第8話邪戯

心愛はしゃがんだかと思うと、

バケツの中を覗いている。


そのバケツは、大家が水撒きに使うために用意しているものだった。


なにをしているのかしら?


望海は心愛をじっと見つめた。

どうも、なにかをつまんではバケツの中に入れているようだ。

最後は地面にある棒を持ち立ち上がった。


バケツに棒をつっこみ上下させる心愛。


お料理しているつもりかしら?かわいい……


小さな背中からはバケツに集中している様子がわかる。

望海はゆっくりと心愛の方へ歩み寄った。


「心愛ちゃん、なにをしてい……」


そこで望海の言葉は止まる。


「ドシャえもん!ドシャえもん!」


と心愛は言いながら水面を棒で打ちつけていたのだ。


「ドシャえもん」という言葉のたびに、

力が入り棒の動きも早まる。


「ドシャえもん!ドシャえもん!ドシャえも~ん!」


水面には心愛がつまんで入れたであろう

無数のアリが浮かんでいた。


入れたばかりのアリは苦しそうにもがいている。

心愛は動くアリを見つけると、そこへ集中的に棒を振り下ろす。


「ドシャえも~ん!!!」


その時だ。


「な~にやってんだよ!この子はっ!」


ドスドスという足音が聞こえ、大家がやってきた。

心愛は棒を放り投げ、すごい勢いで走り去る。


ま~あったく……といいながら憤っていた大家だったが。

バケツの中を見た途端、


「ひっ!なんで水をこんなにしちまったんだよ!」


と悲鳴を上げた。

しかし、すぐにそれは怒りの声となり、

心愛を追いかけようとする。


しかし、その時には心愛は部屋の中に逃げ込んだ後だった。


ブツブツいいながら、水を新しくしようと動き出す大家。

それを後ろに感じながら、望海はアパートの敷地を出た。


私が話したことで心愛ちゃんがあんな遊びを……


先ほどの心愛の姿に激しい動機を感じていると、

誰かの視線を感じた、かのような気がした。


振り向いたが、大家の姿は見えない。

視線もすでに感じなくない。


気のせいかな。


嫌なものを払い落とすかのように頭を左右に振り、

望海はスーパーへ向かった。


アリの事件から何日かしたある日、

望海が買い物に出るために鍵をかけていると。


たぷん……。


曾祖母の声が聞こえた気がしてゾクっとする。


慌てて周囲を見回すが、

望海のまわりには誰もいない。


空耳、空耳。


自分に言い聞かせるように歩き出すと、

また、バケツの前に心愛がいた。


ボチャン。


なにかを放り込む。

アリより大きい。


「ドシャえもん!ドシャえもん!ドシャえも~ん!!!」


こんな遊び、しちゃいけない……

近づきたくないと思いつつも、

心愛に禁じられた遊びを止めさせようと

望海は勇気を振りしぼり、歩を進めた。


「あのね……心愛……ひぃっ!」


心愛が叩いていたのはカエルだった。

ぷっくりと白い腹を上にして浮かんでいるカエルは、

心愛に叩かれるがままだ。

ぶよんとした白い腹は、幸の腹を想起させた。


「望海!」


突然、幸の声が聞こえた。

思わず周囲を見回したが誰もいない。


そうよ!幸がここにいるわけないじゃない!


しかし、誰かに見られている感覚が

望海にまとわりつく。


ここには私と心愛ちゃんしかいないのに。


「ドシャえもん!ドシャえもん!ドシャえも~ん!!!」


心愛の目が異様に輝いている。

それは、望海が幼少時に怯えた

曾祖母の目の光と似ていた。


望海をチラリと見た心愛が

遠い昔に見た曾祖母の笑顔と重なる。


「ドシャえもん♪」


望海ちゃん、

たぷんってね

ドシャえもんが……


曾祖母が笑う。


怖いよ!

大きいおばあちゃんやめて!


「……!」


今すぐにでも立ち去りたいのに足が固まり動けない。

ドシャえもんごっこをやめさせないと。

冷や汗がダラダラと流れる。


ドボン。

井戸の側に落ちている曾祖母のサンダルの片方。

救急車のサイレン。

望海ちゃんは悪くないのよ!

泣きながら話ず祖母。

大勢の人の声。

お葬式。


望海ね、怖かったの……

怖かったよう。

ママ……!おばあちゃん!


「なにやってるんだよ!」


大家の怒鳴り声を聞いた途端、

望海の呪縛が解かれる。


捕まえようとする大家の脇をすり抜け、

心愛は自宅のドアめがけて走り抜ける。


「ったく!すばしっこいったら……ぎゃーっ!」


バケツに浮くカエルを見て叫ぶ大家。

逃げおおせた心愛がドアのところで


「ドシャえも~ん♪」


と笑う。


大家が気を取り直して怒鳴ろうとした時には、

心愛はドアの中に逃げ込んでいた。


「全くなにがしたいってんだろう」


文句を言いながら水を換えに行く大家。

望海は深く息を吐き出した。


「心愛ちゃん、どうしてあんな変な遊びをするのかしら?」


突然、声をかけられビクっとする望海。

いつの間にか市川が立っていたのだ。


「さあ……」

「川田さんが教えた、とか?」

「まさか!」


そうよねぇという市川に

買い物があるからと告げ、

背を向け歩き出す望海。


心愛ちゃんと河原で話をしていたところを

市川さんは見ていたのかしら?

最近感じる視線は市川さん?

ちょっと気味が悪い。


不快さが喉元までせりあがってくるような気がして、

望海は市川とは距離を置こうと考えた。


どうして私、ドシャえもんなんて話したんだろう?


カエルの日からなるべく外に出ないようにしていたが、

とうとう食材が底をついてしまった。


望海は重い腰を上げ、恐る恐る外へ出ると。


「ドシャえもん!ドシャえもん!ドシャえも~ん!!!!!」


もう見たくない!!!


そう思うのに望海の足は心愛へと向かう。

見たくない気持ちと裏腹に望海はバケツを覗き込んでいた。


「……!」


吐き気がこみ上げ、思わず手で口元を抑える。

水面に浮くそれはネズミの死骸だった。

毛がところどころ剥げ落ち、苦悩の表情を浮かべている。


「今度はなにを……ひぃぃぃ!」


気丈な大家が尻もちをつく。


「こんな気味の悪いもんいったいどこで」

「あそこ!」


心愛が指さした先には金属製のネズミ捕りがあった。


「あれは私がしかけたやつだね。」


後で処分しようと置いてあったのにまあ、

よくあそこから出せたもんだって……

と半ば感心したような声を上げたところで

大家はハッとする。


「そうじゃない!なにやってんだよ!」


大家がいつもの調子を取り戻し、

叱ろうとした時には心愛の姿はなかった。


閉められたドアの向こうから心愛の歌声が

かすかに聞こえていた。


青い顔をしながら望海はアパートから離れる。


私は悪くない。

話したのは私だけど。

でも、きちんと育てられていれば!

私ならあんな変な遊びするような子になんて……


市川だけでなく、堀池親子ともしばらく距離を置こう……


無理矢理元気を絞り出し、

望海は行きつけのスーパーへと向かった。


・・・・・・


心愛がそんなことをするはずがない!


信じたくない気持ちが先走った陽大は、

突然訪ねてきた大家をギロリと睨みつけた。


動物の死体をバケツの水に入れて棒でつつくなんて!


しかし、大家は陽大の顔を真直ぐに見つめている。

その瞳には薄っぺらい親切心は存在していなかった。


心愛は大家が訪ねてきた途端、

部屋の隅で小さくなっている。


やったのか?


思わず陽大の拳に力が入った。

大家がそれを目ざとく見つけ、

さっと陽大の腕をつかんだ。


「子どもってのはね、そういう遊びをすることもある」


振り払おうとするが、大家の力は意外と強い。


「そういう時は親が受け止めてあげればいいんだよ!」

「は……い」

「娘、可愛いんだろ?」

「あ……はい」

「無理に話さなくていいよ」

「!」


無理に話さなくていい


陽大の人生の中で、初めて言われた言葉だった。

雷に打たれたように陽大の身体は固まる。


「昔、そういう人が近所にいたんだよ」

「え?」

「絶対殴るんじゃないよー」


陽大の腕をポンポンと叩いた後、

大家は帰って行った。

叩かれた腕からはなぜか余計な力が抜けている。


不思議な婆さんだな、頭チリチリだけど……。


ドアを閉め、後ろを振り向くと

心愛はまだ、小さくなったままだ。


自分の遊びがバレて叩かれると思ったのだろう。

小さな手で頭を必死に抑えている。

いつ叩かれていいように目までしっかりとつむっていた。


「叩かねえよ」


それを聞いた心愛が目を開け陽大をじっと見つめた。


「おとしゃん、こまってる?」

「困ってるかもな」

「ここあのせい?」

「うーん、違うかも」


不思議と言葉がスムーズに出る。

大家に無理に話さなくていいと言われたせいだろうか。

なんだか心が軽く感じる。


ただ、全てがスラスラと話せるわけではないらしい。


心愛に気味の悪い遊びについて

聞きたいのだが、それが上手く言葉にならない。


「ド……シャえもんって……ど……こで知……った?」

「かわ!」


川?俺がパチンコをしている間、

心愛がいつも待っているあの河原か?

そういえば、隣の女がこの前心愛の横にいたな。


あの女に聞けば。


そこまで考えた時、

陽大は喉がキュッとなった気がした。

まだ、心愛と大家にしか言葉は出ないようだ。


心愛と河原へ行ってみるか。


「こ……心愛、一緒に川、行くか?」

「うん!」

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