死体花【一話完結型その4】

立方体恐怖症

死体花

 刑事は血の匂いを追う。

 本でそういったものだと教えられたし、そう考えて刑事になった。

 だけど、実際は「事件」というものに長いこと触れずに過ごしている。

 雪が降る中、サクラの蕾が芽吹いているのを見つけた。

 春が来る。開花の季節が。


 暖かな気持ちになるが、心が暖かくなるだけでは困る。馬車を捕まえたいところだが、見知らぬ土地に迷い込んだせいでどこが表通りかも分からなかった。困った、ただ散歩に出ただけなのに。

 細い、細い路地が続き、人ひとり見つからず、巨大な館が乱立する。

 こんな町が近くにあったとは知らなかった。

 すこし引き返すも、すぐに元来た道が分からなくなった。ここについた時、こんなに分かれ道があるとは知らなかった。本当に、どうやって帰れば。


 雪がコートに染みこむ。どこかの家に入れてもらって、暖まりたい。そして地図やらなにやら見せてもらって、自分の家に帰りたかった。

 しかし、刑事の鼻がそれを許さなかった。

 血の匂いがする。


 血の匂いなんて、三年ほど前に殺人事件で嗅いだきりだけど、わかる。

 冷えて痛む鼻先が、甘い腐敗を嗅いだ。

 立ち止まり、あたりを見渡す。

 一面、白い雪景色。血液など見当たらない。しかし、この強い匂いはどこから来るのだろうか。


 細い道の先に、ひときわ大きな屋敷があった。大きな花弁のように広がる棟のひとつひとつに光が灯っている。

 そこからだ、匂いは。道を進むごとに匂いが強くなる。大きな館全体が匂いを発しているかのようだ。

 刑事は屋敷に近づき、ノックしてみる。人の動きが感じられない。


 事件の匂いがする。

 一般的人間ほとんどが持つ少年心、正義感が巻き起こる。

 刑事になったのは事件を追うためだ。いまここで踏み込まなくてどうする?事件であるならここで屋敷を調べないのは刑事心が廃るというものだ。

 それに、どうやって帰ればいいのか分からない。とにかく家にお邪魔して道を聞くべきだ。

 人が出てこないなら、ドアを押すだけ。開かなければ別の屋敷を試すだけ。

 

 社会的な意義を見つけ出し、刑事は屋敷のドアを軽く押す。

 開かなければ道を引き返すだけだった。

 しかしドアは音をたてて、しかし自力で開くように軽く開いてしまった。


 刑事は一瞬、開いてしまったドアを見つめたが、中に入って行く。


 火が灯っていた。暖かい。広い玄関には陶器の置物が置いてあり、屋敷に踏み込むと甘ったるい匂いは強くなった。まるで花のようだ、と一瞬思ったが、死体や血液が放つ臭さに間違いなかった。

 火がついているということは、住人が長く留守にしているわけではない。

 事件と不思議の香りが強くなり、刑事は「ごめんください」と声を出してみた。

 返事はない。

 ところが声を出した瞬間、玄関が赤く染まった。


 血液が降ってきた。待ち構えていたかのように。そう認識するほかない。突然のことで血の水圧に負けてしりもちをついた。玄関は大きな水たまりになり、上を見上げても何の変哲もない。

 まだ温かい。死体が二階にあった?血がしみ込んで落ちてきた?


 刑事は得体の知れない恐怖を感じつつ二階へ上がる階段を見つめる。まだ温かい血。間違いなく事件、事件ならば刑事の自分以外誰が調べるのか。

 血のりでべとべとしている体を引き上げ、ゆっくりと階段を上がった。血液が降ってきた。二階になにがある?好奇心と勇気が止められなかった。

 ふと、廊下の置時計が止まっているのを見た。不吉だった。


 豪華な長い廊下には、誰もいない。誰かいませんかと声をかけてもいない。殺人鬼がいるかもしれないと、身構えても人の気配がしなかった。

 自分の靴の音だけが聞こえる。

 雪と血液が混ざった液体を垂れ流しながら歩く。

 部屋は八つあった。はじめの部屋は寝室だった。ベッドの近くには血の匂いをまとわせたワインが置いてあるのに、なにも、誰もいない。

 玄関の真上の部屋はここではなかったか。

隣の部屋は書斎だった。本がずらりと並ぶ。誰もいないし、死体もなかった。ただ、部屋なのか、自分についた血液の匂いなのか、腐敗臭だけが漂う。

 隣の部屋に入って、立ちすくんだ。

寝室だった。間取りやベッドの色、形、ワインの位置でさえも最初の部屋と同じ。同じ部屋を印刷して増やしたかのように全く同じ。誰もいない。

 恐怖がじわじわと近寄る。同じ寝室が二つあるこの家はなんなのか?この大量の血液はどこから降ってきたのか。

 血の味がして、吐き気がする。


 止まった時計、同じ部屋、死体のない血液。すべてが恐ろしい。

 なぜ自分は得体の知れない家に入り込もうと思ったのか?ちょっとした冒険心と正義感だったが、どこから来たのか分からない血液ほど怖いものはない。


 考えがピークに達した時、刑事は走って階段を下りた。そのまま水浸しになった玄関を通り抜ける。

 広い広い屋敷が圧力をもって押し寄せてくるかのようだ。得体のしれない、分からない屋敷が。一刻も早く逃げ出したかった。

 玄関のドアが開くことに、閉じ込められていないことに安堵し、逃げ出す。また今度この家に捜査をしに来たらいい。今ではない。この血液を見たら他の刑事も調べることに同意してくれるはず。


 雪の降る小道へ出たところで、刑事は最初の問題に戻ってきた。

 どうやって帰ればいい?道がわからない。

 血の足跡を残して、長いこと道を引き返したが、いよいよ迷ってしまってにっちもさっちもいかない。刑事は仕方なく、近くの家をノックする。人が出てこない。他の家にあたっても、出ない。

 いない。誰もいない。しかし、ドアは開いている。

 心細い、今は見知らぬ花畑に迷いこんだハエでしかなかった。

 刑事は雪の道へうずくまった。適当に歩いても帰れる気がしない。

 自分が今できる手法はひとつ、ひとつしかない。

 立ち上がり、勇気を出して家に、すみませんと声をかけて入って行く。もう逃げ場はなかった。

 玄関を血で濡らした。



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