青い空は夜明けの標に

ピザなんば

プロローグ 夜明け後の一幕

喧騒と熱気が渦巻く、王都の大衆酒場。

 琥珀色の液体が入ったジョッキがぶつかり合う音に混じり、若き冒険者たちの熱っぽい視線が、ある大男の一点に注がれていた。

「――それで、そのドラゴンを片手で?」

「まあな。あの時は剣の調子が良かっただけさ」

 身の丈ほどある大剣とトントンと叩きながら赤ら顔で笑うその男こそ、この国を何度も危機から救った生ける伝説、英雄カインだった。

 歳を重ね、目尻には深い皺が刻まれ、かつての若々しい金髪には白いものが混じっている。だが、その身体から放たれる歴戦の覇気と、分厚い胸板は、彼が現役を退いてなお最強の一角であることを物語っていた。

 酒精の回った弟子の一人が、身を乗り出して尋ねた。

「カイン師匠! 師匠みたいなすごい人が、心から尊敬する人って誰なんですか? やっぱり先代の剣聖とか……」

 カインはジョッキを揺らし、琥珀色の水面を少しだけ見つめた。

 その瞳の奥に、遠い懐かしさと、微かな切なさが過ぎる。

「ああ…そうだな…いっぱいいるが、強いて言うなら、あの人だな」

「どんな人だったんですか! 気になります!」

 食いつく若者たちに、カインはニヤリと少年のように目を輝かせ、笑ってみせた。

「とにかく強かった。特に対人戦闘に関してはピカイチだ。たとえばそうだな……深い森林で戦うってなったら、相手が大隊規模の軍人だろうが何だろうが関係ない。たった一人で制圧しちまうような、そんなデタラメな人だったよ」

 軍隊を、単独で。

 想像を絶する武勇伝に弟子たちが息を呑んだその時、カインの背後から凛とした女性の声が響いた。

「あら、またそんな大袈裟な話をして。カイン、もういい加減にしなさいな」

 呆れたように腰に手を当てて立っていたのは、カインの妻であり、国一番の大賢者と謳われるレナだった。

 かつてのあどけない少女の面影を残しつつも、落ち着いた大人の知性を漂わせている。

「レナさん! こんばんは!」

「こんばんは。もう、あなたったら。明日は大事な式典なんだから、早く帰りますよ」

 妻の登場に、英雄カインも形無しといった様子で首をすくめる。

「わかってるよ。今まさに、そのアオイの話をこいつらにしてやってたんだ」

「あー……」

 その名前が出た途端、レナの表情がふわりと緩んだ。まるで、大切にしまっていた宝箱の蓋を開けた時のような顔だ。

「だからそんなに鼻の下伸ばしてたのね。本当に、あなたは昔から『アオイラブ』だったもんねえ」

「お、おい! 弟子の前で意地悪しないでくれよ」

 顔を赤くする師匠を見て、弟子たちがざわめく。

「えっ、奥さん一筋の師匠が浮気!?」

「違う違う!」

 慌てるカインをよそに、レナはクスクスと笑いながら手を振った。

「いいのいいの! だって、私もアオイが大好きだから」

 レナは遠い空を思い描くように目を細める。

「あの人、すっごく美人で、誰よりも強いくせに……生きるのが本当にへたっぴで。見てるとつい、世話焼いちゃうんだよね」

「……ああ、本当に。手のかかる人だった」

 カインもまた、優しい目で頷いた。

 そこにあるのは、単なる敬意だけではない。もっと深く、熱い、家族のような絆の記憶。

「あの頃は本当に、楽しかったな」

 カインがぽつりと漏らした言葉に、弟子たちはたまらず身を乗り出した。

「師匠! その話、詳しく聞かせてください! カインさんと奥さんの、若い頃の冒険の話!」

 弟子たちの純粋な眼差しに、カインは困ったように頭をかき、隣のレナと顔を見合わせる。

 二人は苦笑し、それから同時に肩をすくめた。

「仕方ないな。長くなるぞ?」

 カインがジョッキを置いて座り直すと、レナが慌てて袖を引いた。

「ちょっとちょっと、明日の式典はどうするのよ。寝坊したら国中が大騒ぎになるわよ?」

 もっともな妻の指摘に、しかしカインはニカっと笑い、天井のさらに向こう――夜空を見上げるようにして言った。

「いいさ。……この方が、アオイにもいいだろ」

 その言葉に、レナは一瞬きょとんとし、すぐにふっと表情を柔らかくした。

「……もう。仕方ないわね」

 レナも隣に腰を下ろし、店主に新しい酒を注文する。

「それじゃあ、始めましょうか」

 そうして、英雄は語り始める。

 まだ彼が英雄などではなく、ただの無鉄砲な若者だった時代の話を。

 そして、青い空の下、誰よりも不器用で、誰よりも優しい彼にとっての「夜明けの標(しるべ)」と共に歩んだ、淡い青春の旅の記憶を。

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