第14話 関東大刑場跡地首塚ダンジョン 弐

「次に行くわよ。」


母様の冷静な声が、緊張した空気を切り裂いた。




俺はその声に促されて広場の奥を見る。


そこには古びた石の鳥居が立っており、鳥居の中はどす黒い魔力が渦巻き、まるで巨大な口を開けて待ち構えているかのように見えた。




母様や静流婆さん、摩耶や沙耶たちは何の躊躇もなく、その渦へと次々と足を踏み入れていく。


彼女たちの背中が見えなくなりかけたところで、慌てて俺も後を追いかけた。




鳥居をくぐり、どす黒い魔力の渦を抜けた瞬間、俺の目の前に広がったのは……


またもや寂れた農村だった。


ただし、先ほどの村と比べると、建物の配置が少し違うように見える。




「え……ここも、また同じ村?」




そんな疑問が頭をよぎった瞬間、母様が振り返り、俺に冷静な口調で告げた。




「次は葵がやりなさい。」




「えっ⁉」




思わず声が裏返った。


母様の顔を見るが、その表情は揺らがない。


冗談ではなく本気だとすぐに分かった。




「摩耶、沙耶。葵のサポートをお願い。」




母様がそう指示すると、摩耶と沙耶が軽くうなずき、それぞれ武器を手に取った。




摩耶はメイド服の背中にクロスして差していた二本の小太刀。


一方の沙耶は巨大な大鎌を軽々と振り回し、鎌が空を切る音が「ブンブン」と響く。




彼女たちの準備が整うのを見て、俺は慌てて自分の武器を探そうと辺りを見回した。


しかし、何も見つからない。


どうしようかと焦りの色が濃くなる中、静流婆さんが腰に差していた刀を抜き、俺に手渡してきた。




「これを使いな。」




差し出されたのは一振りの仕込み刀。


鍔のない簡素な作りだが、握った瞬間、冷たくも安心感のある感触が手に伝わってきた。




「これ……本当にいいのですか?」




俺が恐る恐る尋ねると、静流婆さんは「カッカッカッ!」と豪快に笑いながら答えた。




「心配せんでいい。これはな、若のために禊みそぎを済ませた護身刀じゃわい。」




そう言って、婆さんは俺の手に刀を押し付けた。


その言葉に妙な安心感を覚えつつ、改めて刀を握りしめる。




「……わかりました。」




腹を決めてそう答えると、静流婆さんは嬉しそうに目を細めた。




「それでええ。若、恐れるな。わしらが後ろで見とる。」




俺の震えが少しだけ収まり、足元がしっかりと地に着いた感覚が戻ってくる。


背後からは母様や姉様たちの視線を感じる。




俺は護身刀を腰に差し、深く息を吸い込んでからゆっくりと吐き出した。


少しでも心を落ち着けようと、何度も深呼吸を繰り返し、自分の鼓動に耳を傾ける。


そして、覚悟を決めて一歩、また一歩と先へ進んだ。




村の入り口に差し掛かると、薄暗い中から一体の幽鬼が現れた。


それは赤子を抱えた女性の姿をしていた。


幽鬼は片手を伸ばし、ふらふらと俺に向かって近づいてくる。




「……!」




その姿を目にした瞬間、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。


赤子を抱えた幽鬼。


かつて人間だったであろう痩せ細った体、虚ろな瞳、しかし頬には涙の痕だけがはっきりと残っている。


その姿は、かつて何かを守ろうとした人間の名残そのものだった。




俺の手の中にある護身刀がずしりと重く感じられる。




「……やるしかない。」




自分にそう言い聞かせるが、足は思うように動かない。


それでも意を決して縮地を発動し、幽鬼に向かって駆け出した。


俺は勢いを乗せたまま護身刀を振り抜き――




「無理だ……!」




刃が幽鬼の首下でピタリと止まり、俺の手が震え出した。


護身刀の切先は微かに幽鬼の肌に触れているが、どうしてもそれ以上動かせない。




カチカチ――




刀が震え、音を立てる。




「斬る? 誰を? 何を斬るんだ……!」




幽鬼は止まることなく、空いた片手を伸ばしながら俺に迫ってくる。


牙を剥き、顔を俺の方に寄せてきた。


俺は慌てて刀を引き、幽鬼を片手で押し返したが、赤子を抱えたその姿に目を背けることができない。




瞳は虚ろで、命の気配は微塵も感じられない。


しかし、頬に刻まれた泣き痕――涙の跡だけは、生前の彼女が持っていた感情を物語っていた。




「……俺には、無理だ……!」




再び距離を取り、護身刀を構え直す。


しかし、刀を握る手は震えが止まらない。


切先はぶるぶると揺れ、カチカチと音を立てている。


幽鬼はその間にもゆっくりと近づいてくる。




俺の中で、恐怖と迷いが渦を巻いていた。


幽鬼を目の前にしながら、心が拒否していた。




「俺に、本当にこれができるのか……?」




俺は自問を繰り返しながら、ただその場に立ち尽くしていた。








俺は何度も何度も女性幽鬼に詰め寄り、護身刀を振るった。


しかし、刃を振り抜くことはできない。


そのたびに刃は震え、空気を切る音すら出せずに止まった。




幽鬼の姿が目の前に迫るたび、理性では倒さなければならないと理解している。


それでも、赤子を抱えたその姿に心が縛られ、手が止まる。




「……俺には、無理だ……!」




ついに、俺は膝をついてしまった。


護身刀の先が地面に触れ、小さな音を立てる。


その音が妙に重く響いた。








遠くからその様子を静かに見守っている母様と静流婆さん。


母様はその場で口を閉ざし、何かを堪えるように拳を握りしめている。


その手は強く力を込めすぎたのか、爪が掌に食い込み、うっすらと血が滲んでいた。




「御館様も酷なことをさせるのう……」




静流婆さんがぽつりと呟く。


声には少しばかりの怒りと嘆きが混じっている。


しかし母様は、目を逸らさずに俺の姿を見つめたまま、低く答えた。




「葵のためよ……」




その言葉に込められた意味。


母様が何を考えているのかは、今の俺には到底理解できなかった。


けれど、その拳に滲む血が母様の本心を語っているように思えた。




静流婆さんは大きくため息を吐く。




「齢よわい十の若に、人の命を絶つ重さは早計かと思うのじゃが……」




その言葉には諭すような響きがあった。


しかし母様は答えず、ただ視線を俺から逸らさなかった。




静流婆さんはしばらく母様を見つめた後、再びため息をつくと、葵の方へとゆっくりと歩き出した。


その背中を見つめながら、母様の表情は苦虫を噛み潰したように険しく曇る。




母様は何かを言いかけたが、その言葉は静流婆さんには届かなかった。


ただ、静流婆さんの後ろ姿が頼りなげな俺の方へ近づいていくのを見届けるしかなかった。








俺の震える手は、未だ護身刀の柄を握ったまま地面に突き刺さったままだった。


目の前に立ちはだかる幽鬼。


斬らなければならない存在だということは、頭では理解している。


それでも、足が震え、手が強張る。


恐怖が心を支配している。




それは斬ることの怖さ……いや、違う。


人の命を絶つことの怖さだ。




幽鬼は悍ましい亡者の姿をしている。


それでも、その姿にはかつての人間としての面影が残っている。


それが俺の決意を鈍らせ、刃を止めているのだ。




分かっている。


そんなものはただの言い訳だ。


弱さを正当化するために綺麗事を並べているだけだ。




自分への苛立ちと恐怖、そして葛藤が頭をぐちゃぐちゃに掻き回していく。




そんなとき――




バチンッ!




頬を叩かれる鋭い音が響いた。


突然の衝撃に、俺は顔を上げた。


目の前には静流婆さんが立っている。


その表情には怒りがあり、けれどその奥には深い何かが宿っている。




「若は何をやっておられる!」




静流婆さんの低い怒りの声が、震える俺の心を直撃する。


俺は息を呑み、声も出せないまま目を見開いた。




しかし、再び――




バチンッ!




もう一度、頬を叩かれた。


その痛みに、胸の奥にある何かが揺さぶられる。




「若よ、深く考えるではない。お主が持つその刀はなんぞえ?」




静流婆さんの問いに、俺は咄嗟に口を開き答える。




「……護身刀……」




その言葉を口にした瞬間、刀を渡されたときの静流婆さんの言葉が脳裏に浮かんだ。




「若のためにみそぎを済ませた護身刀じゃわい。」




その記憶が蘇った瞬間、何かに気づいたように、俺はハッとして静流婆さんの顔を見上げた。




静流婆さんは、厳しい表情のまましばらく俺を見つめていたが、やがてその表情を緩め、優しく微笑んだ。


そして、震える俺の頭にそっと手を置き、ゆっくりと撫でてくれた。




「若よ……ここは祟り場じゃ。多くの怨念が渦巻き、囚われておる場所じゃ。お主がその刀で祓い、浄め、そして解放してやるのじゃ。それが護身刀を持つ者の役目じゃ。できるのう?」




その言葉に込められた静流婆さんの思いが、俺の心にじんわりと染み渡る。


優しく撫でられる手の温かさが、不思議と震える体を落ち着かせていった。


静流婆さんは撫でる手を止めると、俺の腕をそっと引き、ゆっくりと立たせてくれた。




俺は刀を握りしめ、震える手に力を込めて構え直す。


深く深呼吸を繰り返し、乱れる気持ちを落ち着けた。


もう迷わない。


目の前にいるのは殺すべき相手ではなく、祓い、浄化して救うべき存在だ――そう自分に言い聞かせることで、恐怖と罪悪感を抑え込む。




目を見開いた瞬間、迷いを振り払うように一気に駆け抜けた。


女性幽鬼の首に狙いを定め、護身刀を一気に振り抜く。


その一刃は首元を捉え、半ばまで断ち切った。




嫌な感触だった――肉と骨を断つ感覚。




刀が通った軌跡が、あまりにも生々しく、俺の心に重くのしかかる。


切れ味の良い刀は抵抗を感じさせず、なおさら実感を鈍らせた。


それが逆に恐怖を増幅させたのかもしれない。




首を断たれた女性幽鬼は、一瞬ふらついた後、ズルリとその場に崩れ落ち、そしてそのまま黒い霞のように消えていった。




俺は刃を振り抜いたままその場に立ち尽くし、震えが止まらなかった。


切っ先が震え、カチカチと音を立てる。


自分の手がまだ刀を握っていることさえ、どこか他人事のように感じられた。




そんな俺の背後から母様が駆け寄り、優しく抱きしめてくれた。


その瞬間、俺の中に張り詰めていた何かがぷつりと切れた。




「葵、よくやったわ。」




その温かい声と母様の腕のぬくもりに、耐えていたものが一気に溢れ出した。




「ごめんなさい……ごめんなさい……!」




声を絞り出すように泣き叫び、涙が止まらなかった。


幽鬼とはいえ、人の面影を残す存在を斬った。


それは、人の命を奪ったも同然なのではないかという感情が、波のように押し寄せてきた。




沙耶がそっと近づいてきて、震える俺の手に優しく触れる。




「納刀しますね。」




沙耶の穏やかな声に促されるまま、刀を握る手の指を一本ずつゆっくりと解かれていく。


その間も俺の震えは止まらず、涙で視界が滲んでいた。


沙耶は護身刀を受け取ると、丁寧に鞘を抜き、刃をゆっくりと納めてくれた。


その動作はあまりにも慎重で、静かで、何かを供養するようなに感じられた。




刀が鞘に納まった音が、やけに響いて聞こえた。


それは、俺の中で何かが終わり、何かが始まったことを告げる音のようにも思えた。


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