【定期】幼馴染は恋愛対象で見れない件 ~俺が大好きなのは年上お姉さんだけだから幼馴染とはそういうことにならないはずだった!?~

Nemu°

第1話「俺のラブコメはここから始まるらしい」

 目が覚めると、いつものように天井が見えた。

 白い天井。我が家の、見慣れた天井だ。枕元に置いたスマホのアラームが鳴り続けている。時刻は午前六時三十分。いつもと変わらない朝が、今日も始まった。

「……起きるか」

 布団から這い出して、スマホのアラームを止める。窓の外を見ると、八月の朝日が既に高く昇っていた。夏休みも終盤に差し掛かり、来週からはいよいよ二学期が始まる。

 俺、三崎遼輔は聖陵高校に通う一年生だ。この北海道N市で生まれ育ち、今も変わらずこの街で暮らしている。特別なことは何もない、ごく普通の高校生活を送っている。

 少なくとも、俺はそう思っていた。

 顔を洗い、制服に着替える。ブレザータイプの制服は、この暑い時期でもそれなりに涼しく着られるよう工夫されている。鏡の前で髪を整えながら、今日一日の予定を頭の中で整理した。

 夏休み最後の補習授業。午前中で終わるから、午後は自由だ。バイトも今日は入っていない。涼真あたりと遊びに行くか、家でゲームでもするか。まあ、いつも通りの一日になるだろう。

「遼輔ー、朝ごはんできてるわよー」

 階下から母親の声が聞こえてくる。俺は部屋を出て、階段を降りた。

 リビングのテーブルには、トーストと目玉焼き、それにサラダが並んでいる。母親が淹れたコーヒーの香りが部屋中に広がっていた。

「おはよう」

「おはよう。今日は補習なんでしょ?ちゃんと朝ごはん食べていきなさいよ」

「分かってるって」

 席に着いて、トーストにバターを塗る。目玉焼きに醤油をかけて、一口食べた。いつもと変わらない味。いつもと変わらない朝食。

 母親は新聞を読みながら、何気なくこう言った。

「そういえば、澪ちゃん最近よく来るわね。昨日も夕方に顔出してたでしょ?」

「ああ、宿題のこと聞きに来てただけだよ」

「仲がいいのはいいことだけど」

 母親はニヤリと笑って続けた。

「お母さんとしては、そろそろ進展があってもいいんじゃないかと思うんだけどねぇ」

「だから違うって。澪とはただの幼馴染だから」

「はいはい、分かってるわよ」

 母親は明らかに納得していない様子で、新聞に視線を戻した。

 東雲澪。俺の幼馴染で、物心ついた頃から一緒にいる存在だ。家が隣同士で、保育園も小学校も中学校も一緒。今は同じ高校に通っている。

 確かに仲はいい。昔からよく知っている相手だし、何でも話せる関係だと思う。でも、それだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。

 俺には明確な好みがある。年上のお姉さんだ。落ち着いていて、大人の余裕があって、包容力のある女性。それが俺の理想だ。

 澪は同い年だし、どちらかと言えば世話を焼かれる方だ。俺の理想とは真逆と言ってもいい。だから、恋愛対象として見たことは一度もなかった。

 朝食を食べ終え、食器を流しに運ぶ。時計を見ると、七時二十分。そろそろ家を出ないと、補習に遅れてしまう。

「じゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 玄関で靴を履き、ドアを開けた瞬間だった。

「あ、おはよう、遼輔」

 隣の家の玄関から、見慣れた顔が現れた。

 東雲澪。セミロングの黒髪を後ろで一つに束ね、いつもの制服姿で立っている。小柄で華奢な体つきは、どこか守ってあげたくなるような雰囲気を醸し出していた。

「おはよう。今日も補習か」

「うん。数学と英語だけだけどね」

 澪はいつもの笑顔を浮かべながら、俺の隣に並んだ。こうして一緒に登校するのは、もう何年も続いている日課だ。

「遼輔、昨日教えてもらった問題、もう一回解いてみたんだけど」

「どうだった?」

「うーん、途中まではできたんだけど、最後でまた詰まっちゃって」

 澪は少し困ったような顔をして、俺を見上げた。その表情は、昔から変わらない。困ったときは必ず俺を頼ってくる。そして俺も、当たり前のように助けてきた。

「補習終わったら、また教えてやるよ」

「ホント!?ありがとう、遼輔」

 澪の顔がパッと明るくなる。その笑顔を見て、俺は少しだけ気恥ずかしくなった。

 いや、別に変な意味じゃない。ただ単純に、喜んでもらえるのは悪い気分じゃないってだけだ。幼馴染として、当然のことをしているだけなんだから。

 二人並んで、学校への道を歩く。N市の住宅街は、この時期でも静かだった。観光地として有名な温泉街とは対照的に、地元住民が暮らすエリアは落ち着いた雰囲気に包まれている。

「ねえ、遼輔」

「ん?」

「今日の午後、時間ある?」

「バイトないから空いてるけど」

「じゃあ、一緒に図書館行かない?夏休みの宿題、まだ終わってない部分があって」

「お前、いつも夏休み最終日まで宿題残すよな」

「だ、だって難しいんだもん」

 澪は頬を膨らませて反論する。その仕草も、小学生の頃から変わっていない。

「分かったよ。じゃあ、補習終わったら図書館な」

「やった!ありがとう、遼輔」

 また嬉しそうに笑う澪。その横顔を見ながら、俺は思う。

 これが俺たちの関係だ。幼馴染。昔から知っている、気の置けない相手。何でも言い合える、家族みたいな存在。

 恋愛なんて、そういう関係性とは無縁のものだ。

 聖陵高校の校門が見えてきた。夏休み中とはいえ、補習のために登校している生徒は結構いる。校舎に入ると、廊下ですれ違う生徒たちが挨拶を交わしていた。

「じゃあ、また後でね」

「ああ、補習頑張れよ」

 澪は自分の教室に向かい、俺も一年三組の教室へと足を運んだ。

 教室に入ると、既に何人かのクラスメイトが席に着いていた。窓際の自分の席に向かおうとした瞬間、後ろから声がかかった。

「よう、遼輔。今日も朝から二人で登校なんて、お熱いねぇ。ヒューヒュー」

 振り返ると、そこには茶髪を無造作に整えた男子生徒が立っていた。九条涼真。俺の親友で、クラスメイトでもある。

「うるせえよ、涼真」

「いやいや、羨ましい限りだよ。毎朝可愛い幼馴染と一緒に登校できるなんてさ」

 涼真はニヤニヤと笑いながら、俺の隣の席に座った。こいつは昔からこうだ。軽口ばかり叩いて、人をからかうのが趣味のような奴だ。

「だから俺と澪はそんなんじゃないって」

「はいはい、聞き飽きたよその台詞」

「本当だって。大体、俺は年上のお姉さんが好きなんだよ。幼馴染ヒロインなんて、ラブコメの中だけの存在だ。俺たちなんてただの腐れ縁さ」

 俺は少し強めにそう言い切った。涼真は肩をすくめて、呆れたような顔をする。

「まーた始まった。遼輔の年上お姉さん信仰」

「信仰じゃねえよ。事実を言ってるだけだ」

「そういうところだぞ、お前」

 涼真は意味深な笑みを浮かべて、それ以上は何も言わなかった。

 しばらくして、チャイムが鳴り、補習が始まった。数学の問題を解きながら、俺の頭の中には涼真の言葉が引っかかっていた。

 そういうところ、って何だよ。

 俺は別に変なことは言っていない。ただ、自分の気持ちに正直なだけだ。年上の女性が好きで、幼馴染は恋愛対象じゃない。それの何が悪いんだ。

 授業が終わり、休み時間になった。教室の反対側では、女子生徒たちが集まって話し込んでいる。その中に、澪の姿もあった。

 澪の隣には、小鳥遊結衣がいる。ショートカットの髪型が特徴的で、活発そうな雰囲気の女子だ。澪の親友で、中学からの付き合いらしい。

「で、で、澪。今日も朝から遼輔くんと登校したんでしょ?」

 結衣の声が、こちらまで聞こえてきた。どうやら、俺と澪のことを話題にしているようだ。

「う、うん。いつものことだけど」

「いつものことって、それもうカップルじゃん。羨ましすぎるんだけど」

「カ、カップルなんかじゃないよ!ただの幼馴染だし」

 澪は慌てた様子で否定する。その反応を見て、結衣はニヤリと笑った。

「でもさ、澪は遼輔くんのこと好きなんでしょ?」

「そ、そんな大きな声で言わないでよ!」

 澪は顔を真っ赤にして、周囲を見回した。幸い、他の生徒たちは自分たちの会話に夢中で、こちらには注意を払っていない。

「だったらさ、もっと積極的にアタックしなよ」

「で、でも……遼輔、全然振り向いてくれないんだよ」

 澪の声が、少ししょんぼりとしたトーンになる。

「いつも『俺は年上のお姉さんが好き』とか『幼馴染は恋愛対象じゃない』とか言ってて……私のこと、全然女の子として見てくれないの」

「うーん、それは確かに難易度高いかも」

 結衣は腕を組んで、真剣な顔で考え込んだ。

「でもさ、澪。このままじゃ進展しないよ?もっとグイグイ行かないと」

「そんなこと言われても、私、そういうの苦手だし……」

「だから彼氏できないんだよー」

 結衣は大げさに嘆いてみせた。その様子を見て、澪は少し笑った。

「結衣だって彼氏いないじゃん」

「私は別にいいの!今は友達の恋愛応援に全力投球中だから」

 結衣はそう言いながら、澪の肩を叩いた。

「とにかく、澪がもっとアタックしないと始まらないって。せっかく毎日一緒にいるんだから、チャンスはいくらでもあるでしょ」

「そうだけど……」

 澪は俺の方をチラリと見た。その視線に気づいて、俺は慌てて別の方向を向く。

 結衣は小さくため息をついた。

 (いやいや、澪がもっとアタックしろよ。というか、お前ら早く付き合ってくれ。こっちがモヤモヤするわ)

 その心の声は、当然俺には聞こえない。

 次の補習が始まるチャイムが鳴り、生徒たちは各自の席に戻っていった。俺も自分の席に座り、教科書を開く。

 涼真が隣から話しかけてきた。

「なあ、遼輔。今日の午後、暇だろ?ゲーセン行かね?」

「悪い、澪と図書館行く約束してるんだ」

「はあ?また勉強教えるの?」

「宿題手伝ってくれって頼まれたからな」

 涼真は盛大にため息をついた。

「お前、本当に鈍感だよな」

「何がだよ」

「いや、何でもない。頑張れよ、鈍感主人公」

「意味分かんねえこと言ってんな」

 俺は涼真の言葉を気にせず、授業に集中した。

 補習が全て終わったのは、昼前だった。教室を出て、昇降口に向かう。既に澪が待っていた。

「お疲れさま、遼輔」

「おう。じゃ、図書館行くか」

「うん!」

 二人で学校を出て、市立図書館へと向かう。N市の図書館は、学校から歩いて十五分ほどの場所にあった。

 図書館の中は涼しく、静かだった。夏休み中ということもあって、勉強している学生の姿が目立つ。

 空いている席を見つけて、澪と隣同士に座った。澪は鞄から宿題のプリントを取り出す。

「えっと、この問題なんだけど……」

「どれどれ」

 俺は澪のプリントを覗き込む。数学の二次関数の問題だった。

「ああ、これは公式を使えば簡単だよ。まずここの式を展開して……」

 説明しながら、澪のノートに式を書いていく。澪は真剣な表情で、俺の手元を見つめていた。

 時折、澪の髪の毛が俺の腕に触れる。シャンプーの香りが、ふわりと鼻をくすぐった。

「……分かった?」

「あ、うん。ありがとう、遼輔」

 澪は嬉しそうに笑った。

 その笑顔を見ながら、俺は思った。

 今日の朝は、いつも通りだった。いつも通りの日常が、今日も過ぎると思っていた。

 幼馴染と一緒に登校して、友達に冷やかされて、また幼馴染と図書館で勉強する。

 こんな日常が、これからもずっと続いていくんだろう。

 そう思っていた。

 だけど——。

 (今日をきっかけに、俺のラブコメはどうやらここで始まるようだ)

 その時の俺は、まだ気づいていなかった。

 この何気ない日常が、やがて大きく変わっていくことを。

 俺が必死に目を逸らしてきた感情が、もう無視できないほど大きくなっていることを。

 それに気づくのは、もう少し先の話だ。

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