第10話錯視

陽大がスタスタと歩き

心愛がちょこまかと後を追う


それが今までのスタイルだった。


しかし、今日は並んで歩く。


心愛の歩幅に合わせて陽大はゆっくり、ゆっくりと歩く。


陽大の心は生きてきた中で今が一番穏やかだ。


心が落ち着いた今、

心愛の存在がいかに大きいものか、

陽大は気づく。


心愛はこうやって俺をずっと見上げてくれていたんだな。


自分を真直ぐに見つめる娘への愛おしさで

心がいっぱいになる陽大。


心愛の母親の伽羅と初めて出会った頃に感じた、

暖かな冬とは違った温もりが、陽大を優しく包む。


「手……つなぐ、か?」


陽大の手が自然と伸びた。


「うん!」


喜んで陽大の手に飛びつこうとした心愛が、

バランスを崩して倒れる。


「だ……大丈」

「だいじない!」


ぴょんと心愛が飛び起き陽大の手にしがみつく。


「歩きづれーよ!」


笑いながら手をブンブン振る。


「おとしゃん、すき!」


しがみついた小さな身体がグラグラと揺れたが、

心愛は陽大の手を離さない。


陽大は歩きづらいと感じたが、

心愛を無理に引きはがそうとはしなかった。


心愛が少し宙を浮く感じになりながら、陽大は河原を目指す。

2人の心は幸せで満ち足りていたのだが。


望海の目にはそう映らなかった。


望海が外に出たのは、

堀池親子が散歩に出てから少したった頃。


鍵をかけ、振り返ると堀池親子が視界に入ったのだ。


追いつかないようにしばらく待とうかな。


ドアの前で時間をつぶそうとした時、心愛が倒れた。

父親が手を伸ばしている。


あいつ!突き飛ばした!自分の娘なのに!


望海にはそう映った。


その後、飛び起きた心愛が陽大の手にくっついて揺れているのも

陽大が心愛を振り落とそうとしているのだと思い込んだ。


陽大が妙な姿勢で歩きづらそうにしているのも、

心愛を落とそうとしているように見えた。


心愛ちゃんを助けないと!


望海の中で男という生き物への憎悪が広がる。


堀池陽大は子どもを虐待した!

川田幸は私から赤ちゃんという希望を潰した!

私の腹の中で赤ちゃんが育たないのは幸のせいだ!

身勝手な行動で傷つける男を私は……。


瞬時にこのアパートの前に来るまでのことが

望海の脳内を駆け巡る。


アパートの入り口で、知らない男に望海は声をかけられたが、

それに気づかないほど望海の意識は過去へと遡っていた。


足早に堀池親子を追いかける望海の肩を、

男が掴もうとした瞬間、大家がガシッとその腕を掴んだ。


「あんた、うちの住人になにか?」


男は望海を呼び止めることを諦め、

大家と話をし始める。


男も大家も望海の前に陽大と心愛がいることを知らない。


・・・・・・


「男は子どもが生まれてから父親になるの」


義母はそう言っていたけれど……。


妊娠中から子どもを感じる女に比べ、

男は生まれた子を見て親であると実感する、


そういう話を聞いたことはある。


でも、実家暮らしの末っ子で常にちやほやされて育った幸は、

全てにだらしなかった。


ブヨブヨと太った腹を出し、

だらしなく笑っている姿が本当に嫌だった。


結婚前のあの優しさは、

気遣いはどこへ消えたのだろう?


そう思う望海の中で憎悪が激しく煮えたぎる。

動画を見て笑う声をもう聞きたくない、

そう思った望海は幸に風呂へ入るようすすめた。


「風呂、沸いたよ」

「先に入っていいよ」

「洗い物があるから」

「んーちょっと……あ、一緒に入る?」

「え?」

「ガス代節約になるし、ほら、最近、一緒に入ってないし♪」


幸の冗談に望海は無言となる。

すると、幸は舌打ちをした。


「可愛くねーな」


とボソッと呟き風呂へ向かう。


自分ばかり正しいと思って!


洗い物をする手に力が入る。

思わず、皿を落としたが、幸い割れなかった。


ホッとしながら、皿を拾う望海の耳に、

また、あれが聞こえた。


たぷん……。


同時に風呂場から幸の鼻歌が聞こえる。

それが、望海の神経を逆なでした。


どうして私の気持ちが伝わらないの?

どうして?

どうして!


たぷん……。


気づくと望海は風呂のドアを開けていた。


「あれ?やっぱ一緒に入る?」


湯船につかる幸の腹はやはり白くブヨブヨとしている。


なんて醜いのかしら。


そう思いながら望海が黙って見つめていると、


「ああ、そうなんだ」


と幸はニヤつきながら立ちあがった。


この男は……本当に自分勝手!


望海も無言で風呂場に入る。


「ちょっ、服ぐらい脱ぎなよぉ」


嬉しそうに幸が言うと腹が揺れた。

幸は嬉々としながら浴槽から足を出そうとしたが、

足の上げ方が足りなかったようだ。


「あっ!ぶっ!」


頭を下にした状態で湯船の中でひっくり返ってしまった。

ブヨブヨと醜く太った腹が湯から浮き上がる。


汚い!掃除しなくちゃ!


「あぶっ、望海!ふざけなっ!」

「土左衛門!土左衛門!土左衛門!」


ゴボゴボと幸がお湯を飲む。

目を見開き望海を見る幸。


起き上がろうとするたびに

望海は激しく浴槽を洗うブラシの柄でつつく。


つついている望海を謎の高揚感が包み込む。


曾祖母も、こんな風に楽しかったのかしら?

私には土左衛門を止める大人がいないのよね♪

思う存分つついちゃえ!


満足そうに浴槽を見下ろす望海。


「土左衛門とね、赤ちゃんは違うんだよ」

「……」


一言も発しない幸をそのままに望海は家を出た。

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