影踏みの檻

雨乃伊沙霧

影踏みの檻

 影裂に残る魔法少女が、落ちこぼれであることは知っていた。そんな話をお婆からよく聞かされていたし、そうでなくても多分、気づいていた。

 お婆は訳あって影裂から出られなかったらしく、それをとても悔しがっていた。

 その訳は説明してくれなかったが、大体は想像がつく。つまるところ、落ちこぼれだったのだろう。いつも「影裂から出ることが出来ていれば」と恨み言のように呟いていた。だから、せめて自分の娘は、禍戸や瞑棲に行かせてやりたいと思っていたらしい。それ故に、母が非魔法少女であると知った時、大層がっかりしたそうだ。言わせてみれば、母は落ちこぼれにすらなれなかったのである。まったくの期待外れで、親不孝者だった。

 しかし、母は優秀だった。非魔法少女だが頭が良く、人辺りも良かった。それがまた、お婆の気に障ったらしい。母が授かった子、つまりわたしが魔法少女だと分かるまで、母とまともに口すら聞いていなかったそうだ。

 幸いなことにわたしはお婆に可愛がってもらっていた。まるで自分が腹を痛めて産んだ子のように、時には厳しく、また、時には太陽のようにわたしを照らしてくれた。ただ、それと同時に母の悪口も良く聞かされた。わたしは母のことも好きだったので、どんな顔をしてその話を聞いていたのかよく覚えていない。きっといい顔はしていなかっただろう。わたしはお婆のことが、あまり好きではなかった。

 わたしが小学校に入学する少し前、お婆が亡くなった。心臓の病気らしいが詳しいことは知らない。何の前触れもなくあっという間になくなってしまった。それから葬儀屋の手配だの、墓の準備だのでわたしも母も慌ただしくしていた。喪服を着るのは初めてだったが、ちょっとかっこいいと思った。

 そんなこんなで葬儀が始まった時には、わたしも母も大分と疲弊していたことを覚えている。

 葬儀の際、母は泣かなかった。悲しむことも喜ぶこともせず、ただひたすら無表情だった。それが悲しかったのか、わたしは泣いた。いや、やはりわたしはお婆のことが好きだったのだろう。

 だから泣いたのだ‥‥‥そう信じたい。

 母のことを除けば、お婆はわたしのことを本当に可愛がってくれた。

 突然亡くなったと言ったが、お婆は死ぬことが分かっていたのだろうか。確か死ぬ前に珍しくわたしを呼び出して「優子。よい魔法少女になりなさい」とだけ言った。禍戸に行けとも瞑棲に行けとも言わなかった。今思えば、そう言ってくれればもう少し楽だったのかもしれない。


 わたしが入学した公立の小学校は規模が小さく、一学年に六十名しかいない。また、魔法少女はわたしを含めて二名しかいなかった。やはりわたしは選ばれし存在だったのだ。ここで、非魔法少女を導き、さっさと影裂からおさらばしよう。そして瞑棲か禍戸の学校に入るんだ。そのためには勉強が必要だった。学校の勉強だけでなく、魔法少女としての勉強も。そのためにはどんなことにだって耐えてやる。

 そう。わたしならきっと上手くやれるのだ。

 さっそくクラス分けの発表があった。全くランダムに振り分けたのか、それとも魔法少女同士、一緒のクラスにしてやろうと言う学校側の配慮なのか、わたしは彼女と同じクラスになった。

 彼女は井上麻美と名乗った。声が小さく、主張の少ない、いかにも気の弱そうな女だ。ああ、ちょうどいい。与し易い相手だ。それに魔法も取るに足らない。なんだ、こんなもんか。本能が、こいつは下であると告げる。少し肩の荷が降りた。

 よしっ。まずはクラスで発言権を得る。そして非魔法少女達を正しい方向へ導こう。それが当時漠然と考えていたプランであった。つまり、まあ、あまり考えていなかったのだ。何となく良い魔法少女っぽいことをしようという意識だけがあり、それだけだった。しかし、小学生なんてそんなものだし、それでいい。初めての学校生活に浮足立っていたのかもしれない。

 さて、まずはクラスでの地位を確立することが喫緊の課題であった。しかし、それは特段の努力を必要とせず解決した。わたしの魔法はとりわけ、小学校で人気者になるのに適していたのだ。それにこんなにも可愛いのだ。きっと、魔法なんてなくても人気者になれただろう。

「影踏みの檻」

それがわたしの魔法である。わたしに影を踏まれた人間はその間、決して動くことが出来ない、そんな魔法。いろいろと使い方はあるのだろうが、我ながら実に上手い使い方をしたと、今でも思う。

 わたしはそれを鬼ごっこで使った。逃げ惑う友人の影を踏み、動きを止める。そして動けなくなったところを捕まえるのだ。これだけでわたしは一躍、時の人となった。わたしが鬼になることが多かったが、足の遅い子が鬼になってしまった時は仲間の影を踏み、裏切り、捕まえさせ、感謝される。足の速い子を追うときは、こっそりと隠れて影を踏み動けないようにしてから捕まえ、楽しませる。

 影を踏まれたいと願い出る者も多く、実際に踏んでやるとそれだけで喜んだ。

 また、日陰に入られると魔法が使えなくなるというデメリットも、鬼ごっこという競技に新たなゲーム性を付与し、わたしの鬼ごっこに参加する人数は日に日に増えていった。 そして入学して一ヶ月もたった頃、必然と、クラスのカーストの頂点に君臨するようになった。

 その頃になると麻美の存在感は消えていた。元々、取るに足らない存在だと思っていたが、魔法少女同士、やはり多少は意識していたのだろう。もし、わたしの地位を奪う存在がいるとするならば同じく魔法少女である彼女だ。

 しかし、それは杞憂だった。所詮、彼女の魔法「花びらの揺り籠」程度でわたしが築き上げた盤石な地位が侵されるはずが無かったのだ。


 そんなこんなで、わたしの小学校生活も最後の年になり、クラス委員長としての姿も板についてきた。私利私欲にまみれた理由で就いた役職だが、我ながら良いクラス委員長だったと思う。

 やがて最後の年も終わりに差し掛かり、秋の体育祭の時期が訪れた。クラス委員長としての最後の仕事、そして見せ場だ。これを乗り越えてようやく、六年間務めたクラス委員長の役割を終えることが出来る。必然と気合が入った。それと同時に少し疲れていた。やはり、完璧で居続けることは辛い。早くクラス委員長と言う重責から解放されたいとも思った。

 体育祭の目玉は、六年生によるクラス対抗リレーだった。全員が一周ずつ走り、バトンを繋いでいく。単純な競技だ。二クラスしかいないため多少寂しくはあるが、それでも毎年盛り上がる。今までは観戦する立場であったが、いよいよ今年はわたしたちの番だ。当然、わたしはアンカーに選ばれた。麻美は真ん中あたり、何番目かは覚えていない。


 その日はとても天気が良かった。まったく、わたしの勝利を飾るのにこの上なくふさわしい日だと思った。しかし、リレーが始まるのは午後三時から。まだ先は長い。それまで、適当に体を動かしておこう。

 軽く体操をした後はクラスメイトの応援へ向かった。バスケ、バドミントン、野球、サッカー、テニス‥‥‥ 一瞬で時間が過ぎ去った。わたしはテニスに参加したが、これは遊びのようなものだ。当然勝ったが。

 そして昼を食べ、気が付いたら、あと一時間。入念にアップをしよう。

 わたしは学年で一番足が速かった。男子を含めてもそうだ。深呼吸をして、集中する。想像するのだ。勝利を‥‥‥

 ‥‥‥

 ‥‥‥

 ‥‥‥

 よし。イメージは完璧だ。あとは本番を待つのみ。すでに校庭には学校中の生徒が集まり始めていた。さて、最後の仕事が始まる。この仕事が片付けば、わたしは晴れてクラス委員長としての責務から解放されるのだ。早く終わって欲しい……


 これは緊張なのだろうか。少し焦燥感と浮遊感を感じる。


 さて、いざ始まってしまえば、そんな不安もどこかに消え去った。

「がんばれー」

「負けるな」

 そんな掛け声にわたしも加担した。抜きつ抜かれつの大接戦。勝負も中盤に差し掛かったところで麻美の順番が回ってくる。ややリードした状態でバトンを受け取った麻美は走り出した。そんなに足が速い方ではないが、一生懸命走っていることは誰が見ても明らかだ。応援の声も、一層大きくなる。わたしはただ、黙って見ていた。五メートル、三メートルと距離が縮まっている。最後の直線に入った時には、一メートルも差が無かった。

 しかし、彼女は抜かれなかった。その差をキープしたままバトンを渡す‥‥‥

 わたしは靴に目をやった。

 久しぶりに履いた半ズボンからは、病的なまでに真っ白な肌が太陽の光を眩しく反射している。いけない。靴紐が解けているではないか。さっとそれを結んで、順番を待つ。わたしの番が来たとき、クラスは劣勢に追い込まれていた。差は十メートルほど。イメージ通りだ。最後の仕事をこなす準備は出来ている。

 そしてわたしはバトンを受け取った。大丈夫。足取りは軽い‥‥‥頭も冷静だ‥‥‥わたしなら出来る。

 まずは最初のカーブ‥‥‥左側に体重をかけ重心をずらす。大丈夫、コーナーは一番得意としているじゃないか。このまま一気にスピードに乗ろう。前との距離は‥‥‥九メートル。っ‥‥‥思ったより縮んでいない。砂の地面が滑る‥‥‥外に膨らむ‥‥‥くそっ。もっと早く走れるはずなのに……コーナーを抜けて立て直せるか……

カーブを抜けて直線に出た。ギアを一段上げる。よし。スピードに乗れた。ここからが本番だ。距離は、八メートル。七、六‥‥‥いける‥‥‥前を走る男子の背中をしっかりと視界に収める。五、四、三‥‥‥そのまま最後のカーブに入る。やはり砂の地面が滑る。もっと‥‥‥もっと、重心を‥‥‥二メートル‥‥‥

 最後のカーブを抜けた‥‥‥最後の直線だ。目の前にゴールが見える‥‥‥頼む‥‥‥もってくれ‥‥‥徐々に足に乳酸がたまってくる。

 さらに一段階ギアをあげた。

 一メートル‥‥‥男子の背中は左前に迫っている。視界は開けた。ゴールまで三十メートル。


 あと少し‥‥‥


 あと少し‥‥‥ 


 よし、並ん‥‥‥え‥‥‥?


 その時、何かが起こった‥‥‥


 隣を並んで走る男子が盛大にクラッシュし、視界後方に消えていく。土ぼこりが盛大に舞い、風と共にかき消された。わたしはゴールした。振り返ると、ゴールテープの手前で男子が倒れている。待ち望んでいた歓声は沸かず、小さな悲鳴と困惑の声が静かにどよめいていた。友人は少し気まずそうに、いや、侮蔑的な視線をわたしに向ける。

 なんで?

 頭が真っ白になった。一体、何が起こったのか分からない。視線が痛かった。わたしは急いで自分の落ち度を探す。確か、前を走る男子に追いついて、並んで‥‥‥ 

 そして‥‥‥ああ、そういうことか。

 視線の意味を理解する。

 つまり、あれだ‥‥‥終わりってやつだ。

 クラス委員長としてのわたしも、クラスメイトとしてのわたしも‥‥‥

 男子の周りに人だかりが出来始めた時、わたしは一人で教室へと歩いていた。後悔と自責の念だけが、頭の中を渦巻いている。なんで忘れていたのだろう。今まで、あれほど気を付けていたのに‥‥‥


 土に汚れた靴を見つめながら思う。

 そして、その靴もだんだんとぼやけて見えなくなった。


 わたしは、影を踏んでしまったのだ。


 それから卒業までの五カ月ちょっとは、今でも鮮明に覚えている。友人だったものは、わたしが話しかけると、気まずそうに苦笑いするだけの存在になった。そうでないもの達も露骨にわたしを避けるようになる。そうなってしまえばいやでも気が付く。最初から彼ら、彼女らは友人などではなかったのだ。いや、それどころかわたしのことを疎ましいとさえ思っていたのだろう。確かに最初は仲良くやれていたのかもしれない。しかし、一年、二年と時は流れる。最初は珍しい魔法でも、何回も繰り返されれば飽きが来よう。そして彼ら、彼女らはこう思ったはずだ。

「なあ、いい加減、うざいんだよ。それ」

 もう誰も、わたしの魔法など見たくなかった。それでも仲の良い振りをしていたのは、わたしに力があったから。嫌いで仕方がなくても、逆らえない。逆らったら何をされるか分からない。

 もちろん、逆らう奴が一人いたとしてもわたしは‥‥‥

 何かしたかもしれない……

 裸の王様という奴だろうか。いや、王様なんて称号は相応しくない。わたしは独裁者だった。ならば、そんな奴らの最後は大抵決まっている。

 孤立だ‥‥‥

 別に怖くはなかった。所詮あと五カ月もすれば二度と会わないような奴らじゃないか。そうだ‥‥‥わたしはこいつらとは違って特別なんだ。そもそも魔法少女は魔法少女の中で生きるべきであって、こんな非魔法少女共と仲良くする必要なんてない。そう。さっさと影裂なんて街から出て禍戸か瞑棲にでも行こう。こんなところ、わたしに相応しくない。お婆もそう言っていたじゃないか。そのためには、勉強が必要だ。学校にだって行く必要もない。

 さっそく、勉強だ。諺でも学ぼうか‥‥‥

 ローマは一日にして成らず。されど崩れるは一夜にして足る……か。

 なるほど、わたしはこの意味を二度理解することとなった。


 二度目を理解したのは、そう遠くない日だった。冬の風が冷たい三月の初めのこと。卒業式の二日前‥‥‥禍戸の綾羅女学院中等部の合格発表の日だ。ここに落ちたら影裂に残るしかなくなる。そうなったら、中学へは行かないつもりだった。影裂から抜け出す最後の希望‥‥‥合格通知がポストに投函されてすぐ、かじかんだ手で封を破った。そこには、慎ましやかに「不合格」という文字と数行のお祈りの言葉が刻まれていた。

 小学校の入学式の日にした、ささやかな決意を思い出す。今まで忘れていたのだから、決意でも何でもないのだが。


 確か‥‥‥ここで、非魔法少女を導き、さっさと影裂からおさらばしよう。そして瞑棲の学校に入るんだ。そのためには勉強が必要だった。学校の勉強だけでなく、魔法少女としても勉強も。そのためにはどんなことにだって耐えてやる‥‥‥か。


 ああ、そうだ。たった五ヶ月の勉強で禍戸に行ける訳がないじゃないか。そもそも庶民の出というだけで難易度が高いのに、五年と半年も無駄な時を過ごしてきたわたしが受かる訳がなかった。たしか母から、麻美が瞑棲に行くと聞かされたのも、この頃だった。


 五カ月ぶりに学校に顔を出した。流石に卒業式には出席したかったのと、嘘とはいっても、かつての友人との別れが惜しいと思ったからだ。教室に入ったら、誰かが話しかけてくれて、あの日の出来事を笑い飛ばしてくれる。そんな期待も、少しはあった‥‥‥

 しかし、わたしの居場所はもう無かった。一人で席に座る。なにか嫌味を言われたわけでも、嫌がらせをされたわけでもない。なにもされなかった。早くチャイムが鳴って、みんな席に着けばいいのに。そうすれば一人で座っていても大丈夫だ。しかし、チャイムはなかなか鳴らない‥‥‥わたしは自然と教室から逃げた。


 校舎裏は落ち着く。誰も来ないし、静かだ。

 待ち望んだチャイムの音が聞こえる。きっと今頃、教室で集合写真を撮って、卒業生入場のため、列に並んでいるのだろう。


 くそっ‥‥‥

 くやしい‥‥‥

 何でこんなところに居るんだ。

 中学も落ちて、卒業式にも出れず‥‥‥

 なあ‥‥‥

 わたしはそんなに悪いことをしたか?

 確かに、少し調子に乗っていたかもしれないし、いけ好かない奴だったよ。

 でも、別に誰も傷つけてないだろ。

 誰かをいじめたわけでも、殴ったわけでもない‥‥‥

 リレーだって‥‥‥ 悪気があって影を踏んだわけじゃない。

 ほんのちょっと運が悪かっただけじゃないか。

 あんなにもクラスの勝利を望んでいたじゃないか。

 最後、みんなで、このクラスで良かったねって、そんな思い出を作りたかっただけじゃないか。

 なのに、どうしてっ‥‥‥


 濁る。

 目が‥‥‥

 耳が‥‥‥

 心が‥‥‥


 ぐるぐる、ぐるぐると、深淵に落ちていくかのように、濁る。

 

 ずっと疑問に思っていた。


 なあ、

「影踏みの檻」って、なんだ?


 何に使うんだ‥‥‥この魔法‥‥‥

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