フラれ記念日

一途彩士

そばにいるから


 玄関ドアを開けた時点で、明かりの灯った居間が見えた。それに、ほんのりと感じる暖かい空気。彼女が来ているらしい。


「ただいまー」


 返事は聞こえない。

 だが、居間には予想通り、彼女のミハルがいた。


「なんのパーティーだ?」


 机のうえには甘ったるい酒の缶とつまみのゴミが散らばっている。その中できれいに整っているのは、まだ手つかずのショートケーキだけだ。


「フラれ記念日だよ」


 ミハルは赤く染まった目元を俺から隠すようにそっぽを向いた。


「ふうん」

「おかえり」

「ただいま」


 マフラーとコートを脱いで、ミハルの対面に座る。


「で、誰にフラれたんだよ」

「ん」


 彼女はスマホを差し出した。とんとたたかれた画面に映るのは、『俳優△△、電撃婚?!』の見出しだ。

 その俳優の名前に、俺はこの醜態の理由を理解した。


「ああ……」

「ぜんっぜん知らなかった……」


 かすれた声で言ったミハルは、のこっていた酒をぐいと飲み干した。

 その俳優は、ミハルが長年熱烈に推してきた俳優だ。

 記事によれば、売れない頃から支えてくれていた恋人と結婚したらしい。

 ミハルは彼の公演があるたび遠征に出かけ、テレビに出るようになればSNSで積極的に応援や宣伝の力になっていた。


「その推しと結婚したかったわけ?」


 それほど力を入れていたのだ。心の片隅に、そういう思いがあったのか尋ねる。


「ちがうけど……やっぱりショックなんだよね」


 舞台のうえでは最高の恋人を演じ、時に愛を知らないヒーローとして、時には世界征服を企む非道な悪として君臨する。

 そんな彼の芝居に夢中なのだと言って追っかけていた。

 今ではテレビドラマにもよく出演する売れっ子俳優だ。きっと、結婚報告どころで仕事は減らないだろう。


「俺のケーキは?」

「冷蔵庫」


 立ち上がって、冷蔵庫を見に行く。中にはミハルの言う通り、俺の好物のモンブランが入っていた。

 俺も頂くとしよう。コーヒーもいれなきゃな。

 しかし、湯を沸かして浮かび上がってくる空気の泡を見るうちに、気持ちが変わってくる。 

 ミハルとは数年の付き合いで、ミハルがかの俳優に向ける熱量は知っていたつもりだ。

 だが、泣くほどとは。


「フラれてんじゃねーよ」


 モンブランを皿に移動させつつ、そうぼやくと、居間にいるミハルがふんと鼻を鳴らした。


「フラれてないと困るのはソウセイでしょ」

「ふむ」


 万が一、あの俳優がファンを添い遂げる相手に選んだとしたら、ファンは恋人ではなく俳優の方を選ぶものなのかもしれない。

 それなら確かに、俺はこの電撃結婚の知らせに感謝するべきなのか?


「そうだとして」

「ん?」

「俺以外にフラレて泣いてるっていうのはシンプルに不快、彼氏的に」


 率直に告げて、用意のできたモンブランとコーヒーを手に机に戻る。


「ん、うまいな、このモンブラン」


 ミハルは、すぐには返事をしなかった。うつむいているから表情はわからない。時々、鼻をすする音が聞こえる。

 しばらくたって、小さな声量でミハルがいった。


「……ごめん」

「おう」


 ミハルがあの推しへ向けていた熱量を知っている。

 それでも、万が一あの俳優がミハルを見初めたとしても。ミハルがためらうことなく彼の手を取る……なんてことにはならないのも知っている。

 だってミハルは、俺のことも同じくらい好きだし。


「こんど、ファンレターでお祝いおくる……」

「そうしろそうしろ。ほら、モンブランいるか?」

「ほしい」


 フォークですくったモンブランをミハルの口へ運ぶ。


「あーん……おいしいね。こっちもどーぞ」

「うわ、うますぎだろ。どこの店?」

「これはねー」


 いくら舞台上で理想の恋人を演じることができようと、彼がミハルの隣に立つことはない。

 だから、おいしいケーキに免じて、彼女の失恋には目をつぶることにする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フラれ記念日 一途彩士 @beniaya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ