第16話 関東大刑場跡地首塚ダンジョン 肆

母様の指示のもと、俺たちは前方にそびえ立つ古びた鳥居をくぐった。


視界が開け、俺たちは小さな宿場町のような場所に辿り着いた。




町の中心にはいくつかの古びた建物が並び、道沿いには瓦屋根の家々がぽつぽつと見える。


その全体の景色は、まるで時代に取り残されたかのようだった。


人影は見えないが、どこからともなく聞こえる物音が、不穏さをさらに掻き立てる。




その光景を見ると、静流婆さんと母様の表情が一変した。


二人は眉をひそめ、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。




「母様、ここって…」




刹那姉様が何かを言おうと口を開いたが、言葉を飲み込んだようだった。




「えぇ…。葵には少しきついかもしれないわね。」




母様は低い声で答えた。


その言葉に、俺の胸がざわめく。


この先に何があるのか、知らない方がいいのではないかという思いと、どうしても知りたいという好奇心が交錯する。




静流婆さんが俺の肩に手を置き、真剣な眼差しで言った。




「若…ここから先は少々きついぞ。心を強く持ち、感情に振り回されるでない。」




その声には、これまで以上に重みがあった。


俺はごくりと唾を飲み込み、静流婆さんの視線を追うようにして目の前の宿場町を見つめた。




「この先に何があるのですか?」




俺は震える声で問いかけた。気になって仕方がなかった。




「略奪じゃ。」




静流婆さんの言葉は、短く、しかし鋭く突き刺さった。


静流婆さんは肩に置いた手の力を強め、真剣な眼差しのまま続けた。




「若も気づいておるかもしれんが、此処は昔の出来事を再現しておる。それが嘘か誠かかは分からん…じゃが、ここで起きた滅びの原因を、儂らに再び突きつけてきおる。」




言葉の意味を飲み込むにつれ、背筋に冷たいものが走った。


この宿場町が持つ異様な空気は、ただの廃れた場所というだけではなかったのだ。




「若、気を引き締めるんじゃ。この先、お主の覚悟が試されるぞ。」




静流婆さんの言葉に、俺はただ頷くことしかできなかった。


胸の中では恐怖と不安が渦巻いていたが、足を止めるわけにはいかなかった。


母様、姉様たち、そして静流婆さんの背中を追い、俺は宿場町へと足を踏み出した。








宿場町に近づいた瞬間、四方八方から火矢が飛び交い始めた。


矢は轟音と共に町の建物に突き刺さり、次々と炎が上がる。


瞬く間に宿場町は火の海と化し、激しい熱気と煙が立ち込めていった。




「これは…!」




俺は思わず足を止め、その惨状に目を見開いた。


だが、その光景はまだ始まりに過ぎなかった。




燃え盛る町から、住人の幽鬼たちが悲鳴を上げながら逃げ出してくる。


しかし、その背後にはさらに恐ろしい光景が待ち受けていた。




野党の幽鬼たちが追いかけ、逃げる男性の幽鬼を無情にも襲いかかる。


数体の幽鬼が一斉に武器を振り下ろし、めった刺しにした。


血のような黒い霧が舞い上がり、男性幽鬼は力なくその場に崩れ落ちた。




俺はその残虐な行為に言葉を失い、震えが止まらなかった。




それだけでは終わらない。


野党の幽鬼の一体が女性の幽鬼の髪を荒々しく掴み、そのまま引きずるように町の奥へと消えていった。


女性幽鬼の悲痛な叫びが耳に残り、胸の奥がひどく痛んだ。




「母様、これは一体…!」




俺は半ば絶叫するように母様を振り返った。


しかし、母様の表情は硬く、静かに前を見据えていた。




「これが略奪の再現よ。目を逸らしては駄目よ。」




その言葉には厳しさと覚悟が滲んでいた。




その時だった。


残っていた野党の幽鬼たちが俺たちの存在に気づいたのだ。


一瞬の静寂の後、鋭い咆哮を上げながら、奴らは一斉にこちらへ襲いかかってきた。




「来るわよ!」




母様が鋭く指示を飛ばすと、刹那姉様が刃を抜き放ち、前に出た。




「葵、後ろに下がりなさい!」




刹那姉様の力強い声が響くが、俺の足はその場に釘付けになっていた。


恐怖と怒り、そして何か得体の知れない感情が胸の中で渦巻いていたのだ。




「葵様!」




沙耶が俺を守るように立ちはだかり、武器を構える。


その瞬間、俺は震える手で護身刀を握り直した。




「逃げてばかりじゃいられない…俺だって…!」




自分に言い聞かせるように呟き、俺もまた、野党の幽鬼たちに向かって駆け出した。




「葵、待ちなさい!」




母様の制止の声が背後から聞こえたが、振り返る余裕などなかった。




野党幽鬼の一体がこちらに向けて獰猛な視線を送りながら、武器を構え直したのが見える。


俺はその懐に飛び込むように踏み込むと、全力で護身刀を振り抜いた。




ザッシュ――。




刃が肉を切り裂く、鈍い音が響いた。


しかし、振り抜いたはずの護身刀は幽鬼の腹半ばで止まっていた。




硬い…。


刃が深く入らない――それどころか、俺の手が痺れるほどの抵抗を感じた。




俺に斬られた野党幽鬼は、腹に刺さった刃を掴むと、凄まじい雄たけびを上げた。


その咆哮は耳を裂くようで、恐怖が体を貫く。


その瞬間、幽鬼は握りしめていた刀を振りかざし、俺に向けて容赦なく振り下ろしてきた。




目の前に迫る刃。




俺は、動けなかった。


体が硬直し、足元が地面に縫い付けられたかのようだった。


ただ、目の前に迫りくる一撃が、なぜかスローモーションのように見えた。




「あ…」




言葉にならない声が漏れる。




――俺はここで死ぬのか。




そう思った。


意識の中で刃がすぐそこまで迫り、逃れる術も、反撃する手段も浮かばなかった。


死の恐怖と後悔が一瞬にして押し寄せ、俺の中にすべてを覆い尽くす暗い絶望が広がった。




ザシュ――。




鈍く重い衝撃と共に、鋭い痛みが全身を貫いた。


野党幽鬼の刃が、俺の右肩から左の腹下まで深く斬り裂いていた。




その瞬間、全てがスローモーションになったように感じた。




「これで…俺の人生は…終わりなのか…」




意識の中で、その言葉がふと浮かぶ。


崩れ落ちるように膝をつきながら、視界がぼやけ始めるのを感じた。




――周りの全てが遅く見える。




母様の姿が目に入った。


必死にこちらへ駆け寄ってくるその表情には、計り知れないほどの焦りと恐怖が浮かんでいた。




「あぁ…ごめんなさい…」




声にはならなかった。


それでも、心の中で何度も呟いた。




ごめんなさい――


ごめんなさい――


ごめんなさい――




冷たい感覚がじわじわと体を蝕んでいく。


視界がますます暗くなり、母様の泣きそうな表情が滲むように消えていった。




「俺は…ここで…終わるんだ…」




その思いが、意識の最後を支配した。








暗闇が果てしなく続く。


底の見えない深い闇の中に、俺はゆっくりと沈み込んでいく感覚に囚われていた。




何も見えない。


何も感じない。


ただ、全てが終わり、全てを失い、ただ落ちていくだけの虚無。




結局、何もできなかった――あの時も。


誰も救えなかった。何も守れなかった。


自分を奮い立たせ、強くなったつもりだったのに、ただ同じ失敗を繰り返すだけだった。




胸に湧き上がるのは、際限のない自己嫌悪と後悔の波。


偉くなりたかったのは、人の役に立つためだった。


強くなりたかったのは、人を守るためだった。


それなのに――殺した。




「殺した…殺した……俺が殺した。」




声にならない呟きが、闇の中で反響する。


守るべきものも、愛するべきものも、全て自分の手で壊してしまった。


誰が?――俺が?


なぜ?――それが分からない。




「あぁ……そうだ、こんな風になるのが嫌で、賢くあろうとしたのに……」




心の奥底から何かが壊れていく音がした。


失敗の記憶、守れなかった思い、愛する人々の笑顔――全てが胸を締め付ける。


それらが再び目の前に浮かび上がり、俺を責め立てる。




「何故だ…なぜ救えなかった…なぜ守れなかった…?」




自分自身を責める言葉が、心の中で繰り返される。


その度に、闇の中で強烈な憎しみが渦巻き、俺自身を引き裂いていく。




「憎い……自分が憎い……」




自分の弱さが憎い。無力な自分が憎い。


この世界が、全てが、何もかもが憎い。




「いらない……何もいらない……」




気づけば、胸の中で抑えきれない感情が膨れ上がっていた。


その感情は怒りと憎しみの塊となり、俺の中で爆発しようとしていた。




「……もう全て滅んでしまえ。」




その言葉が口をついて出た瞬間、闇がさらに深まり、俺自身を飲み込んでいった。


感覚も思考も消えゆく中、ただ一つだけ確かなのは、俺の中に燃え上がる憎悪の炎だった。








気がつけば、辺り一面が真っ赤に染まっていた。


血の匂いが鼻を突き、温かさすら感じる赤黒い大地が、どこまでも広がっている。




足元に目を向けると、そこには倒れ伏した母様がいた。


その隣には、刹那姉様、千鶴姉様――沙耶、摩耶、雪菜、静流婆さん――みんな。


それぞれが無惨な姿で横たわり、もう二度と動かない。




「……死んでる……みんな……死んでる……」




震える声で呟く。


どうしてこうなった?何が起きた?


目の前の光景を否定したいのに、心の中で冷たい確信が広がる。




ふと、自分の手を見ると、それは真っ赤に染まり、まだ血が滴っていた。


血みどろの護身刀を握る自分の手――その刃先には見覚えのある者たちの血がこびりついている。




「あぁ……俺が……俺が……殺したのか……」




声が震え、喉が詰まりそうになる。


目の前の真実に耐えられず、震える膝を抱えて崩れ落ちる。




だが、次の瞬間、心の中に渦巻く感情が弾け飛んだ。


自分がやった――その確信が胸を締め付ける。




「フフフ……」




最初は静かな笑いだった。


だが、それは次第に膨れ上がり、抑えられないものとなった。




「ハハハ……ハァーハハハハハハ!」




笑い声が、血まみれの大地に虚しく響き渡る。


何かが壊れる音が、頭の奥で鳴り続けていた。




「なんだよ……なんだってんだよ……」




呟きながら、血の海の中に一人座り込む。


赤黒く染まった空は重く、何の慰めもなくただ俺を見下ろしているように思えた。




「みんな……いなくなったんだ……」




家族も、仲間も、守りたかった全てが、もうどこにもいない。


周囲を見渡すと、彼らの冷たい瞳が俺を責めるように見つめている気がした。




「俺が……こんなことを……」




両手の震えが止まらない。


自分が何をしてしまったのか、その重さに耐えきれず、吐き気が込み上げる。




「虚しい……何もかもが……虚しい……」




膝を抱えて頭を伏せる。


だが、頭の中ではあの時の光景が次々と蘇り、消えてはまた浮かび上がる。


刃を振り下ろした感触、血飛沫の温かさ、聞きたくないはずの断末魔――。




「もう……何もいらない……何もかも……滅んでしまえ……」




握りしめた護身刀の刃が、自分の胸元に向かって静かに動き始める。


この苦しみから逃れるには、それしかない。


この手が奪った命に報いるには、自分の命で償うしかない――そう思った、その時だった。




「……葵……」




微かな声が耳元に響いた。


目を閉じていた俺は、はっとして顔を上げる。




「誰だ……?」




静まり返る周囲の中、またその声が聞こえる。




「葵……」




同時に、どこからともなく不気味な音が耳に届く。


――ズリズリ……ズリズリ……。


何かが地面を這うような音。




背筋に冷たいものが走る。


恐る恐る周囲を見回した俺の目に飛び込んできたのは――。




「……母様……?姉様……?」




そこには、母様と姉様たちがいた。


だが、その姿は俺が知る温かい家族のものではなかった。


全員が血まみれで、傷だらけの身体を引きずりながら這い寄ってくる。




「どうして……?」




声にならない声が喉の奥から漏れる。


だが、彼女たちはまるで聞こえていないかのように、無表情のまま俺に手を伸ばしてくる。




「葵……」




その声は次第に大きく、重たく響き始めた。




「どうして……どうして……私たちを殺したの?」




母様が、血の滲んだ瞳で俺を見つめながらそう呟いた。


姉様たちも同じように、恨めしそうな目で俺を見つめる。




「待ってくれ……違う……俺は……!」




咄嗟に手を伸ばしたが、何も掴むことができない。


目の前の家族たちは、まるで怨霊のような気配を纏いながら、なおも這い寄ってくる。




「葵……どうして……私たちを……」




その言葉は、俺の心を切り裂くように響いた。


自分の手を見ると、そこには血まみれの護身刀がある。




「ああ……俺が……俺がやったのか……?」




思考がぐちゃぐちゃになり、頭の中で言葉が渦を巻く。


罪悪感と恐怖、そして自分への憎悪が入り混じり、俺はその場に座り込むしかなかった。




「違う……俺は……俺はそんなこと……!」




涙が頬を伝う。


だが、這い寄る彼女たちは止まらない。




「葵……」




その声が耳に張り付くように離れない。


俺は護身刀を握りしめたまま、どうすることもできずにその場で震え続けた。




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