第22話「剣先輩は凛としている」

 次の日。

 いつものように、澪と一緒に登校していた。

 学校の門をくぐり、校舎に向かって歩く。

 朝の空気は少し涼しくて、秋が近づいているのを感じさせた。

「今日から、文化祭の準備が本格的に始まるね」

 澪が言った。

「ああ。装飾担当、頑張らないとな」

「うん。四人で協力して、いいものを作ろうね」

 澪は笑顔でそう言った。

 その笑顔を見て、俺も自然と笑顔になる。

 澪と一緒に準備できる。

 それが、何だか嬉しかった。

 校舎に入ると、廊下のあたりが何やら騒がしかった。

 生徒たちが、廊下の一角に集まっている。

「何だ、あれ」

「何かあったのかな」

 澪も不思議そうに首を傾げた。

 俺たちも、声のする方へ向かった。

 廊下の角を曲がると——。

 そこには、一人の女子生徒が歩いていた。

 いや、「歩いている」という表現では足りない。

 まるで、廊下全体が彼女のためにあるかのような、堂々とした歩き方だった。

 身長は170センチほど。

 黒髪の超ロングヘアが、背中を流れるように揺れている。

 立ち居振る舞いが洗練されていて、一歩一歩が美しい。

 制服の着こなしも完璧で、隙がない。

 そして——顔が、ものすごく美しかった。

 整った顔立ち。

 切れ長の目。

 端正な鼻筋。

 全てが、完璧にバランスが取れている。

「剣先輩だ……」

 誰かが小声で呟いた。

 剣凛つるぎりん

 俺たちより一学年上の、二年生の先輩だ。

 学校では、「完璧な先輩」として知られている。

 成績優秀で、弓道部所属。

 礼儀作法も完璧で、教師からの評価も非常に高い。

 そして、何より——近寄りがたいほどの美しさと、隙のない雰囲気を持っている。

 剣先輩が廊下を歩くだけで、周囲の生徒たちがざわめいた。

「かっこいい……」

「美しすぎる……」

「剣先輩、今日も完璧……」

 黄色い歓声が、あちこちから上がる。

 男子生徒も、女子生徒も、みんな剣先輩に見とれていた。

 俺も——思わず、見とれてしまった。

 確かに、美しい。

 完成されている。

 まるで、絵画の中から出てきたような、完璧な存在だった。

 その時、隣から視線を感じた。

 澪が、少しムッとした表情で、俺を睨んでいた。

「……遼輔」

「ん?」

「見すぎ」

「え?」

「剣先輩のこと、見すぎ」

 澪は頬を膨らませた。

「別に、見とれてたわけじゃ——」

「見とれてたでしょ」

「……まあ、ちょっとは」

 俺が認めると、澪はますます頬を膨らませた。

「もう」

「でも、すごいよな」

 俺は剣先輩の背中を見ながら言った。

「歩いてるだけで、あんなに歓声が上がるなんて」

「そうだね……」

 澪も、少し複雑そうな顔をした。

「剣先輩、本当に完璧だから」

「完璧、か」

 俺は呟いた。

 確かに、剣先輩は完璧に見える。

 隙がなくて、美しくて、誰もが憧れる存在。

 でも——。

 何だか、少し近寄りがたい気もした。

 完璧すぎて、人間味が感じられない。

 そんな印象を受けた。

 剣先輩は、そのまま廊下の奥に消えていった。

 周囲の生徒たちも、少しずつ散っていく。

 俺と澪も、教室に向かった。

「でも、剣先輩って、どんな人なんだろうな」

 俺が呟くと、澪が答えた。

「噂では、すごく厳しい人らしいよ」

「厳しい?」

「うん。弓道部でも、後輩に対してすごく厳しく指導するって聞いたことある」

「へえ」

「でも、それは後輩のためを思ってのことだって」

 澪は続けた。

「剣先輩、本当に真面目で、完璧主義者なんだって」

「完璧主義者か……」

 俺は少し考えた。

 完璧であり続けるって、大変だろうな。

 常に周りから見られて、期待されて。

 失敗が許されない。

 そんな環境で生きるのは——きっと、辛いこともあるはずだ。

 そんなことを考えながら、俺たちは教室に入った。


 昼休み。

 俺は涼真と一緒に、教室で昼食を食べていた。

 澪と小鳥遊も、少し離れた席で弁当を食べている。

「なあ、涼真」

「ん?」

「今日の文化祭準備、どうする?」

「とりあえず、放課後に集まって、装飾の案を考えようぜ」

「そうだな」

 そんな会話をしていた時、教室のドアが開いた。

 そこには——剣凛先輩が立っていた。

 教室中が、一瞬で静まり返った。

 剣先輩が、俺たちの教室に来るなんて、珍しい。

 いや、珍しいどころか、初めてかもしれない。

「失礼します」

 剣先輩は、丁寧に一礼した。

 その所作が、完璧すぎて、まるで時代劇の武家の娘のようだった。

「文化祭実行委員の方は、いらっしゃいますか?」

 凛とした声が、教室中に響く。

 涼真が立ち上がった。

「俺です」

「それと私も」

 ハルも立ち上がった。

 剣先輩は、二人を見て、小さく頷いた。

「少しお時間をいただけますか?」

「はい」

 涼真とハルは、剣先輩に連れられて、教室を出て行った。

 残された俺たちは、顔を見合わせた。

「何だったんだ、今の」

「さあ……」

 クラスメイトたちも、ざわざわと話し始めた。

「剣先輩、何の用だろう」

「文化祭関係かな」

「でも、わざわざ来るなんて……」

 教室中が、推測で盛り上がった。

 俺も、気になった。

 剣先輩が、涼真とハルを連れて行った理由。

 それが、何なのか。


 十五分後。

 涼真とハルが、教室に戻ってきた。

 二人とも、少し疲れた顔をしている。

「おい、涼真」

 俺はすぐに涼真に駆け寄った。

「どうしたんだ?剣先輩、何の用だったんだ?」

「ああ……」

 涼真は席に座って、大きくため息をついた。

「城崎先生に相談されたらしい」

「城崎先生に?」

「ああ。『文化祭実行委員が本当にふさわしいか、剣の目で見てほしい』って言われたんだって」

「は?」

 俺は驚いた。

「つまり、お前とハルが実行委員として適任かどうか、確認しに来たってこと?」

「そういうこと」

 涼真は肩をすくめた。

「で、色々質問されたんだよ。文化祭の準備計画とか、担当の振り分けとか」

「それで?」

「特に問題はなかったらしい。一応、合格ってことになった」

 涼真はそう言って、また大きくため息をついた。

「でも、あの先輩、圧すごかったわ」

「圧?」

「ああ。質問してる時の目とか、すごく真剣で」

 涼真は少し震えた声で続けた。

「ちょっとでも曖昧な答えをしたら、すぐに突っ込まれるし」

「そんなに厳しかったのか」

「厳しいってレベルじゃねえ。完璧主義者って感じだった」

 涼真は頭を抱えた。

「あの先輩、絶対に妥協しないタイプだわ」

 ハルも、珍しく少し疲れた顔をしていた。

「予想以上だった」

 ハルが淡々と言った。

「観察しようと思ったけど、逆に観察された気分」

「お前でもそう感じるのか」

「うん。あの先輩、隙がない」

 ハルは真剣な顔で言った。

「完璧すぎて、人間っぽくない」

「人間っぽくない……」

 俺は、剣先輩のことを思い出した。

 確かに、完璧だった。

 美しくて、隙がなくて、凛としていた。

 でも——。

 人間味が感じられなかった。

 まるで、感情を持たない人形のような。

 そんな印象を受けた。

「でも、なんで城崎先生は、剣先輩に頼んだんだろうな」

「さあ。多分、俺たちのこと信用してなかったんじゃね?」

 涼真は苦笑した。

「実際、担当表勝手に書き換えたし」

「それはお前のせいだろ」

「まあな」

 涼真は笑った。

 でも、その笑顔は——少し疲れているように見えた。


 放課後。

 文化祭準備のために、俺たち四人は教室に集まった。

 遼輔、澪、涼真、小鳥遊。

 装飾担当の四人だ。

「じゃあ、装飾の案を考えよう」

 涼真が口を開いた。

「縁日だから、和風な感じがいいよな」

「そうだね。提灯とか飾りたい」

 澪が提案した。

「あと、のれんとか」

「いいね。和風な雰囲気、出せそう」

 小鳥遊も同意した。

 四人で色々な案を出し合って、装飾のイメージを固めていく。

 その作業は、楽しかった。

 みんなで意見を出し合って、笑い合って。

 そんな時間が、心地よかった。

 でも、俺の頭の中には——。

 剣先輩のことが、少し引っかかっていた。

 あの完璧な姿。

 隙のない雰囲気。

 そして、涼真が言っていた「圧」。

 剣先輩は、凛としている。

 でも、それは——。

 何か、重いものを背負っているようにも見えた。

 完璧であり続けることの、プレッシャー。

 それを、感じさせる何かがあった。

 俺は、そんなことを考えながら、準備を続けた。

 剣先輩。

 あの人は、一体どんな人なんだろう。

 その答えを、俺はまだ知らなかった。


 その頃。

 剣凛は、校舎の屋上にいた。

 一人で、手すりに寄りかかって、空を見上げていた。

 夕焼けが、空を赤く染めている。

 美しい景色だった。

 でも、凛の心は——穏やかではなかった。

「……疲れた」

 小さく呟いた。

 今日も、完璧でいなければならなかった。

 廊下を歩く時も。

 実行委員を確認する時も。

 常に、周りから見られている。

 期待されている。

 完璧でいることを、求められている。

 それが——とても、重かった。

「いつまで、こんなことを続ければいいんだろう」

 凛は、自分に問いかけた。

 でも、答えは出なかった。

 完璧であり続けること。

 それが、凛に課せられた役割だった。

 名家の娘として。

 弓道の名門家系として。

 学校の模範生として。

 その全てを、完璧にこなさなければならない。

 失敗は、許されない。

 弱音を吐くことも、許されない。

 ただ、完璧でいるしかない。

 凛は、大きくため息をついた。

 そして——ふと、思い出した。

 遼音のことを。

 三崎遼輔の妹。

 あの子にだけは、弱音を吐ける。

 本音を見せられる。

 それが、凛にとって——唯一の救いだった。

「また、会いたいな……」

 凛は小さく呟いた。

 夕焼けが、少しずつ暗くなっていく。

 凛は、もうしばらく屋上に留まった。

 一人で、静かに。

 完璧な剣凛ではなく。

 ただの、一人の女の子として。


 その日の夜。

 俺は自分の部屋で、今日のことを振り返っていた。

 剣先輩のこと。

 あの完璧な姿。

 でも、何だか——。

 少し、寂しそうにも見えた。

 そんな気がした。

 完璧でいることは、きっと大変なんだろう。

 周りから期待されて、プレッシャーを感じて。

 それでも、完璧でい続けなければならない。

 そんな生活は——きっと、辛い。

 俺は、剣先輩に少しだけ同情した。

 でも、同時に——。

 尊敬もしていた。

 あれだけのプレッシャーの中で、完璧でいられるなんて。

 すごいことだと思った。

 剣先輩。

 凛としている、恐ろしい先輩。

 でも、きっと——。

 その奥には、何かがある。

 そんな気がした。

 俺は、そんなことを考えながら、眠りについた。

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