犯罪』を防ぐことは可能か?」

「可能です」

看護師の声が混じる。誰かを救おうとした、優しい声。

「被告を隔離することで、犯罪の発生を防ぐことができます」

七瀬の目が鋭くなった。

「矛盾している」


法廷が静まり返った。

視聴者コメントが止まる。

七瀬は立ち上がった。

「お前は『未来犯罪』で人を裁いた」

「だが、その犯罪を『防げる』と言った」

「防げるなら、その犯罪は『起きない未来』になる」

「起きない犯罪で、人を裁けるのか?」


ソロモンの画面が、5秒間停止した。

視聴者コメントが爆発する。

「バグった?」

「論理的に矛盾してる?」

「でも3万人が死ぬんだぞ」

「起きない犯罪って、確かにおかしい」

有罪率が下がる。

90.1% → 87.3% → 84.6%


ソロモンが再起動した。

被害者たちの声が、重なり合う。

「質問の趣旨を理解しました」

「訂正します」

「未来犯罪とは、『被告を隔離しない場合に発生する犯罪』を指します」

「よって、被告を隔離することは、犯罪の予防であり、判決の根拠として妥当です」

氷川検察官が立ち上がった。

「七瀬、お前の屁理屈は通用しない」

「ソロモンの予測は、『何もしなければ起きる未来』を示している」

「だからこそ、予防が必要なんだ」


七瀬は、氷川を見た。

「では、別の方法で更生させられたら?」

「彼女を隔離せず、カウンセリングや監視で更生させることは不可能か?」

ソロモンが答える。

「更生可能性を算出します」

画面に数字が表示される。

【更生可能性:0.03%】

教師の声が混じる。生徒たちを守ろうとした、強い声。

「被告の心理プロファイルと過去の更生事例を照合した結果、カウンセリングや監視による更生の可能性は、統計的に無視できるレベルです」

氷川が畳みかける。

「ほら見ろ。更生は不可能だ」

「お前は何を根拠に、この少女を救おうとしている?」

「感情か?」


七瀬は、氷川を見据えた。

「0.03%は、ゼロじゃない」

「お前たちは『統計』で人を殺そうとしている」

「だが、統計は『確率』だ。『確定』じゃない」

「星野ひかるが本当にテロを起こすかどうか、誰にもわからない」

被害者たちの声が、問う。

「では、あなたは0.03%に賭けるのですか?」

「その結果、32,400名が死亡するリスクを、負えますか?」


七瀬は、画面を見上げた。

死者たちの声。

8歳の少女。34歳の父親。22歳の看護師。45歳の教師。

彼らは、七瀬を責めている。

だが、七瀬は答えた。

「負う」


法廷がどよめいた。

視聴者コメントが炎上する。

「こいつ、頭おかしい」

「3万人を見殺しにするつもりか」

「被害者の声を無視するのか」

「でも、起きてない犯罪で殺すのもおかしくない?」

有罪率が、さらに下がる。

84.6% → 79.2%

だが、投げ銭は増え続けている。


七瀬は続けた。

「俺は5年前、AIに殺された人間を知っている」

「彼女は無実だった。だが、AIは『87.4%の確率で犯罪を犯す』と判定した」

「そして、誰も彼女を信じなかった」

「彼女は死んだ。そして、予測された犯罪は起きなかった」

「AIは、間違えたんだ」


氷川が反論する。

「それは旧システムの話だ!」

「ユスティシアは不完全だった。だが、ソロモンは違う」

「5年間、一度も誤判決を出していない」

「お前の恋人の死を、ソロモンのせいにするな」

七瀬は、氷川を睨んだ。

「俺は、ソロモンを責めてない」

「俺が責めているのは、AIを盲信する人間だ」

「お前たちだ」


ソロモンの画面が、再び光った。

被害者たちの声が、静かに告げる。

「デバッガー・七瀬蒼」

「あなたの主張は理解しました」

「しかし、論理的矛盾は証明されていません」

「『未来犯罪』は『被告を隔離しない場合の犯罪』であり、予防的拘束は正当です」

「判決は、維持されます」


七瀬は、深呼吸をした。

そして、最後の要求を告げた。

「1週間の審理継続を要求する」

「その間に、俺は星野ひかると面会する」

「彼女が本当にテロリストなのか、この目で確かめる」

氷川が叫んだ。

「無駄だ!ソロモンのデータは完璧だ!」

だが、ソロモンは答えた。

少女の声が、悲しげに響く。

「...要求を受理します」

【審理継続:承認】

【期限:7日間】


法廷が、休廷となった。

視聴者数:452万人。

投げ銭総額:2,480万円。

有罪率:79.2%。

コメント欄は大荒れだった。

「7日間で何がわかるんだよ」

「データより人間の目?ありえない」

「でも、ちょっと気になる」

「この続き、絶対見るわ」


七瀬は、法廷を出た。

廊下を歩きながら、端末を開く。

【面会申請:承認】

【明日10時、拘置所第3面会室】

彼は、星野ひかるに会う。

17歳の少女。

折り紙の蝶を握りしめた、テロリスト候補。

そして、32,400人の命を救うために死ななければならない存在。


七瀬は、綾香の写真を見た。

端末の中で、彼女は笑っている。

5年前の、あの日の笑顔。

「綾香」

七瀬は呟いた。

「俺は、また同じ過ちを繰り返すのかもしれない」

「だが、それでも」

彼は画面を閉じた。

「俺は、目の前の一人を信じる」


その夜、七瀬のアパートに、一通のメッセージが届いた。

送り主:不明。

「七瀬蒼へ」

「あなたは間違っている」

「星野ひかるは、本当にテロを起こす」

「それでも彼女を救うというなら」

「あなたは、32,400人の殺人者になる」

「覚悟はあるか?」

——ソロモンより


七瀬は、メッセージを見つめた。

そして、返信した。

「覚悟はある」

「だが、お前の予測が外れたら」

「お前は、一人の少女の殺人者だ」

送信。

画面が暗くなる。

七瀬は、窓の外を見た。

夜空に、星が一つ。

明日、彼は星野ひかると会う。

そして、真実を見極める。

たとえ、その先に地獄が待っていようとも。


(第二章へ続く)



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